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書くために、日々に出来事を作ろうとしたって、十分にそれは立派な人生だった。 2020/06/03

 在宅ワークのピークタイムは昼時だと思っていて、今日も今日とて打ち合わせ終了後から次の打ち合わせの合間に昼ごはんを用意して子供に食べさせなければいけない。で、キャベツがない!とかなって慌ててスーパーに買いに行きとかやっているとあっという間に時間が過ぎていくのだけど、こちとら慌てているものだから、財布だけ持って飛び出すわけで、レジに並んだ瞬間、思い出すのである。エコバッグ忘れた⋯⋯。大きめの袋で5円。まぁ金額としては大した額ではないけれど、エコではない私を突きつけられているようでなんというか申し訳ない気持ちになる。ポイント貯めてる割にはエコバッグ持ってきてないんですね、それめちゃくちゃ無駄ですよね、そもそもエコ意識が低すぎるんじゃないんでしょうか、もっと地球のこと考えなくっちゃ!みたいな無駄な圧迫感というかストレスを感じてしまうのだけど、悪いのは毎回エコバッグを持って行き忘れる自分なのだから仕方がないわけで、やり場のない気持ちを抱えながらラーメンを作った。

 そもそもなんで忘れるかというとお気に入りのエコバッグがないからなんじゃないかとか言い訳を考えてみたりしている。お気に入りのやつを買ったら、そこにスーパーのポイントカードとか入れておいてそれだけ持って出かければOKみたいにしておけるのではないか。となるとちょっと内ポケット的なものは欲しいな、とかエコバッグに関して真剣に考えてみたりしているのだけれど、そもそもそういう関係の仕事してるわけで、こういうことをあーでもない、こーでもないと考えるのも仕事の一環なのだ、多分。

 『モンテ・クリスト伯』を読み終わってしまったので、モンテクリストロスに襲われており、次何を読もうか考えあぐねているのだけど、こういうアイドルタイムを優しく包み込んでくれるのが阿久津隆『読書の日記』な訳で、それをパラパラと読み進めている。

 阿久津さんのお店のことを知らずに、説明書きも読まずに、ぺちゃくちゃ喋る人の話などを読むと、勝手にこっちも憤りを感じてしまい、阿久津さん、あなたは悪くない!負けるな!気にするな!と応援したくなってしまう、というか応援しながら読み進めているのだけど、まだ実際にお店に伺ったことはないただのにわかファンなのでそんなんで応援とか言っているのもなんか違うよな、と思っていたりもする。思っていたりもするが好きなもんはしょうがないわけで、作中『富士日記』を読み終えてしまうことに慄然としているシーンがあるけれども、自分も『読書の日記』がもうすぐ読み終わってしまうことにあー、終わってしまうーという声にならぬ声を上げながら読んでいたのは確かで、それでも読み進めて、ついに読了した。

 読み始めたのが3月28日頃なので2ヶ月と少しかけて読んできたことになるんだな。これは自分の読書体験の中でもかなり珍しくて、大抵数日で読み終わるのだけど、これに関してはのんびりとちびちび楽しみたかった。日記というのはそう思わせる何かがあるのかもしれない。

 書くために計算された行動が増えていたかもしれない。でもそれはそれで構わなかったもしれない。書くために、日々に出来事を作ろうとしたって、十分にそれは立派な人生だった。それにしたってなにがクライマックスなのだろう。そんなふうに考えていることのほうが問題だ。日記にクライマックスなんて必要ないと何度も思ってきたはずなのにバカみたいだ。
阿久津隆『読書の日記』P.1068

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