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今日も、読書。 |『プルーストを読む生活』を読む生活

2021.11.8 Mon

141日目。
今日から、読書日記をつけようと思う。
そして、それをnoteに投稿していこうと思う。

これまで、1年と少しの間、手書きの日記をつけてきた。大したきっかけもなく始めた日記だったが、1日も欠かすこともなく書き続けた。大学のこと、勤め先のこと、友達のこと、恋人のこと。何も考えず自由に、数行の短い文章を、ロルバーンのリングノートに書きつけてきた。

私は読書がとても好きなのだが、不思議と、読書について日記に書くことはあまりなかった。理由は自分でもよくわからない。間違いなく、私の人生は読書を中心に回っているのだが、なぜだか日記には書いてこなかった。

読書のことしか取り上げない日記を書いてみたいと思った。それが、この「今日も、読書。」という読書日記が生まれるきっかけとなった。そして、せっかく読書に関する文章を書くなら、このnoteアカウントで投稿しようと思った。このnoteで読書に関する文章を書き続けて、こちらは半年近くが経っていたが、こういう私的で一方的な投稿もありなのではないかと思った。もう少し自由に、肩肘張らない文章を書いてももいいのではないかと思った。

日記の日付が実際の日付と少しズレているのは、文章を書いた後、日を改めて推敲をしているからだ。そんなことをしては、この文章は「日記」といえなくなるのではないか、という心配もある。日記を日記たらしめるもののひとつは、その日起こったことをその日のうちに書くという即時性だろう。しかし、やはり不特定多数に読まれる文章をnoteで書くからには、最低限のチェックが必要だと思う。

ただ、上手い文章を書こうとしすぎないように気をつけたい。中身のある文章を書こうとしすぎないように気をつけたい。本を読んで感じたことを、なるべく感じたままに、書いていきたい。それが私の思う「読書日記」であり、そうすることで私の思考はどこまでも広がっていき、文章はのびのびと連なっていくだろう。

この読書日記がどのように続いていくのか、楽しみだ。



2021.11.9 Tue

142日目。
日記を書くことの意味について、少し考えてみたい。

私はこれまで、手書きの日記をつけてきた。毎日のように日記を書くことで、私の生活は何か変わっただろうか。

思うに、つまらないことでウジウジと悩むことが少なくなった。何か嫌なことがあったら、私はそれを日記に書き留める。自分の正直な心境を吐き出す。そして、これからどうしていきたいかを考え、記しておく。どういう形であれ、負の感情の処理を、日記のうえだけで完結させる。こうすることで、一日の終わり、床に就く前、頭の中をすっかりクリアにすることができる。頭を支配するモヤモヤを、紙上に転写するイメージだ。私は日記を書くようになってから、必要以上に悩むことが少なくなり、よく眠れるようになったと思う。

ただ、この読書日記に日頃の悩みや愚痴を書き連ねるのは、やめようと思う。他人の悩みや愚痴を聞くことほど、気詰まりで退屈なことはない。誰がわざわざnoteを開いて、暗くじめじめとした仕事上の悩みを読むというのだろう。

もしかしたらそういう文章にも一定の需要はあるかもしれないが、少なくとも私には、自分の悩みを人様に楽しんでもらえるような読み物に仕立て上げる力量がない。だから、この日記にはプライベート悩み事や不満を持ち込まないことにする。これが、「読書について書く」ことに続く、この読書日記のふたつめのルールだ。



2021.11.10 Wed

143日目。
初日の日記で、「せっかく読書に関する文章を書くなら、noteに投稿しようと思った」と書いた。嘘ではない。嘘ではないが、「noteに投稿しようと思った」後、実はその考えを後押ししてくれた本がある。

私はその本を読み、読書日記を書いてnoteに投稿するというアイデアを、実際に行動に移すことができた。やりたいことを思い浮かべることと、それを実践することの間には、対岸が霞んで見えないほどの、大きな隔たりがある。

その隔たりに橋をかけてくれたのが、柿内正午さんの『プルーストを読む生活』である。

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とんでもなく分厚い、無印良品然とした装丁のこの本を読んだことで、私は読書日記をnoteに投稿することを決意した。言ってしまえば『プルーストを読む生活』は、この読書日記の生みの親だ。読書日記のタイトルをつけるとき、『『プルーストを読む生活』を読む生活』にしようかと、本気で考えた。

この『プルーストを読む生活』、会社勤めのサラリーマンが、読書中心の日常生活について毎日noteに綴った記録を、1冊にまとめた本なのである。信じてもらえないかもしれないが、私は「読書日記をnoteに載せたい」とぼんやり考えていたタイミングで、何の事前情報もなく、本当に偶然この本を手に取ったのだ。最初の数ページを読み、自分が持っているアイデアと内容のあまりの一致に、恐ろしくなって読む手が震えた。これはもう、絶対にnoteに読書日記を投稿しなければならないと、使命を授かる気持ちだった。

現在進行形で読み進めているこの『プルーストを読む生活』だが(何しろ750ページ近くもある!)、本当に楽しく読んでいる。何といっても、『プルーストを読む生活』というタイトルなのに、プルーストがたまにしか出てこないところがいい。話がどんどん脇道に逸れて、思いもよらぬ方向へと進んでいく。出発点は読書に関する話であることが多いが、句点の少ない文章がふらふら話題を行きつ戻りつするうちに、著者の思想、習慣、こだわり、生活の呼吸を垣間見せながら、どんどん脱線する。日記を書き進めるうちに、次第にイメージが膨らんでいって書きたいことが増えていき、それを心から楽しんでもいる著者の姿が想像できて面白い。

私も、そういう自由奔放な文章を書きたい。文章が私をどこかへ連れて行ってくれる、そういうふうになったらうれしい。



2021.11.11 Thu

144日目。
『プルーストを読む生活』を読む生活が続く。もしこの読書日記の名前が「『プルーストを読む生活』を読む生活」だったとして、仮に毎日読んでくれる人がいたとしたなら、その人は「『プルーストを読む生活』を読む生活」を読む生活を送っていることになる。

『プルーストを読む生活』の文章は、著者・柿内正午さんの日記であるため、「2018.11.19」といった日付で区切られている。「今日も、読書。」の日付の書き方は、そんな柿内さんの表記に倣っている。そして『プルーストを読む生活』の日付の横には、(1-p.144)といった数字が記載されている。この数字は、(1-p.168)、(1-p.180)と、日を重ねるごとに少しずつ更新されていく。実はこの数字が、柿内さんが本当に「プルーストを読む生活」を送っていることを、事実として教えてくれている。

柿内さんが読む「プルースト」は、『失われた時を求めて』だ。(1-p.144)とは、「柿内さんが『失われた時を求めて』の第一篇「スワン家のほうへ」を、144ページまで読んだ」ということを表している。これは、実に楽しい趣向だと思う。

柿内さんが、仕事でくたくたになっている時も、プルースト以外の本に夢中になっている時も、それでもちゃんと『失われた時を求めて』を毎日少しずつ読んでいることがわかり、なんだか心強くなる。七篇にも及ぶ、途方もなく長い道のりを、日々少しずつ読み進めている人がいる、とうれしくなる。

実際に『プルーストを読む生活』が書かれたのは今から3年前で、2021年11月現在、柿内さんは既に『失われた時を求めて』を読み終えているのだが、それでもいい。3年の時を超えて、私たちは共に、本を片手に日々を乗り越えているのだと勝手に感じている。

私もこの読書日記の初めに、「今、何の本を、どこまで読んでいるか」という記録をつけようと思ったが、やめた。この趣向は『失われた時を求めて』くらい長い作品でないとあまり面白くないだろうし、今のところ私は『失われた時を求めて』を読む気がない。来年あたり、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』に挑戦してみたいとは思っているが。



2021.11.12 Fri

145日目。
『プルーストを読む生活』を読んでいると、読書って自由だ、と思う。自由でいいんだ、と思う。

私はいくつかのSNSで読書アカウントを持っていて、主に本を読んだ感想について投稿している。自分の読書の軌跡を残すようで楽しいが、最近は投稿を作成することに対してモチベーションが低く、なんとなく作業感がある。こういう時はSNSが全然楽しくなく、読書の妨げになっているとすら感じてしまう。

本を読んで感じたことを言語化し、アウトプットすることは、間違いなく良いことだ。でも、必ずしも感想を持たなくても、本の内容がちゃんと理解できていなくても、読書は構わないと思う。本は、何となくで読んでいい。読書は自由でいい。『プルーストを読む生活』の著者柿内さんは、自分さえ楽しければ、本はどんなふうに読んだって構わないという姿勢を徹底している。自分もそうありたいと思う。

柿内さんは、本を読む速度が速い。日記には次々と新しい本が登場し、曲者をバサバサと切り捨てていく武士のように、柿内さんは読み進めていく。とても心地が良い。ハイペースで読書をしながら、メルマガやZINE、漫画も読んでいるし、映画も観る。常に自分の興味関心に正直で、新しい情報への感度が高い。

1冊の本をじっくり舐めるように読む読み方に比べれば、理解度は劣るかもしれない。でも、私は柿内さんの読み方に憧れる。自分が好きな本、興味がある本を手当たり次第に読み漁り、どんどんアンテナを広げていく読み方。正直に、自由に、好きなように本を読んでいきたい。



2021.11.13 Sat

休日は、ただ休日であるだけで素晴らしい。無条件で好きだ。たぶん休日は、世界中のありとあらゆる人たちから、無条件の愛を受けている唯一の存在だ。

村上春樹さんの作品が好きで、『村上春樹語辞典』という本を読んだ。これが堪らなく面白い。「やれやれ」とか「25メートル・プール一杯分ばかりのビール」とか、「春の熊」とかが載っていてうれしい。アイデアもデザインも文章も、全てが自分の好みとマッチしている感覚。

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著者はナカムラクニオさん。このカタカナ表記のお名前をどこかで拝見したことがあると思っていたところ、NHK出版「学びのきほん」シリーズの、『本をめぐる冒険』を書かれた方だった。本の歴史を辿り、「本とは何か?」というシンプルだけどあまり考えたことのない問いを考える、これまた良い雑誌だった。「本は人と情報をつなぐ情報伝達の手段」という、固定観念にとらわれない広い考え方を、見習いたいと思った。そしてナカムラさんは本が本当に好きなのだな、とうれしくなった。村上春樹が本当に好きなのだな、とうれしくなった。なにせ、タイトルが『本をめぐる冒険』なのだ。

ナカムラさんは、東京・荻窪で「6次元」というブックカフェを営まれているらしい。ぜひ一度行ってみたい。私はひどい出不精なので、人に誘ってもらわないと全然外に出かけない。よほど気合を入れて計画を立てないと、ひとりだけで東京に出かけるのは至難の業だが、それでも行ってみたいと思った。



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