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私が見た南国の星 第6集「最後の灯火」⑮

再出発

 海南島に戻った私は、少ない資本で飲食店を開店させた。しかし、赤字の毎日が続き、数ヵ月後には廃業しなければならなかった。ホテル廃業後から私の人生は、本当に苦難の連続だった。
 2007年も、まだまだ波乱万丈の幕開けだった。建設会社の友人の紹介で、出会った安徽省の社長とのご縁も半年と言う短い繋がりだった。この社長は、安徽省銅陵県で不動産とホテルを経営されていた。たまたま友人が私の事を話したので興味を持ってくれたのだった。私自身も、海口市で飲食店の経営に失敗したので、収入源がなくて困っていた時だった。
 1月27日、この社長が海南島へ来られた時、私は初めて彼に出会った。「あなたは偉いですね。日本人が海南島の山奥で6年以上も生活が出来るとは思いませんでした」
 笑顔の優しい社長だった。でも、私が想像していた中国人の社長のイメージとは、ずいぶんかけ離れていた。何だか、雰囲気的には、農家育ちで農業方面のお仕事をされている方のようだった。やはり、社長は農家で生まれ育ち、かなりの苦労をされてきたそうだ。だから服装も派手でなく、中国人が大好きな純金も身につけてはいなかった。そんな社長との会話は楽しく時の過ぎるのさえも忘れるほどだった。社長は、性格的に行動派タイプのようだから、思い立ったら直ぐに行動したかったらしく、話が終わり、席を立とうとした時に、
「明日、私は安徽省へ戻ります。良かったら一緒に行きませんか」
私は突然の事だったので丁重にお断りすると、社長は
「ちょっと待ってくださいね」
と一言だけ言われて、どこかへ電話を掛けた。5分ほどすると二人のお嬢さんが現れた。
「この娘たちは、私の子供です。一緒に海南島へ来たのですが、観光も出来ず明日は安徽省へ戻らなければなりませんから二人は機嫌が悪いのです」
横目で二人の顔を眺めながら冗談まじり言った。私は内心、
「だから私に何をしてほしいのかなぁ~」と思っていた。すると、
「やっぱり一緒に行きましょう。子供たちも喜びます。二人は日本に興味を持っていますので、是非とも日本の話を聞かせてやってください」
社長は私が困った顔をしているのを見て急に、
「ごめんなさい。私が身勝手過ぎました。でも、お暇ならばお願いします。旅費は心配しないでくださいね」
結局、私の負けだった。あの笑顔で頼まれたら断る事ができなかった。あまりにも急な話だったので、自宅に戻って身支度の余裕もなかったが、次の日、我々は社長と一緒に安徽省へ向かったのだった。
 安徽省へ行くのは初めてだったので、正直なところ興味が沸いてきた。社長は自分のホテルを案内されたが、私が考えていたホテルとは全く違っていた。別荘が30棟以上あり、本館やら別館やらと部屋数も多く驚いた。敷地内には、プール、ゴルフ練習場、テニスコートや魚釣り池などの施設がたくさんあった。不動産方面は奥様が担当され、たくさんのマンションを建設されていた。でも、この社長は決して派手な生活はされていないようだった。自宅も広くはなく、小さなアパートのような建物で部屋数も2室だった。「家族は4人なのに、何て狭いのでしょう」
私は不思議でならなかった。社長は常に農民的な気持ちが抜けきれないので、と社員が説明をしてくれた。「派手な生活は身を滅ぼす」といつも言われているそうだ。かといって、決してケチではない。無駄遣いをされないだけなのだろう。


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