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私が見た南国の星 第6集「最後の灯火」㉔

患者の気持ち


 病院通いもなれた頃には、私の気持ちも落ち着き始めていた。その頃の私は、完治を目指して、力強く生きることだけを考えていた。ただ、日本を離れ十年以上経つと、本当に浦島太郎のようだった。発展途上の島生活を長年続けているうちに、日本の医療進歩についていけない情けなさを感じた。ある診察日の時だった。エスカレーターで婦人科のある3階に着き、廊下を暫く歩いて自分が受診をする窓口に辿り着いた。診察券と受診表を出して待合室を見ると、なんと、今日は人が多くて座る場所もなかった。「えぇー、こんなにも多くの人が診察を?」年齢は様々だったが、特に多かったのは若い人たちだった。皆さん子宮癌の検診なのだろうか、それぞれに不安を抱いた様子で診察室を出入りしていた。先週に比べて気持ちも少し落ち着いていたせいか、待っている間に人間ウオッチングをしながら自分の番号が表示されるのを待っていた。初診の時は、血液検査で注射針を見ることもできないくらい緊張していたが、今日は、その時の結果が出ているので不安はあったが、逆に緊張感は全くなかった。自分の名前を呼ばれ、診察室のドアを開けた途端
「お世話になります」
思わず業務用語が出てしまい、自分でも恥ずかしくなった。椅子に座った瞬間から、先生の口調が早くて戸惑うばかり、私の心の準備は未だできていない状況だったが、説明は15分程で終わってしまった。
「先週の病理検査が出ましたよ、やはり子宮頸癌の扁平上皮癌1期b1です。2月末か3月初旬に手術を予定していましたが、2月23日に予定されている方が手術をされなければ、あなたの手術をします。執刀は私で良いですか」と尋ねられた。
先生の口調の波に乗り遅れそうになったが、
「もちろん先生にお願いします」
と答えた。その時は、心臓がドキドキしていて息をする余裕もないほどだった。私の手術時間は、約5、6時間と想定されていた。手術は広汎子宮全摘出術なので、子宮・卵巣・卵管・膣の三分の一とリンパ郭清の大手術だという。この手術には自己血を使用すると説明があった。
「自己血?」
ちょっと耳慣れない言葉に、またもや心臓が破裂するほどの気分だった。1回の採血は400ml、手術には、800mlを輸血用に貯血すると説明された途端、貧血で倒れそうな思いがした。生まれてから一度もそんなに多くの血液を採取した経験がなかったので、今後の検査も怖くなってきた。こんな多量の血液を、身体から抜き取ってしまったら倒れてしまうのではないかと心配になった。担当医は当たり前の如く説明をされているが、当人である私にとっては、生きるか死ぬかの選択をされているようでならなかった。安易に考えでいた私の心は一変して、恐怖の日々に耐えられるのかと、再び不安の波が押し寄せてきた。しかし、早く治して元気に海南島へ戻れる日が来るのであれば、苦しみに耐えるしかないと自分に言い聞かせた。担当医の説明が終わり、椅子から立ち上がった瞬間
「はい、今日はお疲れ様でした」
先生の元気な声にも微笑むことさえできなかった。この日は、とても長い一日のような気がした。タクシーに乗り、車窓から眺める名古屋の町並みも、今は見る余裕さえないほど落ち込んでいた。これから私の身体はどうなるのかと思ったら、宿泊先のホテルに到着したのに気がつかないほどだった。担当医の説明で、一番ショックだったのは「術後に排尿障害と下肢の浮腫だった。リンパ郭清をするため、リンパ浮腫症状が出るのは避けられないと言われた。その症状の度合いは人それぞれに違うが、重症の方になると数年間も浮腫に悩まされながら生活しなければならないそうだ。毎日インターネットでこの病気について調べていると、頭の中がパニックになりそうだった。まだ決まっていない手術日を待つのは、本当に辛いものがあった。癌が進行する危険もあると思うだけで、夜も眠られぬ日々が続いていた。通院は一週間に一度のため、毎日が苦痛でならなかった。私の場合は初診から約1ヶ月以上は手術を待っていなければならなかった。そんな事を考えるだけで気が遠くなる思いだった。いくら進行が遅い癌だとしても、「待っている間に進行が速くなってしまったらどうしようか」と、そんなことばかり考えてばかりいた。

憩いの場


ホテルの一室で、一人でいるのが辛く、駅の構内にあるママの喫茶店へ毎日のように出かけていた。ママも数年前に二度の大手術を経験されていたらしく、話を聞く度に勇気が沸いてくるようになった。
「このような高齢者の方でも大手術をされて、こんなにもお元気なのだから頑張ろう」
自分に言い聞かせていたら気持ちも少しは楽になってきた。ママは、手術が怖い私を察してか
「全身麻酔だから眠っている間に手術は終わるから大丈夫!」
ママから言われて勇気をもらっていたが、それでもやはり生まれて初めての大手術は怖い。夜寝る前は、毎日のように手術の場面を空想しながら、寝返りばかりして眠られない日々を過ごしていた。実際、私の身体から女性の性器が全て無くなるのは、女として生まれた人生も終了するのだと考え込んでいた。そして、余生をどのように過ごして行こうかと深く考えさせられた。でも、私と同じような癌を克服された方も多いと知り、その方々も女性として立派に生きていらっしゃるのも知り、私だって与えられた命のある限り、立派に、女性として生きて行こうと思うしかなかった。そんな事を考えるようになってから、食欲も旺盛になり、元気が出てきたような気がした。
「免疫を高めるには笑う事」と知り、なにか面白い事はないかと散策しては、至る所に首を突っ込んでいる毎日だった。入院をして手術をしたら暫くは注射三昧で動けない。今のうちに美味しい物をたくさん食べて、楽しい事を考えなければ損だと思うようになった。  しかし、この時期にインフルエンザが流行していたので、何処へ出かけてもマスク姿の人ばかりだった。だから、手術前にインフルエンザで体力が落ちるような事になれば、手術延期となり癌細胞も増えてしまう危険もあったので、マスク姿で歩く人たちを横目で見ながら「じゃぁ、私も皆さんのお仲間入り」と、薬局でマスクを買って装着した。しかし、マスクとはこの十数年間ほどは無縁だったので、息苦しくて10分くらいしか我慢できなかった。とにかくインフルエンザに気をつけて過ごすしかないと思い、人混みを避ける事に気を配って過ごしていた。
ホテル生活もだんだん飽きてきた頃、部屋ではパソコンのインターネットで、必ず調べてしまうのが、やはり癌という病気のこと。「どうして私はこんな病気になってしまったの」と、そんな事を考えるのも本当に疲れてきた。夜になると狭い部屋で、一人ぼっちで過ごす事にも不安がないと言えば嘘になる。でも、「私は自分の選んだ人生を、悔やんでいる余裕なんてないのだから」と、もう一人の自分に慰められながら、朝まで眠れない日々を過ごした。やっぱり手術は怖い。今まで、こんな大手術をした経験がないから余計に怖い。
「麻酔から眼がさめなければどうなるのか」、
「途中で心臓が止まったら死んでしまう」
毎日のように手術の日を想定してしまう自分が情けなくなった。でも、ここまで辿り着いたのだから、冷静になって頑張るしかないんだと、自分に言い聞かせるしかなかった。


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