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早大生が在学中に子供を身ごもったときのこと④早すぎる別れと託されたもの


≪あらすじ≫
大学3年生で子供を身ごもり、一時はどうなることかと思ったが、無事に就活と卒論を終え、元気な子供を授かる。その過程で周囲からの、たくさんの援助と理解に救われながら、ゆさぶられもし、自分の在り方を再考する。そしていよいよ入社を迎える。

早大生が在学中に子供を身ごもったときのこと①卒論
早大生が在学中に子供を身ごもったときのこと②就活
早大生が在学中に子供を身ごもったときのこと③本当にそれでいいのかよ?
の続きです。

新卒子持ちママ

怒濤の「子持ちの就職活動と卒論」を終え、晴れて入社を迎えました。
業務内容は、カスタマーサポート関連の事務から、システムの開発まで。成長中の会社なので、一部署が何でもやるという雰囲気。

部長を除き、フロアにいる30人ほどの中で、私は唯一の子持ちママ社員という、異例の新卒でしたが、他の仲間たちと同じように扱っていただきました。

独身のみんなと遜色なく働こうと思い、子育てのことは、尋ねられない限りは口に出さないようにしていましたが、みんな気遣ってくれ、
「お子さんのお迎えの時間ですから、そろそろ帰ってくださいね。」
「これから子育てを迎える社員のモデルケースになってくださいね。」
「朝、お子さんを保育所に自転車で連れて行かれる姿を見かけて、微笑ましいなと思いましたよ。」
と声をかけてくれます。

入社後しばらくして、部長に呼び出されました。

疲れているように見えるけど、大丈夫ですか?

当時、自分で疲れているということも感じておらず、意表を突かれましたが、気が付けば、体重が過去最低に・・・。

慣れない子育てと初めての仕事の両立に挑む私を、部長は気にかけて、ひきつづき時折、声をかけてくれます。

お母さんが、フルタイムで働こうなんて、無理なんですよ。
お母さんは、ぼーっとしているくらいが一番ですよ。

なんて、ともすれば出端をくじかれたようにも取れるその言葉ですが、「だからあきらめろ」とか「会社を辞めろ」と言った意味では決してありません。それは、子育ても、社会人も、すべて始めたてで、アップアップだった私に、「無理に完璧にしようと思わなくていいんですよ」という、部長からの最大の思いやりだったのです。

また、あるとき送られてきたメールには、

あなたは、帰ってからの時間、お子さんがいるので大変だと思います。
会社から毎月出される読書や勉強の課題をこなすことは可能ですか?
もし難しければ軽減したいと思います。

という気遣いが書いてありました。
みんなと同じように、いや、それ以上に役に立つんだと意気込んでいた私は「大丈夫なので頑張る」の一点張りの返事を書くですが、その実、1日仕事をして、帰ってからは子供にご飯を食べさせ、お風呂に入れ…夜泣きをあやし…内心では悲鳴をあげていたことが、部長にはお見通しだったのでしょう。

子供は本当に可愛かったけれど、うまくやりこなせないもどかしさを抱えていた当時。周囲は気にかけてくれるけれど、部長はもちろん、独身のみんなに対して、子育ての苦労を口外することは迷惑にしかならない。だから、誰にも言わない。そう、おのずと決め込んでいました。

なかなか寝付かない娘が寝て、家事を終えたら夜12時ごろ。
あと1時間だけ・・・毎日1時間ずつだけ・・・と思い、勉強しました。

託されたコインチョコ

「ハイ」
と部長が、コインチョコを渡してきたのは、入社4か月目に社員旅行でハワイへ行き、船上ディナーで向かいに座っていたとき。
そのコインチョコは食後の口直しに1人に1個ずつ配られたものだったので
「部長は、チョコを召し上がらないのかな…?」
くらいに思い、それを受け取りました。

体の悪かった部長が、そのまま異国の地で旅立ったことを聞かされたのは、翌日のことでした。
晴れ渡る空の下、大好きなゴルフをしながら。

「生まれ変わっても、今の奥さんと結婚したい。」
亡くなる前日に、船上で部長が私にそう語っていたことを、社長の奥様に伝えたところ、その言葉は、葬儀の時に社長の口を通して、部長の奥様の耳に入ることになりました。それを聞いた奥様が、両手で顔を覆うお姿が見えました。この伝言をすることが、コインチョコとともに、部長から私に託されたお仕事の1つだったようです。

部屋にぽつんと置かれたコインチョコを、漠然と眺め、なんとなく気持ちの整理のつかない日々を過ごしました。

「このまま形見として取っておこうか」
と迷ったあげく、ある時、そのコインチョコを食べてしまいました。
受け取ったものだから、腐らせるよりはそのほうがいい。
それに、部長が託してくれたものを、自分の一部にするのだ…
と思ったから。

伏線を回収していく旅

その後、部長亡き会社では、いろいろと苦悩がありました。そこで見ぬふりをせずに最初の助け船を出してくれたのは、あの時のR先輩。彼女に救われて仕事ぶりが一変することになるのですが、それはまたの機会に。

それから十数年。親の会社を手伝ったり、独立したりする過程で、いろんなことがありましたが、子育てしながらフルタイム という私のやせ我慢は、多少形を変えながら今でも続いています。

少し違うのは、
「子育てって大変だよねー。」
「おとといは徹夜したけど、昨日は子供と一緒に夜9時に寝ちゃったよ!」
と、気兼ねなく笑って言える人が増えたこと。
子供が3人になって、いっときの大変さは増したけど、孤独ではありません。子供たちも成長し、助けてくれるようになりました。

それから、「一緒にWEB制作会社を作れば良い」って部長が仰ったのを、R先輩も覚えていてくれて、9年越しに「もう一度一緒に働こう」って、私の元を尋ねてきてくれたこと。
今は、R先輩と一緒に会社を作り、リモートワークを取り入れて、子育てをしながらでも能力を発揮し、役に立つことができるワークスタイルを追求しています。
「いつかベンチャーを」という思いも形になり、
なんちゃってベンチャーを自称しつつ、メンバーも6人に増えました。夢に見た東京の事業所開設も、目前です。

それでも、根詰めて何をしてるかわからなくなると、
お母さんが、フルタイムで働こうなんて、無理なんですよ。
の言葉を思い出すのです。

部長がくれた言葉たちは、コインチョコとともに私の一部となり、10年以上経った今でも私の中に息づいています。

いつか部長のように、誰かをやさしく、時に厳しく激励して、守っていけるような人になりたいと思うけれど、それは永遠に追いつけない背中のよう。

私にいいところを見せようとしなくていいですから、
伸び伸びやってください。

とあなたは仰いましたが、でも、どこかで見ていてくれるなら、やっぱり、いいところを見せたいと思うのです。

部長、ありがとう。見ていてくださいね。

***

後日談1

のちに祖母と母に聞くところによると、
「あれ、○○さん(部長)なら、お父様と、じいちゃんが、生前に懇意で、昔、家族ぐるみで海水浴に行ったことがあるよ。子供の頃の(部長)と(母)が、海辺で遊んでいるときの写真がどこかにあるはずなんだけど、どこいったかねぇ~。」
というのです。先祖に交友があったなんて、ご縁とは不思議な物です。しかし、おばあちゃん、そういうとっておき情報は、部長の生前に言ってくれ~!

後日談2

家を建てるのに、なかなか土地が決まらずにいたある日、建築メーカーさんが「良い土地を見つけました!」といって持ってきた区画図に、部長の名字が書いてあったのには目を疑いました。ゾクゾクとして、「きっと、私はここに住むんだ」と思いました。
詳細は差し控えますが、そこは間違いなく部長ゆかりの土地。しかも高齢の祖母の家の近所でしたので、当初、新築に後ろ向きだった実家の母も喜び、丸く収まったのです。
やっぱり部長は、あちら側から見ていてくれて、時々ちょっかいをかけてくれているのでしょう。

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