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【ショートショート】最強の占い師


♦︎麗らかな日差しも届かぬ地下街、
マッサージ屋とラーメン屋に挟まれた薄暗い四畳半が、私たちの仕事場だ。

今日の相談者がやってきた。クリームパンみたいな拳の上には天然石だの木だのの数珠がじゃらんじゃらんしてて、たぷんたぷんの首には十字架のネックレスが食い込んでいる。細くつりあがった眉毛が、40代くらいと思わせる。
彼女は「せんせっ」から始まり、捲し立てるように、長々と、つまるところ、たっくんという男と復縁ができるかどうか尋ねてきた。

ヒミコは、顎の肉を震わせ続ける彼女を満足げに眺めている。時間が長引けば長引くほど占いの料金は上がっていくから自然と笑みがこぼれるのだろう。

最近、金儲けに余念がない彼女に辟易している。
生業が軌道に乗ると、株に全額投資。今は都心の一等地の新築タワマンに住んでいる。そこで、若い男らを日替わりで呼ぶものだから、共に住む私はおかげで寝不足の日々が続く。おまけに、彼女はここ数ヶ月、私に催促されなければ、給料を寄越さなくなってきた。姉と私で取り分は半々のはずだったのに
「レイコは幽霊なんだから、お金かからないでしょ。こちとら税金払うの、大変なの」などと屁理屈をこねる始末だ。

もしこれが他人だったら、即刻縁を切っているところだ。私が彼女から離れないのは、私たちが双子であり、幼い頃両親を失い残された、たった二人の家族だから。
しかし、我慢の糸というのは、張り詰めればいずれ、必ずぷつり、と千切れる。
それがいつか。占い師をうたいながら、皮肉にも自分ではわからなかった。

「で、私の霊は言ってるかしら」肥満した女は長い爪を噛んでいる。黒板を引っ掻いてしまった時の背筋が震える音、あの音がした。
ヒミコは、ドン・キホーテの18禁コーナーで買った孔雀の羽の扇で、顔を隠す。一卵性の私と同じ顔をひどく歪ませている。
(レイちゃん、早くしてちょうだい。虫唾が走るのよ、この音)
全く調子がいい。ヒミコが視える霊は私だけで、私が相談者の守護霊や地縛霊と話をするのだ。

相談者の背中には、涎を垂らし、尻をぼりぼりかいている醜い豚が、彼女の桜色のニットにもたれていた。醜い精神には、醜い霊が宿るものだ。特に驚きはない。
(レイちゃん、どう)
(いた。きったない豚がケツかいてるわ)
(そんなひどいこと、恋する全身ピンク若作りババアには言えないわよ)
(あんたが一番ひどいわよ)

「せんせっ!占い30分で1万円よね。もう10分も経ったわよ!」女はますます爪を噛んだ。
「今お姉さんの背中の守護霊を見つけましたわ。これからお話しをしますので、お静かに願いますわ」
(たっくんの話、早く聞き出して。あの、音本当に我慢できないわ)
(わかってるわよ)
私が豚に目をやると、豚は、質問するより前に
(脈なしやな)
と答えた。まあ、これも想定内だ。
(この女とたっくんは付き合ったこともない、一方的につきまとってるだけやさかい)口の周りに食べかすみたいなのがたくさんついていて、口を動かすたびにボロボロと落ちる。私は目を背けながら、
(つまり、ストーカーってことね)と聞く。豚は、返事の代わりにぶっと屁をこいた。
(くっさ、死ねこの豚)
(もう死んでるで)
(ちょっとくさいってどういうことレイちゃん。豚さん、なんだって)
私は鼻をつまみながら今の話を伝えた。
彼女は、わかったわ、と乾いた声で一言答えた。嫌な予感がした。

ヒミコは扇を閉じ「あなたに真実を伝えます」と
お決まりの台詞をボソボソと口にした。女は爪を口から離した。がたがたになった爪の先はぬらりと光っている。
「あなたには、人魚姫の霊が憑いています!」

嘘をついた。
姉は、ついに嘘をついた。
相手を気分良くしてリピーターにさせて儲けるために。私の蔑んだ視線など意にも介さず、彼女は口八丁を続けた。

「あなたの霊は、美しく、しかし悲しみも背負った可憐な人魚姫なのです!」
「んまあ、人魚姫!わかりますわ。人魚姫のお話ってどこか他人に思えなかったのよ」
相談者は頬を赤く染め、ヒミコは、仮面のような小汚い笑みを浮かべている。
「あなたの霊、つまり人魚姫とたっくんの霊は海と陸に隔てられた状態なのです。しかし、案ずることはありません。彼女の清く、しなやかな心は決して挫けず、彼も彼女を諦めることはないでしょう。必ず、彼は海に飛び込み、荒波を乗り越え、あなたの前に現れるでしょう」
(おまえの姉ちゃん、おもろいなあ)
潤み揺れる視界の中で、豚の腹が震えていた。



♦︎「なるほどねえ。貧乏人ってちょっと儲かると金の亡者になっちゃうっていうし。でも正直羨ましい!」
ざわめく居酒屋の店内にも屈せぬ野太い声でマキはがははと笑う。マキは、私たちの養護施設時代の親友でだ。ちなみに、死因は彼氏と心中。その彼氏は死にきれず、今は現世でぴんぴんしているらしいけど。
「笑い事じゃないよ」
「まあまあ。今日は飲んで忘れな。
あ、すみません。ハイボールもう一杯。あと、頼んだ焼き鳥まだですか」
マキがジョッキやら皿やら両手に抱えたバイトっぽい男の子を呼び止めると、彼は立ち止まりもせず、ただいまとだけ残して去っていった。
「盛況ね、この店」
「どこも混んでるのよ、黄泉の国は。死んだ人はこれ以上死ぬこともないでしょ。人があふれちゃうの」
「こんなに活気に溢れてるなんて、生きているうちは想像が出来なかったわ」
「で、これからどうするの」
「なにが」
「次の仕事よ。食べれなくてももう死にやしないけど、楽しもうと思ったら、この世界でもお金は大事ね。私はモデルやってる傍ら、ホステスもしてるの」マキは、長いネイルの親指と人差し指でわっかを作った。
なるほど。生き甲斐、ならぬ死に甲斐のために、ってことか。何もせずに得られるものはないのだ。
「私、占いしかしたことないから、ここでは違うことやってみようかしら。マキ、お店紹介してくれる?」
「もちろんよ。よし、今日は再会を祝して、飲むわよ。致死量超えるぞ!あ、ぽかんとしないで。これ黄泉の国ギャグね」
 彼女は5杯目のハイボールをトイレから戻らなくなった。

頭が痛い、私も飲みすぎてしまった。
瞬きを繰り返すと、裸電球の光の残像が四つに分かれていく。次第にそれはひとつの緑色の塊となり、姉の顔に変わった。
あ、笑ってる。
親に捨てられても、児童施設でいじめられても、姉はいつも笑顔を崩さなかった。
だから、私の亡骸に覆いかぶさってわんわん泣く姉を見たときは、自分が死んだことより辛かった。
無意識に、半透明の私の手は姉の背中に触れた。すり抜けるものかと思っていたが、私の手は姉の黒いカーディガンの上で止まった。
姉はゆっくりと振り返ると驚きもせず、涙と鼻水の洪水が起こった顔面でくしゃりと笑った。

それから、私たちが占い師になるのは時間がかからなかった。霊と話せる私と裏表のない性格で、好かれるヒミコ。
いつからか、「あなたに真実を伝えます」彼女は占いの冒頭、必ずそう伝えるようになった。そのセリフを言う彼女の顔は、晴れやかで自信に満ちていて、かっこよかった。大好きだった。
「忘れよう。私はホステスとして生きてくの」



♦︎3ヶ月後、私は現世専門の派遣登録所の待合イスに座っていた。
先日、マキに紹介してもらったクラブで、私を指名するしつこい客を殴ってしまい、クビになったのだ。マキは、許してくれたけど、次の就職先まで世話になることは厚かましくて流石にできない。
で、この機会に、姉のところに戻ってやろうと思い立った。
ただ、今度は、公的機関に労働条件のマネージメントをしてもらうことにした。
「49番の方」
小さく区切られたカウンターに入り、スーツ姿の中年男性に書類を渡す。男性はパソコンを打ちながら、首を傾げている。
「どうかしましたか」
「あなたが希望している就職先は、現世の占い師、山田ヒミコさん(30)でお間違いありませんよね」
「ええ」
男は、つう、と鋭く息を吐いた。
「何度調べても、先方の情報は見つけることが出来ないんですよ。失礼ですが、その方、ご存命なんですよね」



♦︎懐かしい住処は、饐えた匂いで充満したゴミ屋敷に変わっていた。ハンバーガーの包み紙やコンビニの袋やらが膝の高さまで積み上がり、至る所にゴキブリやネズミが集っていた。
私がいなくなったせいで占いが当たらなくなり、仕事がなくなってしまったのだ。部屋にこもって生活が荒廃し、自殺をした---
いや、まだわからない。役所の調査ミスかもしれない。
大雪の道を進むように、ゴミをかき分け、ふみつけながら進んでいく。透けていてもゴミを通り抜ける気にはならなかった。
リビングのドアの前にたどり着き、身震いした。
自分が死んでいるくせに、死体を見るのが怖かった。しかし、ここまで来たらいくしかない。
息を止め、ゴミに這いつくばりドアノブを回した。
ゴミが紙屑など軽いものばかりだったので、勢いよく開いた。

レイちゃん

彼女は、ゴミの上にあぐらをかいて座っていた。私を見るとニカっと笑った。
しかし、私は彼女に怒りをぶつけることも、再会を喜ぶこともなかった。出来なかったのだ。
あまりにも、彼女の姿が変わっていたから。
かわいかった顔はパンパンに膨らみ、首は何重にも肉がつき、体は水風船のようにまんまるくたゆんでいる。
沈黙を打ち破ったのは、ヒミコだった。
「ドーナツ、食べる?」
いらない、と絞り出した声は裏返った。
「そう。じゃあ、豚さんにあげるね」
彼女はドーナツ3つを素手でまとめて鷲掴むと、背中に向かって放った。
「豚さんの言う通り、役所に行って改名したら、本当にあなたが戻ってきたのよ。豚さん、すごいのよお。これからは、3人でがっぽり稼ぎましょう」
くちゃくちゃという咀嚼音と混じって聴こえてきた。
「おまえの姉ちゃんおもろいなあ」

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