mei 海南島

2019年9月から2023年7月まで中国の海南島で日本語教師をしていました。日本に帰っ…

mei 海南島

2019年9月から2023年7月まで中国の海南島で日本語教師をしていました。日本に帰って、完全に無職、悠々自適な毎日に突入しました。曜日の感覚も薄れていく、のんびりとした毎日です。しばらくは、海南島での思い出を綴っていきたいと思います。

最近の記事

私が見た南国の星 第6集「最後の灯火」㉖

 ついに最終回になりました。いままで、読んでいただきありがとうございます。大きな病気をされた野村さんですが、今でもお元気でいらっしゃいますのでご安心ください。健康管理のため今年の8月に日本に帰国されていますが、春節の頃には海南島にお戻りになられるかと思います。  野村さんから原稿をお預かりして、2年以上経ちましたが、こういう形で発表出来てよかったと思っています。この奮闘記の後も、本当に頑張っていらっしゃるので、続編を期待しています。 手術の日  そんな私にも手術の日がやっ

    • 私が見た南国の星 第6集「最後の灯火」㉕

      手術日決定 毎週この癌センターに通うのも自然な流れとなって、外来診療の婦人科看護師の方とも顔見知りになってきた。1月の最終木曜日の午後2時半頃だった。いつもどおり名前を呼ばれて診察室に入ると、主治医から 「どう?体調は良いですか」 と聞かれて、 「はい、何とか生きています」などと冗談も出るようになった。すると、先生の顔が一変して 「2月23日に、あなたの手術をします」と言われた。あまりにも突然だったので、何だか真剣に受け止める事ができない私だった。 「えぇ!2月23日ですか

      • 私が見た南国の星 第6集「最後の灯火」㉔

        患者の気持ち  病院通いもなれた頃には、私の気持ちも落ち着き始めていた。その頃の私は、完治を目指して、力強く生きることだけを考えていた。ただ、日本を離れ十年以上経つと、本当に浦島太郎のようだった。発展途上の島生活を長年続けているうちに、日本の医療進歩についていけない情けなさを感じた。ある診察日の時だった。エスカレーターで婦人科のある3階に着き、廊下を暫く歩いて自分が受診をする窓口に辿り着いた。診察券と受診表を出して待合室を見ると、なんと、今日は人が多くて座る場所もなかった。

        • 私が見た南国の星 第6集「最後の灯火」㉓

          診断結果 今、あの日を思い起こすと本当に怖くなる。それは夕方5時過ぎだった。「まさか、この私が子宮癌だなんて!」 院長のかけてくれた優しい言葉も信じられず、夢の中にいるようだった。今では冷静に受け止める事ができるようになってきたが、あの日の事は一生忘れる事はできない。8年前の細胞診検査でⅢa異形細胞(前癌状態)である事は認識しながらも、その二年後の検査で陰性が出たので、すっかり癌の事も忘れて検査もしなかった。だから、この結果は天罰だったのだろう。先生が、ゆっくり説明をされて

        私が見た南国の星 第6集「最後の灯火」㉖

          私が見た南国の星 第6集「最後の灯火」㉒

          闘病生活  ここから始まる物語は、私の癌闘病生活の一部となる。12月15日、海口市の空港から広州へ飛び立った私は、上海経由で名古屋へ向かう事にした。広州からは、海南島で親子のようにお付き合いをしている長野君と崔さんも同じ便での帰国だった。二人は広州から名古屋へ向かい、到着後は夜行バスで神戸に帰省をされる予定だった。その日は、彼等と一緒だったので、寂しさや身体の不安も感じなかった。  広州の空港で待ち合わせをした私たちは、フライト時間まで話に花を咲かせていた。やがて飛行機は、

          私が見た南国の星 第6集「最後の灯火」㉒

          私が見た南国の星 第6集「最後の灯火」㉑

          癌の予兆  私の身体は以前とは違って、体力の限界を感じる時が多くなってきた。その原因は、あの悪性腫瘍のせいだ。自分で身体の異変に気がついた時は、もう既に癌が進行していた。「まさか、この私が・・・」癌に侵された人は誰でも同じことを思うだろう。でも、癌に侵されて初めて得た喜びもあった。そんな私の人生は、今でも海南島で足跡を残すことに希望を持っている。あの瞬間は、今でも忘れられない。  2010年、上半期に左手小指の骨折がきっかけで、私の身体には次々と異変が起きていった。骨折した

          私が見た南国の星 第6集「最後の灯火」㉑

          私が見た南国の星 第6集「最後の灯火」⑳

           野村さんには、海南島に娘や息子、家族のようにされている方がたくさんいます。中でも阿珍さんは本当の娘のようです。昨年の秋、阿珍さんは結婚しました。私も結婚式にお邪魔して、幸せそうな阿珍さんに会うことが出来ました。そして先月、阿珍さんはママになりました。 阿如のこと  阿娜が海を渡り香港へ移民してから間もなく一年になるが、元気に生活をしていると聞き安心している。阿娜との別れから数日後の事だった。落ち着きを取り戻した阿如にも春が訪れた。阿如は七仙嶺にある少数民族リー族の子供と

          私が見た南国の星 第6集「最後の灯火」⑳

          私が見た南国の星 第6集「最後の灯火」⑲

          阿娜のこと  気が緩んできたせいか、その頃から自分の健康にも気配りをせず、喫煙が多くなっていた。鏡で口の中を見ると歯はヤニだらけ、おまけに時々虫歯も痛くなる。そして、日常生活にも気力が出せずいつも身体のだるさが続いていた。それでも、私には楽しみがあった。それは、幼い時から面倒を見てきた三人の子供たちだ。学校の長い休みには、阿珍と阿如、阿娜が必ず我が家に来ていた。私にはそれが何よりも嬉しい一時だった。三人とも事情のある子供たちだったが、気がつけば三人とも大きくなっていた。  

          私が見た南国の星 第6集「最後の灯火」⑲

          私が見た南国の星 第6集「最後の灯火」⑱

          海南人のように  その当時、海南島生活にも慣れてしまったせいなのか、自分が日本人らしくないと時々思うようになっていた。その日本人らしくないとは、会話する時の声が大きくなったことや、パジャマ姿でマンション内を散歩する事が平気になってしまったということだ。  ある日曜日の朝だったと思う。私は愛犬を久しぶりに散歩させたくて、朝6時前に起きた。まだ外は薄暗くて外灯も点いていた。 「レオとジュリー!今日は私が散歩に連れて行くから待っていてね」 私の愛犬たちは散歩という日本語がわかるの

          私が見た南国の星 第6集「最後の灯火」⑱

          私が見た南国の星 第6集「最後の灯火」⑰

          馮さんのお母さんとの別れ  この年には悲しい事があった。馮さんの母親が、他界をされてしまったのだ。あんなにも元気で過ごされていたのに、私には本当に信じられなかった。8月中旬ごろ、お母さんは風邪を引いて、9月初旬になっても治らず診療所に通院中だったという。ところが、あまりにも治らないので大きな病院で検査をすると、担当医より 「これは直ぐに入院しなければなりません。検査をしなければ断定できませんが、おそらく肺癌でしょう」 と診断された。私は二度ほどお見舞いに行った時は、とてもお

          私が見た南国の星 第6集「最後の灯火」⑰

          私が見た南国の星第 第6集「最後の灯火」⑯

          安徽省での半年  これがきっかけで私は安徽省で暮らす事になった。でも、この生活も長くは続かなかった。その土地に慣れる事が出来なかったというのが一番の理由だったが、やはり社長のやり方が理解できないということもあった。七仙嶺のホテル時代は、社長も寛大な心の持ち主だったので、日頃の業務を煩く指摘をされなかった。しかし、この社長は、料理長を客の前でも平気で注意をしたり、小さな問題でも管理者に任せられず、いつも先頭に立たれて指示をしていた。社員たちも笑顔で仕事をしているという感じでは

          私が見た南国の星第 第6集「最後の灯火」⑯

          私が見た南国の星 第6集「最後の灯火」⑮

          再出発  海南島に戻った私は、少ない資本で飲食店を開店させた。しかし、赤字の毎日が続き、数ヵ月後には廃業しなければならなかった。ホテル廃業後から私の人生は、本当に苦難の連続だった。  2007年も、まだまだ波乱万丈の幕開けだった。建設会社の友人の紹介で、出会った安徽省の社長とのご縁も半年と言う短い繋がりだった。この社長は、安徽省銅陵県で不動産とホテルを経営されていた。たまたま友人が私の事を話したので興味を持ってくれたのだった。私自身も、海口市で飲食店の経営に失敗したので、収

          私が見た南国の星 第6集「最後の灯火」⑮

          私が見た南国の星 第6集「最後の灯火」⑭

          日本でもいろいろな詐欺事件がありますが、騙されちゃうことがあるんですね。「人を見たら泥棒と思え!」気を付けないといけませんね。 詐欺に遭う  2006年5月19日に出国して日本を再び離れた私は、広州経由で深セン市の鈴木女医に会う約束をしていた。広州の空港には馮さんも出迎えてくれて、彼女の元気な姿に疲れも忘れた私だった。 広州の空港から深センまではタクシーで行く予定だった。空港を出ようとした私たちに、一人の男性が声を掛けてきたのです。 「あなたたちは今から何処へ行きますか?

          私が見た南国の星 第6集「最後の灯火」⑭

          私が見た南国の星 第6集「最後の灯火」⑬

          業務終了  海南島へ戻った時は、阿浪の事も心配だったが、何だかホッとした。こうして彼の日本滞在が始まり、私も残された業務に励む毎日となった。  4月も下旬が近くなった日の事だった。最後の許可書抹消が完了した。「あぁ~、良かった。やっと私の任務も終わりです」思わず大声を出してしまった私だった。あまりにも嬉しくなり、すぐに河本氏へ報告の電話をした。電話にちょうど河本氏が出られた。私の声は弾んでいた。 「全ての業務が終わり、会社の存在は無くなりました。もう、何も問題は生じませんか

          私が見た南国の星 第6集「最後の灯火」⑬

          私が見た南国の星 第6集「最後の灯火」⑫

          今日の海南島は台風の影響で冷たい雨が降っています。海南島にも秋がやってきたようです。 阿浪の部屋探し  4月10日の夜、阿浪は夢を膨らませて辿り着いた日本だったのに、たどり着いた日本は想像していた日本とは違っていた。結局、社長の寛大なお気持ちに甘えてしまうことになるが、阿浪と私は気を取り直すことにした。 明日からは一人暮らしのできる部屋探しをしなければならない。やっと先が見えてきて、嬉しそうな彼の笑顔に満足した。  次の朝、日本語学校へ電話を掛け「寮の入居は中止します」と

          私が見た南国の星 第6集「最後の灯火」⑫

          私が見た南国の星 第6集「最後の灯火」⑪

          日本語学校の寮 翌朝、阿浪も眠れなかったらしく、7時には身支度を終えて部屋で待機をしていた。二人でホテルの朝食を済ませ、阿浪が入学をする日本語学校の陳氏を待った。彼は10時ごろホテルに出迎えてくれた。外は今日も大雨が降っていて、気分がスッキリしない一日になりそうだった。陳氏の自家用車に乗って学校に行った。学校は、名古屋市東区の住宅区街にあった。学校の付近は、昔ながらの商店街が今もなお存在していて、下町の雰囲気が心を和ませてくれた。私は車の中で待つよう言われ、少し変な気がした

          私が見た南国の星 第6集「最後の灯火」⑪