【愛着障害の克服】進んでは止まる…
こんにちは、やつ子です。
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今回は書きながら感情が高まり
いつも以上にまとまらない文章になりました。
読みづらいかもしれませんが
そのまま愛着障害克服の記録として残します。
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自分の心と向き合う!
愛着障害の克服!
今年もやっていきます。
自分の心に目を向けてみると
物事の見え方が変わってきます。
不思議だなぁ~と思うのですが、
自分と向き合っているだけなのに
周りの人の言動が
ちょっと違う角度で見えてくるんです。
私の場合多くは
やはり母とのことになるのですが
きのうも母と話していて
「あれ…」と違和感に気付きました。
母が提案のように話すとき
私に決めさせているようで
決定権は母にあるんです。
私には「YES」しか選択肢はありません。
というより、
母の気持ち(存在価値)
と引き換えに、
私の “優しさ気遣い” を渡す
(奪われていく)ような感覚です。
若い頃から関係が変わってないんだなぁ…と
悲しくなりました。
別にそれでいいのかもしれません。
年老いた母親に優しくする…気遣う…
娘ならば当然のことなんだと思います。
世間的にも、
親に対しては
“感謝” や “敬い” の気持ちを持つべき…
ということが言われますよね。
親に迷惑をかけてきたけど
大人になって恩返しすることで、
親子関係が
美しく完結されるような雰囲気…
ありませんか。
そう出来ないのなら…
「痛い思いをして生んでくれたのに…」とか
「育ててもらった恩を仇で返す…」とか
「親不孝…」とか
「薄情だ…」とか
自分の中から聞こえてくる
そんな声におびえて
妥協しようとした時期もありました。
「しょうがない」
「まあいいや」
「親孝行のつもりで」
「私が我慢すれば」
でも違うんです。
年老いた母親を気遣う…
これは似てるけどそれじゃないんです。
私から気遣ってないんです。
いくらでも気遣ってあげるのに
いくらでも優しくしたいのに
このやり方だと苦しいんです。
今まではきっと
母の望み通りの返答をしていたんだと
思います、無意識に。
その結果
自分の人生を生きづらくなったのが
私の愛着障害です。
自分の本当の気持ちに
自分で気付くようになってきたので、
“母の望み通り” という違和感にも
気付けたような気がします。
母の提案を今回は断りました。
私は
「それは困るから要らない。」と言いました。
母は
「どうして?」と言ってました。
私が自分の気持ちをわかってしまったので、
母の回りくどい誘導は通用しなくなりました。
私の気遣いや優しさは私のものです。
いつ相手に渡すかは私が決めます。
はぁ…
書いてて情けなくなってきた…
母の小さな願いぐらい
お前が折れたらいいやんっていう声が
してきます。
こんなに必死に守るようにしないと
揺らいでしまいそうな感覚になります。
せっかく向き合ってきて見つけた私を
また蓋をして無かったことにしてしまう。
本当は…
アラフォーになって
もういい大人になったなら
何も気にせず母を優しく気遣いたかった。
自分が情けないですが、どっちも本音です。
書いてて気持ちがグラグラになりました。
本当はこんな文章
脳内そのままでまとまりがないし
人に読んでもらうものでは
ないのかもしれないけど、
愛着障害克服の記録として
そのまま出しておきます。
失礼しました。
さて!!!!
なんと先ほどスーパードライの
瓶ビールをいただいたので
キンキンに冷やしております♡
今日はそれ飲んで
パァ~~~ッとしたいと思います。
長文にお付き合い下さって
ありがとうございました。
それではまた(^-^)/
もっともっとめげない力を高めて、読んで下さる方に少しでも貢献できるような記事を書いていこうと思います🍀\恩送り/いただいたサポートは、私も誰かの応援に使います🌈