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仕事に飽きる

石の上にも三年、という言葉は昨今、否定的なニュアンスで使われることが多いと思う。

わたしも諸手を挙げて賛成とまでは言えないが、一理あるとは思っている。

はじめての仕事、新しい仕事も、慣れてくれば、徐々にルーティンワークへと変化する。

できないことに遭遇すると、右往左往したり、焦ったり、恐怖を感じたり、仕事に行く前にとてつもなく憂鬱になったりする。

わたしはあまりに苦手な仕事の研修に行く前、その職場に行く途中にある小さな稲荷神社に「今日の仕事はうまくいきますように!」とすがるような気持ちで、少ない賽銭を投げ、祈りを捧げていた。

研修施設には、入って2週間ぐらいのわたしのできなさ加減を嘲笑したりする意地悪な古参のアルバイトもいて、怒るどころか、引いていたのだが、後日その人が癌の闘病中であることを知り、複雑な気持ちになったりもした。

神頼みにどこまで効果があったのかはわからないが研修期間を終え、実際の現場に行き、拍子抜けした。研修している人たちより、現場の人たちのほうが持っている情報量が圧倒的に多く、アドバイスも的確で「わからないことに対する恐怖」は解消された。その仕事は三年半ぐらい続けて、手応えを感じることはできた。

そのときに学んだことは、「嫌だ!」「地獄だ!」「無理!」「できない!」と思っても、その都度メモを取り、それを予習復習して、現場に臨み、反省し、知識や技術を徐々に増やしていけば、なんとかなる、というものであった。

あと、「この仕事を辞めたら、生活が立ち行かなくなる」という経済的に追い詰められていたので、辞めようにも辞められなかった、というのは大きい。逃げずに苦手を克服できたこと、沈みかかっている生活を立て直せたことは、わたしの成功体験にもなっている。そういった意味では、悪くない経験だったと思う。

今の仕事は関わり始めて10年近くになる。勉強していた期間も含めてだが、一般的な職業人としては、長くもなく短くもなく、といったところだろうか。

正直なところ、ここ最近、感じていたことは「飽き」でもある。できないことは少なくなり、新しい事件に遭遇することもなくなり(これはパターンがわかり対処できるようになったということ)、ルーティンで済ませられ、後輩の育成などに重点を移す時期であった。

余裕が生まれると、仕事をしていない人、仕事ができない人が目につき、イライラするようになっていた。

だから、仕事を辞める、失業することは、必然だったのかもしれない、という風にも少し思っている。次のステージへ! などという明るいナルシシズムではなく、飽き飽きして、うんざりしていることに気が付かないふりをしていたので、それが爆発したのではないか、というような気もする。

もちろん、仕事を辞めるのは、上席の考え方に首肯できないものがあったからなのだが、自分を顧みると、仕事を「つまらないな」と感じている時間は確実に増えていた。

数年前まで、もっと焦って、緊張していたはずなのに、人間は変わるものだ。

それを確信したのは転職サイトで、今の仕事と関連する求人を見ていると、「ああ、やりたくないな。また同じ仕事するのか」という気分になってしまうのである。

わたしは、仕事に飽きていたのだ。仕事をするまえから、疲労を覚え、全然手が動かない。

これが蓄積疲労なのか、ちょっとした鬱状態なのか、判然としないのだが、今後もわたしは現職のような仕事をすべきなのかどうかを迷っている。

この仕事を始めたとき、食えるようになるまで時間はかかっても、一生続けられる仕事なのだから、とにかく続けよう、と思っていた。大してお金にならない仕事にも取り組んできた。一生続けられる、それは嘘ではないのだが、一生続ける体力と気力があるのか、という新たな問題が生じている。

ゼロからほかの仕事を始めるのが得策でないことぐらいはわかっている。しかし、今はインプット欲のようなものが湧き上がっているので、何か新しいことを勉強したいと思っている。

今の仕事を続けて、ほかの会社の様式を知る。または、現職に関連する仕事をしつつ、プラスアルファの要素(武器)を身につけて、領域を少しずらす、というのがベターだとは思う。

何はともあれ、休息と新たな学びによるインプットを必要としていることだけは確かだ。



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