私が見た南国の星 第6集「最後の灯火」⑭
日本でもいろいろな詐欺事件がありますが、騙されちゃうことがあるんですね。「人を見たら泥棒と思え!」気を付けないといけませんね。
詐欺に遭う
2006年5月19日に出国して日本を再び離れた私は、広州経由で深セン市の鈴木女医に会う約束をしていた。広州の空港には馮さんも出迎えてくれて、彼女の元気な姿に疲れも忘れた私だった。
広州の空港から深センまではタクシーで行く予定だった。空港を出ようとした私たちに、一人の男性が声を掛けてきたのです。
「あなたたちは今から何処へ行きますか?」
見知らぬ中国人ですから、返事もしないでタクシー乗り場へと向かった。それでも、何だかしつこいので私は馮さんに彼の誘いを断るように頼んだ。暫く二人で会話が続き、だんだん私がイライラしてきたので馮さんも困っていた。そして、
「お姉さん、彼は格安で深センまで行くそうです」
彼女は、経費の事を考えて私に彼のタクシーを勧めた。時間も過ぎて行くばかりだし、鈴木女医に早く会いたかったので、
「そう、大丈夫なら行きましょう」
でも、何だか気乗りしなかったが、彼のタクシーに乗った。高速道路を走っていたと思ったら、急に道に入りガタガタ道を走るのでおかしいと思った。
「馮さん、ちょっと変だから彼に注意をしてもらえませんか。なぜ高速道路を走らないのかと」
馮さんは、私に言われたとおり彼に尋ねた。すると、彼は
「高速道路ばかり走れば料金が高くなる」
でも我々は、高速料金も含めての金額を納得して前払いしたのだからと抗議をした。彼は、急に車を止めて
「だったら、ここで別のタクシーに乗り換えて!」
まるで脅迫なのです。人影もない道に下ろされたら困るのは我々だという事を計算していたのだ。仕方がないので、目的地まで我慢をするしか方法がなかった。今思えば、あれは悪運の前触れだった。やっとの思いで深セン市のホテルへ辿り着き、一安心した私たちでした。鈴木先生との会談も終わり、ホテルへ戻った時には夜の11時頃だった。何だか急に疲れが出たのか、いつの間にか朝を迎えていた。
海南島へ戻る我々の飛行機は、午後の便だったので、ホテルで朝食後に中国銀行へ出掛けた。日本から持参をした紙幣を人民元に両替したかったからだ。しかし、その日は土曜日なので外貨の窓口は閉まっていた。仕方なく銀行の玄関を出た時だった。青年が私たちに声を掛けた。
「両替をしたいのですか。私の姉は両替の仕事をしていますので協力します」
何だか変に思ったが、この件は馮さんにお任せをした。でも、やはり彼等は悪い事を考えていた。両替は日本円で百万円だった。彼等は「銀行内で両替をするから心配しないで」その言葉に安心をしたのが間違いだった。一緒に銀行まで出向いたが、彼等の手口は簡単ではなかった。結局、私の日本円は騙されて盗られてしまった。いくら馮さんに任せていたとしてもこれは私の責任だった。鈴木女医の助けがなければ、馮さんも神経がおかしくなってしまっただろう。彼女が銀行の入り口で、騙された人民元をバラ撒いてしまった時は、私もどうする事が出来なかった。警察へ被害届のことや、馮さんを落ち着かせられたのは、あの鈴木女医の協力があったからだ。結局、銀行の防犯カメラに写っていた犯人の顔だけが証拠となった。いつまでも深セン市で滞在をしていても犯人が直ぐに捕まるわけではない。海南島へ戻ると決めた日、私は鈴木女医にお礼の電話をした。すると女医は手厳しい発言をされた。
「いいですか、いくら馮さんが中国人でも海南島と深センは違います。所詮、海南人は田舎者なのですよ。この都会の怖さを知らないで、見知らぬ人を直ぐに信じるなんて考えられない事です。それにしても、あなたは日本人でしょ。大金を人任せにする行動も信じられません。これからは、こんな事のないように慎重な行動をしてくださいよ」
という女医からの助言を素直に受け止めた。
もちろん、今も犯人は逮捕されていない。きっと、何処かで笑っている事だろう。私はあの日を思い出すと、本当に辛い気持ちになる。そして、中国社会の怖さを身に沁みて感じた。騙されるまで気付かない自分が情けなくなった。私自身も外貨の持ち込み違反をしていたので、これは神様からの罰だったろう。いくら時間がなかったとしても、予定を変更して日本から送金をしていたら、このような事にはならなかったのだ。海南島での再出発がこんな事件でスタートするとは夢にも思わなかったしかし、この事件がきっかけで、自分自身に厳しく生きる事を教えられたような気がする。そして、この海南島で、簡単に再出発をしようと思った自分の甘さを反省した。
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