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彼女の左手の指輪がわたしの指に食い込む。これは仕返しかもしれない。そうではないかもしれない。 2020/10/04

 家のことを考えている。長女がゲームでボーリングをやっていたから、本当のボーリング場に連れて行ってみた。ボールの重さに驚いていた。ボーリング大会のようなことをやっていて想像以上に賑わっていたのが驚きで、確かに歳をとっても続けることができる競技なのだろうな。

 インテリアのイメージを漁っている。こういう時にピンタレストはとても便利で、いけてるイメージが大量にある。しかしこう大量の本に囲まれて一体どういう生活がしたいんだっけというのを改めて考えているのだけど、考えていると本が読めないので困る。

 アトウッドの『侍女の物語』を読んでいる。徐々に明かされていく狂った世界。女性は子供産むための器として扱われ、子供を産めない妻の代わりに一家の主人のこどもを孕み、産むことが仕事の女性たちがいる。それが侍女。彼女たちは、愛人でも愛妾でもなく、侍女であり、奇妙なしきたりの中で生殖を仕事としているのがとても不気味な世界なのだけど、フィクション上のディストピアとはいえ強烈だ。

 わたしの上方、ベッドの頭の方に、セリーナ・ジョイが寝そべっている。彼女は両脚を開き、わたしはそれにはさまれる格好で、彼女のお腹に頑をのせて寝ている。彼女の恥骨がちょうどわたしの後頭部の下に当たり、彼女の太股はわたしの体の両側に触れている。彼女もまたすっかり服を着込んでいる。
 わたしの両腕は持ち上げられている。彼女がわたしの両手を握っている。これでわたしたちがひとつの肉体、つまり一心同体だということを意味しているわけだ。だが、この姿勢が真に意味しているのは、彼女がことの進行を、従ってその生産物もまた掌握しているということだ。もし生産物があればの話だけれど。彼女の左手の指輪がわたしの指に食い込む。これは仕返しかもしれない。そうではないかもしれない。
マーガレット・アトウッド『侍女の物語』P.174

 そしてこの奇妙な儀式的な性行為、ある種の人間性を剥奪された扱いをされている妻と侍女、狂った世界で、握られた手に食い込む指輪の痛みだけがある種の人間性を連想させるなんてのはもう読んでいて色々すごい。


自分の好きなことを表明すると、気の合う仲間が集まってくるらしい。とりあえず、読んでくれた人に感謝、スキ押してくれた人に大感謝、あなたのスキが次を書くモチベーションです。サポートはいわゆる投げ銭。noteの会員じゃなくてもできるらしい。そんな奇特な人には超大感謝&幸せを祈ります。