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たぶんそのせいだろう、ミセス・マーティンゲールの下宿屋を出たときは、わたしのヒールはついたときよりちょっと高くなっていた。 2020/07/20

 しばらく料理できていなかったので、合間を縫ってシチューを作った。もちろん面倒くさいのだけど、行動するためには自分が食べたい好きなものならやる気になるかなと思って、ことこと煮込んだ。

 少し気分も落ち着くかなと思って、エイモア・トールズ『賢者たちの街』を読んでいたのだけど、小粋な小説だった。

 思春期の頃、わたしは自分の脚か長いことに複雑な感情を持っていた。生まれたばかりの子馬の脚みたいに、がくんと折れるためにできているように思えた。九人兄弟で近所に住んでいたビリー・ボガドーニは、わたしをコオロギと呼んだものだったが、それは褒め言葉ではなかった。でもそんな風に言われているうちに、わたしは長い脚に馴れ、最終的にそれを自慢に思うようになった。他の女の子たちより背が高いのはいい気分だった。十七歳になる頃には、ビリー・ボガドーニより背が高くなっていた。ミセス・マーティンゲールの下宿屋にはじめて引っ越したときは、男性は自分より背の高い女性とは踊りたがらないからあなたはハイヒールを履かない方がいいと甘ったるい口調で言われたものだった。たぶんそのせいだろう、ミセス・マーティンゲールの下宿屋を出たときは、わたしのヒールはついたときよりちょっと高くなっていた。
エイモア・トールズ『賢者たちの街』P.345 - P.346

 いけてる。ちょっと反発を感じながら乗り越えていくしなやかな強さみたいなのがいい。

 「おかしいと思うかもしれないけれど、あなたとティンカーの仲を疑ったことは微塵もなかったのよ。だからあなたが足音荒くシノワズリから出て行ったときは、あなたがびっくりしただけだと一瞬本気で思ったわ。年上の女と若い男の組み合わせにね。ティンカーの表情を見てはじめて原因がのみこめた」
 「人生は人を感わすシグナルで溢れていますから」
  アンはいわくありげに徹笑した。
 「ええ。判じ物や迷宮だらけだわ。わたしたちが他の誰かの関わりにおける自分の立場を正確に心得ていることは滅多にないし、ふたりの共謀者が互いの関係におけるそれぞれの立場を心得ているかどうかなんて全然わからない。でも三角形の内角の合計は常に百八十度だわーーでしょう」
エイモア・トールズ『賢者たちの街』P.345 - P.346

 一人の男をめぐる二人の女の会話なのだけど、不確かなことに溢れる世界にも確かなことはある。三角形の内角の合計は常に百八十度だわ。




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