見出し画像

豪華な刑務所に泊まる

ここのところ、自分自身を労わることをかなり意識している

これまでは、考えもしなかったことだ。「疲れているから休みたい。眠りたい」消耗したので回復させる、という対処療法で乗り切っていた。

今は、「おそらく自分は精神的にも、肉体的にも疲れているだろう」と先回りして、自分を癒すための行動を意図的にやるように心がけている。

自分へのご褒美とか、癒しのナンチャラとかいう言葉が好きではなかったのだが、この世で、なぜそれが必要とされているのかが身に染みてわかってきた。

予防医学的にそれをやっておかないと疲労が蓄積し、ある日、金属疲労のようにポキンと折れてしまう。周囲も、自分自身も、折れるまで気が付かないのだから、質が悪い。

しかしながら、一度折れてしまったら、どんなにはんだ付けがうまくても、元には戻らない。早め早めのケアを心がけることが必要なのだと今更ながらに知った。セルフケアの重要性は、義務教育でも教えたほうがいいと思う。漠然と「休みましょう」と号令をかけて、適切に休める人はそう多くはない。これができていない人はたくさんいるはずだ。

そういうわけで、「湯治」をキーワードに宿泊先をGoogle検索していた。すると、温泉付きの研修施設で、一般客の受け入れもしている、という施設を発見。一泊5,000円程度で、朝食付き。自宅からも、そう遠くはない。安いし、気分転換にもなるしと電話で予約をした。ホームページの画像だと、悪くなかったんだよねー、という話を今から始める。

その施設は、JRの駅から徒歩10分弱で、立地は悪くない。道もわかりやすく、方向音痴のわたしにしては無駄に歩かず、無事到着。ただ、建物を鬱蒼とした木々が覆っていて、なんだか全体的に暗い。でも、まさに湯治場という感じがしないでもない。湯治といえば、志賀直哉の『城の崎にて』のイメージしかない。まあ、城崎温泉ほど素晴らしくはなくとも、ゆっくり心と体を休める、という当初の目標は達成できると思っていた。

玄関先でポロシャツとチノパン姿の女性に迎えられ、チェックインと支払いを済ませる。施設のルールを教わる。トイレは共用で、食堂は自由に使ってもよい。そして、部屋に案内された。わたしの視界に飛び込んできたのは、広さにして2畳ほどの部屋だった。謎の古いロッカーがあり、クローゼットとして使うことが想定されているようだった。窓には、経年劣化で汚れ、その上、ほこりの溜まったブラインド。四方の壁紙は黄ばみ、シミと汚れがいくつもある。謎の自己啓発本とニーチェの言葉。窓際にはノートを広げ、最低限の書きものはできるであろう、壁に接着されたボードのような机がある。独特の湿った匂い。電源は使えるが、テレビもなければ、Wi-Fiもない。部屋の大部分を占めるシングルベッドに腰をかけ、掛布団を見ると、すでにシミがある。おお、気持ち悪い。

うーん、北欧の福祉国家の刑務所って、こんな感じかもしれない。ホテルだと思ったら失望するけれど、刑務所だと思えば悪くないよね。という謎のポジティブさを発揮し、自分を鼓舞する。

今回のメインは「湯治」だ。というわけで、さっそく温泉に行く。温泉に行くまで、薄暗い廊下を歩き、障子を開けたり閉めたりしながら、前に進む。お化け屋敷だったら、さぞ楽しかっただろう。そして、ところどころに、犬、猫、熊といった動物のぬいぐるみが無造作に置かれていて、不気味さを放っていた。本棚に置かれている本は、自己啓発書と内容の薄い経済本ばかりで、どれも食指をそそられない。でも、温泉を楽しみにきている地元民の人たちは、何とも思っていないようだった。みんなスマホをいじったり、仮眠を取ったりしていて、平和そのものであった。

体を洗い、一番大きな浴槽の温泉に入る。すると、足元にぬめりを感じ、次の瞬間、足の指に髪の毛が絡みついてきた。ひいい、ホラーである。(ただ、掃除が行き届いていないだけ。貞子がいなくてよかった)サウナも、あんまり熱くないので、入った気がしない。備え付けのシャンプーとコンディショナーで髪がばさばさになる。浴場が広いところはよかった。正直にいうと、スーパー銭湯や普通の銭湯と比べても、見劣りする。この温泉も、宿泊中に何回も行きたいとは思えず、夕方に一度行ったきりになった。

温泉から上がり、部屋に戻る。わたしはすでに自宅に帰りたくてしかたがなかった。一時間もあれば電車で帰れる。帰ってもいいのではないか。豪華な刑務所に比べれば、自宅のニトリのベッドの方がマシではないか。いや、でも、明日行きたい場所は、ここからのほうが近いんだよな。そう思い、宿泊施設に併設されたレストランで夕食を取る。ここで時間を潰さなければならない。わたしはお酒に弱いのだが梅酒を注文して、ちびちび飲んだ。あの汚い部屋とベッドで眠れる自信がなかったのだ。

夕飯を終え、部屋に戻る。鈴虫がずっと鳴いているが、さほど風流だとは思えない。そのうえ、廊下を人が歩く音、ドアの開け閉めの音が、ものすごく響く。

心と体が全然休まっていない。わたしは、いやいやベッドに入り、眠ろうとするが、案の定、眠れない。時間が過ぎていく。ウォークマンで古いポッドキャストなどを聞いて気を紛らわすが、なかなか睡魔が訪れず、苛立つ。Wi-Fiもないので、radikoを聴いたり、動画を見ることもできない。午前0時を過ぎて、やっと眠りに落ちることができた。そして、5時前には目が覚めた。

そうそう、ここに来たのは「湯治」と「執筆」が目的だったんだよね、と思い出し、朝の5時から原稿を6枚ほど書く。原稿用紙は持参していたのだ。思いのほか、集中できた。

朝食は7時半からだった。わたしは朝食を待っていたのではない。朝食が始まる時間になれば職員も出勤するだろう。一刻も早くここから脱出したい。わたしは7時になると部屋を出て、施錠をして、フロントへ行く。誰もいない。

「すみませーん。」

わたしの声が響き、返事はない。フロントに、何かあればここに電話してください、という注意書きがあったので、電話をかける。誰も出ない。すると、横に男性が立っているではないか。びっくりして、体をのけぞらせる。男性はほうきを持っている。朝の掃除をしている人のようだ。

「どうかされましたか」
「チェックアウトしたいんですけど、鍵はここに置けばいいですか」
「はい、それで大丈夫です」

短い会話をかわし、わたしは足早に外に出る。空は青くて美しい。でも、もうここには二度と来ない。

わたしがバンギャルで全国を追っかけで回っていて金欠なら、こういうところに泊まってもカプセルホテルでもいいんだろうけれど、休むことだけが目的だったのに、まったく休めなかった。

5,000円で休息を買えると思ったら、大間違いだ。馬鹿者が。(そう、わたしが悪い。相応のサービスを受けたければ金を出せ。年だけくって、そんなこともわかっていないのか)

養生もできず、疲れ切った体で帰路につく。そのせいか、バスを乗り間違えたりもした。

本当、人生って甘くないね。気分転換にはなったし、学びもあった。

自宅でぐっすり眠ることができ、自宅が以前より好きになった。そのことに関しては、結構、満足している。

(もう贅沢は言わない。入浴剤を工夫していこう)

あと、わたしは経営コンサルタントとかって、口だけで役に立たない寄生虫程度に思っていたのだが、ああいう施設を変えるためにはコンサルが絶対に必要だと思った。

チップをいただけたら、さらに頑張れそうな気がします(笑)とはいえ、読んでいただけるだけで、ありがたいです。またのご来店をお待ちしております!