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生まれないか、生まれて今の人生を生きるか選択できるとしたら?

週末のうちのどちらか1日は1人で芸術や思考に耽る時間が欲しい。元々、土日に予定を詰め込んで出かけるタイプでもないが土日のどちらかは家で過ごしたい。これが、私にとっての充電日。

だけど一方で、充電中は必要以上に「考え事」をしてしまう。私の人生はこのままでいい?34年生きてきて、私が最後までやり切ったことってなんかあった?悲観的な考えが頭をよぎる。自分と同年代やそれ以下の子たちが活躍している姿を見かけると、心がザワザワして落ち着かない。

人生ってこんなにあっけなく過ぎていくの?人間何周目になれば満足いく人生が送れるの?いや、別に自分の人生が不満かというと、そうでもない。人生で選んできたあれこれに後悔はないけれど、もっと上手くやれた気がする。と謎の過信と反省を繰り返す。

大抵、私はそういう時に映画を観る。普段からよく観るけれど、こういうメンタルの時は特に。立て続けに2、3本、考え事をしながら観る。今の自分に「ヒント」や「気づき」を与えてくれるような作品を片っ端から調べ、いざ観始めれば、心に留まったセリフやシーンをiPhoneのメモに残し、自分の心と向き合う。この謎の儀式、中学生くらいからずっと同じ。(手書きのメモがiPhoneのメモに変わったり、TSUTAYAがストリーミングに変わったりはあるけれど)

そして、今年早々、とんでもない名作に出会ってしまった。
その名も「セイント・フランシス」。

今までの人生でここまで心臓のど真ん中を撃ち抜いてきた作品があっただろうか。

34歳のブリジット(主人公)。子供が欲しいわけでも、結婚したいわけでもない。両親健在、自分の人生が特別不幸なわけでもない。お酒に酔ってムラムラすれば、出会った男とベッドを共にするだけの自由さもある。だけど、SNSで見る周囲の環境の変化にいまいちついていけない。世間の”年相応”に自分の心がついていかない。私には何が足りないんだ ──。主人公の「何が不満かわからないけど、不満であることは確か」な日々を描いた作品。女として生まれたがゆえに面倒な「加齢」「生理」「妊娠」「出産」、それに加え「ジェンダー格差」「同性愛」「人種差別」「母親の苦悩」・・・それら全部をさらっと描いている。冴えない人生を送る女の話はこれまでにもごまんとあったけれど、この映画はそれとは明確に違うリアルさとあらゆるテーマとフラットに向き合う健全さがある。

あらすじは、公式サイトのイントロダクションがとてもわかりやすかったので拝借。

親友は結婚をして今では子どもの話に夢中。それに対して34歳で独身、大学も1年で中退し、レストランの給仕として働くブリジットは夏のナニー(子守り)の短期仕事を得るのに必死だ。自分では一生懸命生きているつもりだが、ことあるごとに周囲からは歳相応の生活ができていない自分に向けられる同情的な視線が刺さる。そんなうだつのあがらない日々を過ごすブリジットの人生に、ナニー先の6歳の少女フランシスや彼女の両親であるレズビアンカップルとの出会いにより、少しずつ変化の光が差してくる――。
SNS(ソーシャルメディア)でシェアされる、人々の充実したように見える人生。それに比べて「自分なんて」と落ちこみ、満たされない気持ちや不安にさいなまれる人は大勢いるはず。『セイント・フランシス』はそんな不安だらけの毎日を生きるすべての人を、笑顔でそっと抱きしめてくれる。

公式サイトより抜粋

ほら、どうですか?同年代のそこのあなた。(笑)
あいてててて。と心にグサりなイントロじゃありませんか。

“冴えない女”の人生が変わる話。先も述べたように、この手の映画は昔からある。「マイ・フェア・レディ」、「プラダを着た悪魔」、「ブリジット・ジョーンズの日記」(奇しくも、「セイント・フランシス」の主人公の名前もブリジット)やセックス・アンド・ザ・シティ初期のキャリーもそれかもしれない。だけど、この作品が違うところは、とにかく淡々と、よくある日常の風景こそ大切に描く。ドラマティックな出会いも、イケてるオフィスやカリスマ上司も、腐女子的演出も、いい男との最高なセックス、豪華な靴やファッションも出てこない。その上、いい意味で、無駄な女性讃歌がない

女を特別扱いせず、男をやたらと卑下しない
だけど、しっかりフェミニスト映画なのである。

(以下、ネタバレ解説するのでご注意を)

映画冒頭、退屈なパーティーで時間を持て余すブリジット。冴えない優男「ジェイス」と出会い、酔った勢いでベッドを共にする。その翌朝、ブリジットがトイレで携帯をいじっていると、寝室から彼の声が聞こえてくる。

「ねえ君、生理なんじゃない?ベッドに血がついてる。しかもかなりの量・・・。」

公式サイト予告編より

昨夜のセックス中に生理が来てしまったのだと悟ったブリジット。
寝室でジェイスと一緒にシーツを取り替えるこのシーンこそ、「セイント・フランシス」を語るに相応しい重要なシーン。

ジェイス「いいよ、枕は僕に任せて(あとは洗っておくよ)」
ブリジット「全部私がやるから。あ、顔についてる(経血が)」
ジェイス「本当?どこ?上の方?そんなに?」
ブリジット「ここと、ここ(笑いながら)」
ジェイス「そんなに?やばいね(笑)」
ブリジット「手にも」
ジェイス「おっと、本当だ」
ブリジット「口でしていた時、まだ血は──(出てなかったはず)」
ジェイス「ああ、そうだね。わからなかった。でも変な味はしなかったよ。」

公式サイト予告編より

こんな風に会話をしながら、経血のついたシーツや枕カバーを2人で一緒に片付ける。ジェイスとブリジットの頬には経血がべっとり。シーツは日の丸状態。文字だけで見ると地獄みたいなシチュエーションなんだけど、2人はさほど重く受け止めていないし、シーンも軽やかに描かれる。
女に生まれれば、皆一度はあること(寝ている間に生理が来てしまってシーツを汚すこと)なので私たちは慣れてるけれど、男にとって(人によって)はドン引きなはず。彼女や妻ならまだしも、ワンナイトを過ごした相手との翌朝のことである。大人の男女なら1度くらいは経験があるのかもしれないけれど、誰かに話すには憚られるような内容をライトに描く。まるで当たり前のように、もし自分がそうだったらこうあってほしいと願う状況がそこにはあった。そんな風にのっけから、女が憂鬱に思うあれこれを、軽妙に、ごく自然に描く「セイント・フランシス」に私は虜になってしまった。(このシーンが後々のブリジットにとってとても大事な伏線となる)

ちなみに、ブリジット役を演じたケリー・オサリヴァンは本作の脚本も担当している。物語の展開はもちろんのこと、細かい描写にリアルが宿っていて、それらが健全に描かれている。それは彼女自身の体験談が散りばめられていたから。GINZAのインタビューを読むと納得。

ナニーとして出会うことになる6歳のフランシスやその両親(レズビアンカップル)、ギター教室の色男(クソ男でもある)、さまざまな人との出会いによって、ブリジットの人生は進んでいく。(ぜひ映画を観て!)

フランシスの母親で産後うつ(フランシスの弟を産んだばかり)の「マヤ」
ブリジットが子守りをすることになるフランシス(6歳)

中でも物語の中盤、ブリジットの母親との会話が印象的だった。

ブリジットの友人たちが結婚や出産をしていく中、娘が心配で、ブリジットの友人たちのSNSチェックに勤しむ母親。お願いだからやめてと嫌がりながら、子を持つ自信がないと嘆くブリジットに、母がこう語る。

ブリジットに語りかける母親

母「ねぇ、あなたは生まれてきて良かった?」
ブリジット「・・・わからない」
母「逃げちゃダメよ。10代の頃ならそう考えても構わない。あなたは脳が発達した大人でしょ?ちゃんと考えて。確かに産むのは親の意思よ。だけど、もしあなたが『生まれてこないか、生まれて今の人生を生きるか』のどちらかを選べてたら、生まれる方を選んでた?」
ブリジット「(少し考えてから頷く)」
母「ならあなたの子供も、きっとそう思うはずよ。ママはあなたのこと大切に思ってるわ。」

34歳にとって「妊娠・出産」とは、まるでピッピッと音を立ててカウントダウンされていく時限爆弾。「35歳から高齢出産」そんな言葉が世間には散りばめられている。20代で社会人になり、30代で経済的にも、人間的にもやっと自立してきたこの時期に、今度は「別の人間を産んで育てろ」である。いつかこんな日が来ると分かっていたけれど、いざ来てみると、この問題に真正面から向き合うことは、想像よりずっと難しい。昔の女性はみんなそれに向き合ってやってきたんだ!と、先輩方から怒られそうだけれど、今は「令和」、2024年である。女性だって自立して暮らす。社会進出して、男性と同じように働ける。だけど、社会が決めた「常識」や「一般論」、SNSで垣間見えるリア充(風の人も多いけど)の景色、それらによってどんどん奥に押し込まれていく。扉(出口)は見えているけれど、自分はまだそこに到達できない。窮屈な電車内であっぷあっぷしながら、降りるべき駅で出られず、降りていく人たちを見送っている気分。

こうして、女は歳を重ねるごとに、あらゆるタイムリミットに迫られる。気づけば、今の自分に“足りていないもの”ばかりに目を向けてしまう。30歳を超えて独身でいること。仕事は充実しているけれど、子供を産む気になれないこと。年相応でない自分が“欠陥”であるかのように感じてしまう

でも、これら全部「世間が仕掛けたワナ」なのだ。一般論や常識は「罠」。そこにハマって抜け出せなくなるなんて、不毛の極み。自分の人生は、自分でしか決められない。自分でしか生きられない。極論だけど、「生まれたことを後悔するか、後悔しようがしまいがとにかく生きていくか」この二択しかないのだ。確かに、女に生まれて厄介なことはたくさんある。しかもその大半は自分ではどうにもできないことばかり。生理の出血は止められないし、セックスの度に妊娠のリスクは感じるし(たとえ避妊していても100%は防げない)、妊娠したいときにできるとも限らない。男女平等はまだ途上だし、暗い夜道では性被害に怯える。なんとかリスクを減らすことはできてもゼロにはできない。

だけど、生まれた以上は、今の自分の人生を愛し、周りにいる人たちと向き合って、時には自分とも向き合って、歩みを進めるしかない。自分の人生の最適解を求めれば求めるほど、人生は窮屈になる。何を持っているか、もしくはいないか。そんなことばかりに目を向けていたら何もできなくなる。

フランシスの子守りをしながら、ブリジットは自分に足りないものに目を向けることよりも、「今」を力強く生きていくことの大切さに気づく。
そして映画のラスト、フランシスの初めての小学校へ送る道中、ブリジットとフランシスは「私は賢い!私は勇気がある!私はかっこいい!」と雄叫びのように叫び合う。ブリジットに見送られ、教室に入るフランシス。フランシスを見送ったブリジットは、一夏のナニー業を終え、次の一歩を歩み出す。(この後のシーンが涙腺爆発なので要チェック)

雄叫びをあげるブリジットとフランシス

彼女にとってこの先、劇的な変化はないのかもしれない。だけど、人生を生きる覚悟と、見る視点を変えるだけでいい。そして、人生は続いていく。予想外にあっさりと暗転して終わるラストシーンこそ、この映画が伝えたいことなのだと思った。

「女、34歳」という絶妙な時期にモヤモヤしてしまう人こそ、絶対に見るべき映画「セイント・フランシス」。どのシーンを切り取っても、共感できることがあるはず。女性のための映画と思いきや、男性にとっても学びが多い作品なので、間違いなく今年一番オススメ。

長くなったけれど、当の私はというと、34歳只中で妊娠にも結婚にも憧れはない。そのどちらにも願望はないけれど、不思議なもので世間の罠にハマりそうになる時はある。そんな時、またこの映画を観て、

生まれてこないか、生まれて今の人生を生きるか』のどちらかを選べてたら、生まれる方を選んでた?

こう自分に問いかけるはず。そしてまた、生まれて今の人生を生きる自分を選び直し、前に進む。
「私は賢い!私は勇気がある!私はかっこいい!」と心の中で雄叫びをあげながら。

生理中のブリジットに「月経カップ?タンポン?」と聞くフランシスを見て
女の未来は明るい!と思えるはず。些細な会話がフェミってるフランシスが最高!

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