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私は何のために治療しているのか。決断したら涙が出た


仕事に関するこれまでのnoteとは矛盾した内容です。決断を更新しました。

↓このnoteは私がこれまで書いたものの中で一番ハートをいただいている記事ですが、これとは違う新たな決断をしました。


結論から書くと、
記者としてフル勤務に戻るというゴールを取り下げて、「記者職」から降りたい”と産業医に表明しました。
自分の本当の気持ちに気づき、”ああ、記者ではない道を今日、自分で選んだんだなあ”と、決心したその日はパスタをゆでながら少し涙が出ました。

涙は未練ではなく、終止符です。考えの変化、気づきです。
このつぶやきについて、書き残したい。


全国転勤自体は現在も避けたいことに変わりない。
ただ、ずっと避けていた散歩に初めて出かけた日、帰ってからふと
”記者を続けるメリット(得ること)/デメリット(失うこと)”を紙に書き出した。


眺めて書き加えて考えて考えて、この先を想像して…

記者に想いはあるけど、現実的に失うモノ(デメリット)の方が私には大きく、代替できないものばかりだった。「これは、元に戻って労働したところで、希望する生活ではない」。やっと気付いた。

そうと決まれば、
・社内で職種転換をさせてもらう(事業職で内勤系になる)
・希望が通らなければ転職 

となる。産業医に「うちの社の異動は内々に1月に本人には言われますが、年末に決まっていることがザラ。11、12月が先生と私が動く肝の時期」とお願いした。すんなり受け止め、すぐに「そのメリットリストと、職種転換した時のメリットも書いて見せて」と、人事用に用意する提案をしてきた。

福岡本社に来てから関わった人たちの顔、経験、いろんなことが頭に浮かぶ…。そして今住んでいる部屋、とてもとても大好きだ。一年でさよならは嫌だ、福岡自体は本当に好きだ…でも…気付いてしまってからは、もうゴールを戻すこと、今の自己分析に蓋をすることはできない。

ふと、休職して作った"何でもメモノート”を開いた。
実家で休職中の、4月のページ。
内示で発症した鬱状態が引っ越しにより続いていた頃だ。内示された配属先のメリット・デメリット、どうして東京のデジタル部署じゃなきゃダメなのか、この内示では前向きになれなくて治療が進まない、等書き殴られていた。
今と全く同じことをすでに書いていた自分がいた。

それでもその後、内示された福岡本社に、記者として一度復職挑戦しよう、ということで7月に復職、この数ヶ月の山や谷があったのだが、そもそもをたどると、内示の時点で私は

・福岡は良い場所だが友人がいない場所である事が病気の今、非常に大きい
・東京は学生時代住んでいて土地勘があるし、友達が沢山いる
・配属先はバリバリに書くところだから、(健康なら喜んで精を出すが)、今は復帰先として心の負担。

とまとめていた。
4月にすでに産業医には上記のまとめを伝えていた。そのときから「あなたの訴えはワガママでなく医学的に見ても回復の的を射ている」と援護射撃してくれた。そういう過程もあったが、「とりあえず一度」と福岡で復職したのが夏だった。


鬱状態で正常な判断は避けるべき、注意が必要だというのがセオリーだが、私は結局”記者として一人前の働きに戻ろう、戻ろう”とすることが苦しかったようだ。


産業医はこの気づき・決断に驚くことなく、むしろ連絡ありがとう、すぐ動かなきゃね、と。
「一応、気が変わらないか2週間は様子を見るけど、あなたの性格だと鬱々とした中の鈍い判断でなく、悩み抜いた答えだろう、尊重する」と返事をくれた。


それから数日が経つ。
散歩や外に出るのが楽しみになり、眠剤が要らない日も出てきて、人混みに圧迫感などを感じにくくなった。皮肉なものだ。オンラインカウンセラーの「あなたはストレス源に気付きにくい性格」という指摘を思い出し、少し笑いがこみ上げる。発症時と、結局同じだ笑。でも少し違うのは、「夏の自分、頑張ったなあ、秋の自分、動いたなあ」と思えること。


本当に申請が叶って、果たして東京に戻って内勤職として過ごせるのかーーー

「全国転勤~」のnoteには「もう東京は労働者としては生活したくない」と記した。
だが、先日の”弾丸箱根”挑戦で、
・6月時より圧倒されず都内を動けること
住むエリアや沿線を考えて選べば、選択次第ではもう一度住めそうなこと
 (福岡だと地下鉄でなく在来線が好きだが、東京はJRのおっさんがごみごみしている(失礼)ので、メトロ沿いで選べば良いと感じた。乗客の層を見た)
・やっぱり友達とふらっと喫茶店に行けることが大きいこと

がわかった。6月より回復したのだとも思う。

↓JR乗った日笑

↓2日目、3日目に感覚が変化していった。

”箱根マジック”ではないと思う。なので東京への思いも変わっている。生活で使うお金や住む部屋は東京レベルに合わせないといけないが。


まとめると、

あまりに心療の治療が上手くいかなかったら、医者はだいたい「人それぞれだから」「他に原因があることもあるから」と、とにかくゆっくり向き合い様子見するよう助言する。
しかし、ゆっくりしていいと会社や医者に言われてまでも、

自分がここまで↑感じるのならば、それはそもそも自分を戻そうとしている目標の位置が違っている可能性を鑑みた方が良い。


適応障害の定義
「ストレス源から離れて3ヶ月から半年で症状が治まる」ーー

産業医には、「転勤してストレス源から離れたのに、おかしいよね。違う病気も疑うけど、具体的にこれと浮かばないんだよ」と言われていた。
きっと今の”ストレス源”はもう、発症時の長崎のストレス源(上司たち)ではなく「福岡本社の初期対応・継続された放置」「友達がいないこと」に変わっていたんだと思う。


そして、フルに戻ったところでハードな仕事だ。
”年齢と共に変わる物事の優先順位”。「全国転勤~」のnoteの冒頭もこの言葉だったが、結局その都度、じっくり自分の心に耳を傾ける必要が、常にあると思った。

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