第4日 木曜日 作家・歌人・漫画家 清少納言

作家・歌人・漫画家カテゴリーの2人目は紫式部に続いて清少納言にします。
本名は清原 諾子(きよはら の なぎこ)とされています。
はっきりとした生年月日は紫式部のようにわかっていませんが
966年頃とされています。

家系に大変歌人が多く、曾祖父は古今和歌集の代表的歌人である清原深養夫、お父さんも著名歌人の清原元輔で、そういう意味では歌人の素晴らしい家系に生まれています。
(そこが紫式部とは少し違うようです)


この家系をついで大変歌人として名を残していて、
中古三十六歌仙・女房三十六歌仙の一人に数えられ、42首の小柄な家集『清少納言集』が伝わっています。『後拾遺和歌集』以下、勅撰和歌集に15首入集しています。また漢学にも通じたそうです。


「清少納言」は女房名で、「清」は清原姓に由来するとされているが、近い親族で少納言職を務めたものはいないので、何故「少納言」が付くのかにはいろいろな説があるそうです。(気になる方はウィキペディアを参照ください)

そして読み方は語呂の関係から今日では「せいしょう・なごん」と発音されることが圧倒的に多いのですが、上述しているように「清」は父の姓、「少納言」は職名が由来であるため、本来は「せい・しょうなごん」と区切って発音するのが正しいというのは今回調べて始めて知りました。

974年、父・元輔の周防守赴任に際し同行、4年の歳月を「鄙」にて過ごしています。この時の体験が、枕草子の第290段にある船旅の描写にあるのと同じと考えられています。
981年頃、陸奥守・橘則光(965年 - 1028年以後)と結婚し、翌年一子則長(982年 - 1034年)を生んだ清少納言納ですが、武骨な夫と反りが合わず、やがて離婚します。
ただし交流は10年ほど続いたそうです。のちに、摂津守・藤原棟世と再婚し娘・小馬命婦をもうけました。

一条天皇の時代、993年冬頃から、私的な女房として中宮定子に仕えたことが知られています。博学で気が強い彼女は、主君定子の恩寵を被ったそうです。
このころから随筆『枕草子』を執筆していると考えられます。そして1000年に中宮定子が出産時に亡くなってまもなく、清少納言は宮仕えを辞めたそうです。その後の清少納言の人生の詳細は不明ですが、1008年頃枕草子は完成したと考えられています。
また家集など断片的な資料から、いったん再婚相手・藤原棟世の任国摂津に下ったと思われ、『異本清少納言集』には内裏の使いとして蔵人信隆が摂津に来たという記録があるそうです。
没年は不明1025年頃と考えられています。



枕草子は事実だけでなく本人の妄想による創作も含んでいるため史実とは異なる部分も多いそうです。『枕草子』には、「ものはづくし」(歌枕などの類聚)、詩歌秀句、日常の観察、個人のことや人々の噂や清少納言が平安の宮廷で過ごした間に興味を持ったもののほか、事実とは違うことも書かれているため注意が必要である。 また、辛辣で稚拙な批判も多く書いてあります。
その例として枕草子]第九十一段 かたはらいたいものがウィキペディアにあげられていますので引用します。

第九十一段 かたはらいたいもの
かたはらいたきもの。(中略)憎げなる乳子を、おのが心ちの愛しきままに、うつくしみ、かなしがり、これが声のままに、いひたる言など語りたる。
(訳)イライラするもの。不細工な赤ん坊を大事に可愛がり、その子の声真似などをして、話したことを人に言ってる子煩悩な母親。

現代にもこういうことを言うことはしませんが思っている人は多いのではないでしょうか。

清少納言についてめぐめぐが面白いと思うのは、その後鎌倉時代にいくつもの清女伝説というのが起こっていることです。
中世には紫式部を酷した清少納言について、また才能のある女性はかえって不幸を招くという思想が流行し、鎌倉時代に書かれた『無名草子』『古事談』『古今著聞集』などには清少納言が『鬼の如くなる形の女法師』になったという説話がたくさん書かれました。
また全国各地に清女伝説(清少納言伝説)があって

天塚(徳島県鳴門市里浦町里浦坂田) - 比丘尼の姿で阿波里浦に漂着し、その後辱めを受けんとし自らの陰部をえぐり投げつけ姿を消し、尼塚という供養塔を建てたという。
清塚(香川県琴平金刀比羅神社大門) - 清塚という清少納言が夢に死亡地を示した「清少納言夢告げの碑」がある。
京都市中京区新京極桜ノ町 - 誓願寺において出家、往生を遂げたという。

などが今日まで知られているそうです。


めぐめぐがすごいと思う清少納言の素晴らしさは以下の通りです。

1やはり中世の三大随筆の一つ枕草子を書いたこと。その内容は妄想なども含まれていてもやはり文学として素晴らしいわけで、それは今の私たちが読んでもうんそうだなあ、と思うことが書かれているのはすごいことだと思います。


2その才能などから中世に到るまでいくつもの伝説が全国にあること。紫式部伝説はないのでそういう意味ですごいとおもいます。


3何人もの男性と結婚していろいろなところに行ったりした大変な人生だったと思いますが、その中でやはり自分の知識を生かして文を書き溜めることが出来たというのは素晴らしい事だと思います。それは博識だけでは出来ないことではないかと思います。


今回調べていて枕という意味についても8説の説があるなど、普通に清少納言枕草子と言いますが、この言葉の中にたくさんのまだ解明されていない日本文学史の謎があるというのがすごいことだと思いました。

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