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そして彼は、「登山(見える山)」と「自己啓発(見えない山)」を一体化するアイデアを思い付いたーー。  「夢の共有」はこうして生まれたのだと、私は推察する。 2020/12/26

 長女も次女も鬼滅の刃のコミックスを読んでいるので、タブレットに自炊したマンガやらを詰め込み、大量に読ませようとしている。長女は手塚治虫の『ブラックジャック』を読み出した。しめしめ。

 部屋の中を片付けても一向に失くなったKindleが出てこないので、防水仕様になったKindle Paperwhiteとか、やる時間ないくせに気になるゲームをポチポチっと買ってみたりした。携帯がWi-Fiの5G対応になったもんだから、室内のWi-Fiルーターを新しいやつに変えようと注文してみたり、HDDが壊れて使えなくなってしまったNASのHDD換装のためのディスクを注文してみたりもした。怒涛の注文である。なんかスッキリした。

 スッキリと言えば、河野啓『デス・ゾーン』を読んだ。弊社の本なのだけど、面白いと評判だったので読み始めたらぐいぐい引き込まれて一気に読んでしまった。登山家、栗城史多の虚実というか、清濁というか、表裏というか、色んなものがない混ぜになっている姿を様々な角度から描いていく。

 そして彼は、「登山(見える山)」と「自己啓発(見えない山)」を一体化するアイデアを思い付いたーー。
 「夢の共有」はこうして生まれたのだと、私は推察する。
河野啓『デス・ゾーン』P.139

 若くして亡くなったということ以外何も知らない状態で読んでいたので、後半になるにつれ、いつ死ぬんだろうというか、死がひたひたと迫ってきているような、そんな感覚を感じながらページをめくっていた。

 客観的にみて能力不足という声もあるくらいなのに、ノーマルルートではないコースをあえて選び、その都度失敗する。他の登山家からすると、登れるわけなどない、そんな無謀なチャレンジを繰り返す姿は、自分が生み出した「夢」なるものに自ら取り憑かれ、喰われてしまっているような、そんな狂気すら感じる。

 そしてメディアも、それを見る人々も、都合よく彼を祭り上げ、消費し、失敗が続くとやがて批判し始める。エベレスト劇場というのは、登山を劇場にした男の話でもあるけれど、そこに観客がいたからこそ劇場たり得たわけで、演者と客には少なからず共犯関係があることも描き出す。

 しかしなんなのだろう、極限状態に晒されることで、人間があらわになるということなのだろうか。遭難モノなども名著が多い気がする。アルフレッド・ランシングの『エンデュアランス号漂流』なんてビジネススクールでも色んな人がお勧めしていたし、なんてことを思い出しながら読んでいた。

 気がつけば、4時頃になっていて、いやはや、先週からの『クイーンズ・ギャンビット』と言い、なんかもう生活リズム乱れまくりだなと思いながら寝た。

自分の好きなことを表明すると、気の合う仲間が集まってくるらしい。とりあえず、読んでくれた人に感謝、スキ押してくれた人に大感謝、あなたのスキが次を書くモチベーションです。サポートはいわゆる投げ銭。noteの会員じゃなくてもできるらしい。そんな奇特な人には超大感謝&幸せを祈ります。