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私が見た南国の星 第6集「最後の灯火」㉕

手術日決定


毎週この癌センターに通うのも自然な流れとなって、外来診療の婦人科看護師の方とも顔見知りになってきた。1月の最終木曜日の午後2時半頃だった。いつもどおり名前を呼ばれて診察室に入ると、主治医から
「どう?体調は良いですか」
と聞かれて、
「はい、何とか生きています」などと冗談も出るようになった。すると、先生の顔が一変して
「2月23日に、あなたの手術をします」と言われた。あまりにも突然だったので、何だか真剣に受け止める事ができない私だった。
「えぇ!2月23日ですかぁ」
きっと私の言い方が気の抜けた返事だったのだろう。
「何か不都合でも」と言われ、
「どうしてもこの日でなければダメですか」口が滑ってしまった。実は海南島の通称「二妹・小妹」たちが仕事で訪日予定だったからだ。私の安否を気にして何度も電話をくれて、
「お姉さん、お元気でしたら是非お会いしたいです」
と言われていたからだ。彼女たちが訪日中に東京へ出かけようと思ったりしていた。だから、主治医の先生に、そんな発言をしてしまったのだ。先生は、
「俺の話を聞いてくれ、俺の話を聞いてくれ・・・」と3,4回ほど繰り返した。ご立腹のようだった。私も我に戻って「あぁー、失言!」と心の中で思い、とにかく先生には申し訳ない気持ちになり、
「はい、わかりました」
と言葉が素直に出た。先生がご立腹になさるのも当然なのだ。初診の時には先生から手術は2、3ヶ月後になるかもしれないと言われ、
「そんなに長い間も癌をそのままにしていたら、進行して症状が酷くなるのでは」
と、先生に文句を言ってしまったことを忘れていた。私の申し訳なさそうな顔をみて分かってくださったようで、
「とにかく手術までに数多くの検査もありますから、元気に生活してください」
と、さりげなく言われ、救われた気分だった。病院の玄関を出るまでは、私を含めて患者の殆どが癌患者ばかり、だから、気が引けることはないが、笑顔の人が見られないのは辛いものがあった。そんな私も、地下鉄の駅まで歩く道のりは癌の事も忘れて、清清しい空気の中に生きている喜びを何度も味わった。毎週一回の診察や検査などを終えると、真っ直ぐ向かうのはママの喫茶店だった。私が顔を出すとママは笑顔で迎えてくれた。その笑顔を見ると本当に観音様のように思えてならなかった。最近は、この喫茶店の常連客とも親しくなり、私のことを家族のように迎えてくれていた。
「私は独りぼっちじゃないんだ」
そんな勇気も沸いて、手術への恐怖感も感じることも少なくなり、毎日を規則正しく過ごすようになっていた。
その頃、この喫茶店で知り合ったママより二歳ほど年下で、とてもお洒落な方とも知り合うことができた。今でも、まるで姉妹のようなお付き合いをしている。私は、いつの間にか彼女を「お姉さん」と呼ぶようになっていた。そのお姉さんは、毎日のように高齢者の方々に水泳指導をするボランティア活動をされていた。だから、見るからにお元気そうで若々しく、羨ましいほどの美肌だった。お姉さんも、毎日のように喫茶店に来られて、ママのお店をボランティアで数時間のお手伝いをされていた。日本の高齢者は、本当に元気だ。間もなく私も高齢者の仲間入りだと思うと、何だか自分が恥ずかしくなった。年齢的にも私の方がかなり若いのに、体力や気力は私の方が減退しているからだ。お姉さんは一人暮らしとは思えないほど明るく、バイタリティーのある女性だった。私に元気が出てきたのもママとお姉さんのお陰だと思っている。
不安な気持ちで帰国をした日が嘘のように思えてきた。手術の日が近くなっても、癌の怖ささえ忘れて食欲も旺盛になってきた。やがて、自己血の確保やMRI検査、そして肺機能検査も無事にクリアして入院する日がやって来た。

入院の日


2月20日の日曜日が入院初日となった。この日は病院の外来もなく静かな館内だった。朝10時までに入院しなければならなかったので、前日までに必要な物は全て用意しておいた。当日はママとお姉さんが付き添ってくれたので、気持ちも落ち着いていた。さすが癌センターだけあって、入院病棟は青白い顔の患者ばかりだった。「あぁ、私もあのようにこの廊下を歩くのだ」と、少し気弱になりかけていた時だった。
「今日から担当をさせて頂きます、私は松本と申します。頑張って治療しましょうね。」
とても元気の良い看護師さんが挨拶してくれた。こんな感じのいい看護師さんが担当で嬉しかった。
さっそくパジャマに着替えて化粧も落とし、入院第一日目が始まった。私は個室の予約をしていたのだが、空き部屋がなく、4人部屋になってしまった。ちょうど窓際なのでよかったと思って、窓から外を眺めた私の眼に、墓地の景色が飛び込んできた。何だか不気味な景色だったが、ママが
「病院の周りに墓地があるのは、縁起が良いから安心しなさいね」
と言われても信じる事は難しかった。まるで墓地に眠っていらっしゃる皆さんから
「早くいらっしゃい!」と、言われているような気がしてならなかった。なるべく窓から外は見ないようにしていたのだが、どうしても目線が外に向いてしまって落ち着かなかった。
まだ手術をしていないので元気なのだ。この時点で、入院患者になるには少し心の準備が必要だった。体温を測ったり、血圧測定をしたり、必要事項を記入する用紙が配られ、今後の説明が始まった。手術前から手術後までの経路や、食事など細やかに記載されていたので、とてもわかりやすくて助かった。昼食時間が近くなった頃にママとお姉さんが帰られた。何だか急に寂しさが込み上げてきた
「さぁ、しっかりしなければ」
と、もう一人の自分に励まされながら昼食を迎えた。ベッドまで運ばれた食事を見て
「なんだぁ?この昼食は」
と声が出そうになった。いくら手術前でも、まだ手術は三日後だし、今日は美味しい食事でもと、期待したのは間違いだった。お粥と味の薄い野菜の煮物、そして薄味のスープに果物が一切れだった。おまけに食事の後に出された下剤は苦い薬だったので、手術まで一日三回も下剤を飲むなんて耐えられないと思った。手術前日は夕食抜きで下剤を飲み、寝る前にも下剤を服用だと言われて逃げ出したくなった。入院の初日から、早く患者になりきるしかないと意気込んでいた私だったが、このような状況は予想外だった。空腹なので売店で何か買って食べようと思っていると、
「いいですか、今日から何も余分な物は食べないで下さいね。飲み物だけにしてください!そうでないと手術は予定通りできませんよ」
看護師さんに元気な声で言われてしまった。テレビはイヤホーンをつけて見られるが、消灯時間が10時というのはきつかった。でも、これが入院生活なのだと思いながら、周りの人に合わせて静かにベッドで寝るしかなかった。眼を閉じても眠れないし、トイレに行ったり廊下を歩き回ったり、時間をつぶしして眠気が来るのを待っていた。


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