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人にものを頼んでいるようで、選択の余地を与えているようで、じつは有無を言わせず言うとおりにさせるという、ああいうずるいやり方が大嫌いなんだ。 2021/01/17

 日曜日。朝から長女のプールの送迎なのだが、何年ぶりかに家族全員で行くことに。長女を送り、スタバに立ち寄る。次女がチョコレートドーナツを食べたいということで買ってみたのだけど、1個で400kcalくらいあるのね、と知ってちょっと驚いた。半分くらい食べて満腹になった模様。

 その後、次女は公園で遊ぶ。親は本を読む。寒い。昨日はあんなに暖かかったのに、今日は寒い。これだけ寒暖の差があると体調崩しそう。

 ジェイン・オースティン『マンスフィールド・パーク』を読んでいる。貧乏で子沢山のプライス家の長女ファニーが、母の姉が嫁いだ裕福なバートラム家の世話になることに。バートラム家の兄弟への気遣い、叔母のいじめ、厳格なバートラム家の当主の優しさ、などなど一族の生活を描く。地味で控えめだけど心の優しい、美しい女性へと成長するファニー。派手さはないけれど人の心の機微が面白い。ダウントンアビーみたいな感じというのは色々と雑な例えというか、それ逆だろうという話(ダウントン・アビーがジェイン・オースティンの作品群に似ているのであって)だけれど、わかりやすさを優先するのであればそういう言い方になる。

 それに、ぼくにたいするあの頼み方はなんだい! みんなの前でいきなり言い出して、ぼくに断わる余地も与えやしない! ぼくはああいうやり方が 大嫌いなんだ。ああいう言い方をされるとむかむかする。人にものを頼んでいるようで、選択の余地を与えているようで、じつは有無を言わせず言うとおりにさせるという、ああいうずるいやり方が大嫌いなんだ。
ジェイン・オースティン『マンスフィールド・パーク』P.185

 あるよねぇ、あるある、と思わずニヤニヤしてしまう、そんなやり取り。丁寧にあまり感情を表に出さないコミュニケーションの中に潜む心の機微みたいなものを巧みに描き出す。ある時は登場人物に、またある時は作者自身がツッコミを入れてくる感じ。

 マライアとジュリアの出発は、マンスフィールド・パークにもうひとつの大きな変化をもたらし、ふたりがいなくなったすき間を埋めるには少々時間がかかった。家族の人数が急に少なくなってしまったのだ。マライアもジュリアも、最近は、一家団欒の楽しい雰囲気にはほとんど貢献していなかったが、突然ふたりともいなくなると、やはり寂しい感じがしないわけにはいかなかった。バートラム夫人でさえ、ふたりがいなくなったことを寂しがった。ましてや、心のやさしいファニーが感じた寂しさは相当なものだった。ファニーは屋敷じゅうを当てもなく歩きまわり、ふたりのいとこのことを思い、ふたりがいない寂しさを痛感し、愛情のこもった悲しい気持ちにさえなった。マライアもジュリアも、ファニーからこんなに思われるようなことは何もしていないのだが――。
ジェイン・オースティン『マンスフィールド・パーク』P.307

 この最後の「マライアもジュリアも、ファニーからこんなに思われるようなことは何もしていないのだが――。」という作者からのツッコミ。時々出てくる何気ない一言が、次第に癖になってきている。噛めば噛むほど味が出るスルメのような小説。ジワる。

 夜は今年初めての焼肉。テイクアウトで。生活のリズムを超朝方に戻すべく早く寝た。

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