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#キホンの労働法 社会保険労務士学習記録その1

実は、とある資格を取得したあと、学習を継続したい!(学習を継続せねば)と思っていて、手頃な資格は何だろう、と考えた。お金に無知だと思っていたこともあり、FP3級に手を出した。

1.学習習慣を継続させるためのFP3級(失敗)

その当時は、朝夕の通勤時間、昼休み、退勤後に喫茶店、夜寝る前にと、結構学習に時間を割いていた。とはいえ、基本は隙間時間に行っていたので、それほどつらくはなかった。試験日という名の〆切があったので、「短期決戦だ!」と自分に発破をかけ、「この勉強は二度としたくない!(だから、もうやりたくないという限界までやろう)」という二つの強い気持ちを持って取り組んでいた。

それが終わってからは、腑抜けのようになるのを避けるため、FP3級の勉強をかじった。試験科目は、ひたすら暗記する項目と実技の計算問題で構成されており、わたしは計算に苦手意識もあり、実技が全然間に合わなかった。そのうえ、途中で転職活動を始めてしまい、勉強を続ける心理的余裕がなくなってしまった。ただ、お金に対する考え方の基本(ポイント)は押さえられたように思うので後悔はしていない。受験料を払って、試験に行かなかったのはもったいなかった。

2.社会保険労務士試験の勉強をはじめた理由

FP3級より興味があったのは、実は「労働法」だった。とはいえ、これから六法全書(司法試験)の勉強をする気力はない。会社でも役立つ資格といえば、社会保険労務士の資格かなと思った。合格率は6%ぐらいなので難関資格だ。合格を至上命題とするのではなく、基礎教養的に勉強してもいいのではないかと思い、講座に申し込みをした。

3.労働基準法や憲法を軽視する経営者

以前、勤務していたブラック企業の社長は、「労基法を守っていたら会社が潰れる」なんてことを社員の前でうそぶいていた。無知な二十代だったこともあり、よく考えることもせず、それをどこかで当然のものとして受け止めていた。ただ、中年期に差し掛かり、働くことにも慣れてきた。自分は単なる労働者である、という意識が強くなったことも影響してか、「労働基準法を守らないのは経営者の怠慢」と考えるようになった。労働基準法を守って組織を回す能力がないなら、労務管理ができない、経営能力がないことを意味しているのだから、市場から撤退せよ、と思う。

前職の勤務先は労働組合を結成すると、即座に解雇される会社だった。「面倒くさい社員は解雇されても仕方がない」とどこかで考えていたが、それも変化した。労働組合の結成は、日本国憲法第28条で保障されており、憲法違反である。このような会社は日本にあふれていて、そういう社員を解雇するノウハウもあるのだろう。日本は解雇規制が厳しいと言われているが、解雇を言い渡された労働者が裁判をしたら大体勝つ、というだけだとも言われている。つまり、不当で無茶な解雇であっても、本人が動かなければ成立してしまう。

突然、「おまえはクビ!」と言われて、法律の知識があり、適切な行動ができる労働者ってどれだけいるのだろうか。ブラック企業の薄給で、カツカツの生活をしていた人が、労働法に強い専門弁護士を雇って戦うのはかなりハードルが高い。(法テラスでよい弁護士に当たる確率ってどれぐらいなのかしら)あるいは、証拠を揃えて労働基準監督署に駆け込める人は、どれほどいるのだろうか。そんな気力と体力、経済的余力が残されている労働者がいるとは思えない。わたしが二十代でブラック企業に勤めていたときは、食べられず、体重が30kg台になってしまい、生理も止まってしまっていたので闘うなんて絶対に無理だったと思う。

ブラック企業はそもそも労働条件が悪いので、働き続けるよりは逃げたほうがいい、と考えてしまうのも無理はない。一方で大企業は解雇はせず、自己都合退職に追い込む方策をたくさん編み出している。

4.「建前」のない社会の野蛮さ

それでも、職場環境は是正されなければならない。ただ、告発するには、法律の知識がなければできない。労働者の無知は、経営者に利用されている。そして、この従順で無知な労働者がたくさん生まれるように仕組んでいるのは国家であるような気がしている。労働条件や労働環境について深く考えない労働者は、統治機構である国家に対しても批判的な思考ができない。法律を作っているのは国会であり、そこで働いているのは国会議員である。その国会議員が、国家の基盤となる憲法を軽んじて形骸化を促しているように見える。

「優勝劣敗自己責任」なんて考えは、強者の詭弁である。なぜ、憲法が存在しているのか。ひとりひとりの人間は、圧倒的に弱い存在である。為政者がそれを言い出すのは、そもそも奇怪な行動である。国民の圧倒的大多数は弱者である。その弱者である自分たちを足蹴にする政治家をなぜ大衆は許してしまうのだろう。

わたしは憲法や法律について、ろくに知らぬまま大人になってしまった。どこかで「憲法や法律って、しょせん建前で誰も守っていないでしょう」というニヒリズムがあったのも事実である。でも、今はわかる。建前が大事なのだ。その建前は無視したり、形骸化させてはいけない。

たとえば「差別はいけない」という建前を無視して社会はよくなるのだろうか。「あいつらは無能で愚かで汚くて臭いから差別してもいい。差別するのは人間の本能なんだから」という人間の邪悪な本性がまかり通ってしまったら、社会は加速度的に悪化していくだろう。差別的な大統領が誕生すると、マイノリティに対する暴力事件が増える。差別OKという空気が蔓延すると、人々は野蛮な行為をする自分にゴーサインを出す。差別を「本音」に見せかけて大衆の歓心を買う為政者は残念ながらいる。強者の差別や暴力を許容する社会は、どんどん野蛮な世界になること請け合いである。

憲法を守らない政治家がいれば、守らせるように有権者は行動をしなければならない。ところが、憲法について知識がなければ、守らせることもできない。正直に告白すると、憲法や法律、国会、政治家、生活と労働などが、きちんと繋がっていることを意識できていなかった。ぼんやりとした教科書的な知識はあったが、どこかで自分には関係ないやと思っていた。で、そういうノンポリ的な態度を取っていると、利用されやすく、また丸腰で斬られるような危険がある。

5.最低限の「盾」としての労働法に関する知識

そんなわけで、社会で労働者として、実際に痛い目に遭って勉強をしはじめたわたしは馬鹿だと思う。でも、馬鹿だと自覚できずにいたら、「わたしの努力が足りなかった」「わたしにもっと能力があれば」という自己責任論に取り込まれてしまう。法律を無視するクソみたいな会社や、クソみたいな社会で、自己啓発なんていくらやっても無駄。だって、平等でも公正でもなかいから、強者がどんどん得をする仕組みの中で、個人が闘うなんて土台無理な話なのだ。

というわけで、社会保険労務士の資格取得のための勉強を通して、「盾」を手に入れたいと思っている。剣ではなく、あくまで「盾」である。社会保険労務士の資格が取れる気は全然しない。法律を覚えたうえで、きちんと解釈をして、裁判の判例から学び、実務上の手続き処理をするための知識を蓄えるための勉強であることはわかったのだが、難易度が高いことは間違いない。

それに自分を追い込んで集中して勉強する気力と体力がない。だから、この一年はまず一周目としてひと通りのことを把握できればいいかな、と思っている。資格試験の勉強はある程度割り切って詰め込んで、問題演習をやらないと合格はできない。今のような、まったりとした勉強スタイルで合格することが不可能であることはわかっている。

しかし、映画を観たり、本を読んだりするのを我慢はしたくない。というか、そちらの方が、わたしの人生を豊かにするメインなので、そういったものを犠牲にすることは、もうしない。社労士の勉強はそこそこにやっていく。

6.勉強を開始してからの変化

勉強を始めて2か月ぐらいになるが、年金の納付期間が延びるのではないかというニュースや、Twitter社の解雇のニュースを見て、これまでとは全然違うことを考えるようになった。年金の納付期間が延びたら、計算方法が変わるだろうなとか、解雇予告はあったのだろうか、とか違う観点で見られるようになった。真面目に勉強していなくても、頭はちょっとずつ変化させられるのだと実感している。

だから、労働法を学んでおけば、職場の違和感や違法行為に遭遇したときに、あの条文に関連しているのではないか、と考えられるようになるのではないかと期待している。

7.誰の味方なの? 資格学校の講師との相性

資格の学校の通学コースを選んだのだが、先生との相性がどうにも悪く、ここ最近は行っていない。とても熱心な先生で、嫌な人ではなかったのだが、その方向が、実務的すぎるので、経営者寄りの視点というか、労基法でこうなっているんだから問題ないでしょう、という感じの説明をされ、モヤモヤしてしまった。「この先生、労働者側の立場で話していない気がする」という不信感は意外とモチベーションを削ぐ。(通学が面倒なことの言い訳をしているような気もするが…)

ただ、この学校は、オンデマンド授業も受けられるようになっている。WEBの先生は労働者の権利としての労働法という観点で話してくれるので、そちらで勉強をすることにした。もしかしたら、人事部とか総務部での実務経験のある人は、実務的な観点で話してくれる先生の方がよいと感じるのかもしれない。

だから、単なる相性の問題だと思う。で、その相性の悪さを我慢しなくていいやと思えるようになったのも、加齢のおかげだと思う。若かったら、無理をして通っていただろう。学校側としても、そのようなリスクは織り込み済みで、だから通学者もWEB授業が受けられるようにしているのだ。便利な時代になったものだ。

8.学習のアウトプットとしての記事

そんなわけで、学習した法律を整理するための記事も書いていきたいと思っている。もちろん、自分のためにやるのだが、勉強したくても、なかなか時間が取れない人にも読んでもらえたらと思うし、労働基準法って何なのか、と素朴に思っている人たちの入り口になればいいなと思っている。

わたし自身が初学者なので、間違えたり、解釈ができないこともあるだろうと思う。でも、有資格者だったら、起業したり、実際の仕事で忙しく、理念的な勉強からは離れてしまうだろう、とも思う。

それに、弁護士や社会保険労務士でなくても、法律について考える自由はある。法律関係の資格を持っていなければ、法律に関する発言をしてはいけない、などというルールはない。なので、授業やテキストで知って感動したことや、整理したいことを記事にできればと思っている。

今のわたしがとみに思うことは、労働法の勉強は、アルバイトができるようになる前にした方がいい、ということだ。中学二年生ぐらいから、必修科目として、みんな勉強したほうがいい。年金に関しては、高校生のときに学べたらよいのにと思う。

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