働いていると、社会が遠くなる
わたしだけの現象ではないと思うのだが、働いているときは、社会の問題を遠くに感じる。自分の作業に集中していると、戦争のことも、感染症のことも、いっときではあるのだが忘れてしまう。
働くとは、社会的な行為であるにも関わらず、ごく私的な感覚が強くなる。不思議だ。一方、無職のときは、ニュースがもっと身近に、間近に感じられたりする。
セカイ系、四畳半の範囲で生きている、など揶揄されるクリエイターは多い。だが、うっかりしていると、みんなセカイ系になってしまうのだとわたしは思う。
わたしたちはそれほど多くの問題の当事者にはなれない。仕事は、ごはんを食べるための、自分の命を維持するためにしている社会的行為で、やはり、何も考えずにいると、仕事の優先順位が自然と上がってしまう。いつのまにやら、他者に対する想像力が加速度的に衰えてしまう。
だからこそ、フィクションが必要なのかな、とも思う。他者が描かれている世界を眺めることで、自家中毒から脱する。
命からがら戦禍から逃れてきた人たちは、生活の心配はもちろんあると思うが、小さな物語でもいいので、そこに没入して、現実を忘れてほしい、とも思う。
現実を直視すべきときと、そうでないときがある。まずは、体を休め、心を休めることが必要。社会や世界を遠くに感じてもよいときもある。
平時、日常を生きられるときは、社会のことをよく知っておきたい。それは社会の一員としての責務のようなものなのかもしれない。
社会に出て他者と関わると、「社会」のことを忘れてしまう。これって、何なのだろう。
欧米社会ではプライベートなことが働くことであり、パブリックは家庭や地域社会に関わることを指すのだと聞いたことがある。日本は逆で、会社で働くことが公的で、家庭が私的だと考えられてきた。今のわたしは、欧米的な感覚がわかりつつあるのかもしれない。
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