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人間が、朋輩が助かったということを聞かされてまず第一に立てる叫びは、いったいなんだというのでしょう? 呪詛です。2020/05/29

 今日は久しぶりに出社してみたのだけど、なんとなく街に出ている人も増えている感じがした。自宅のPC用のキーボードが欲しいなぁなどと今更ながらに思い始めて、HHKBとか良いらしいですけど、どうなんですかねなどと思いながらこれを書いている。HHKBだったらこの1文字1文字の打鍵がもう少しこうなんか良い感じになって、すいすい筆が進んだりするんだろうか。すいすい。

 日記を書くようになって、日記を読みたくなるという空前の日記ブームが来ているのだけど、職場近くの大型書店でぶらぶらしていたらジョージ・オーウェルの日記などを見かけて、ほほぅ、と思った。結構お高かったので、今日はほほぅと思うに留めたのでとても偉いと思う。いつか買ってしまうかもしれない予感はしているのだが、なにせ読みたい本が多すぎて読みきれないのが悩みで、いや、悩んではいないけれど、たまに買うのを逡巡する程度で悩みではないな、と思い直す。

 ブライアン・カーニハン『教養としてのコンピューターサイエンス講義』と『モンテ・クリスト伯』を並行して読んでいる。めちゃくちゃ文系だけどパソコンなどガジェットは好きな自分にとって、「コンピューターサイエンス」なるものは近くて遠いものという印象で、入門的な名著に出会えたのはとても良かった。「地球上の誰もが読むべき」というエリック・シュミットの煽りがすごい。でも読むべきなのかもしれない、スマホを使ってる人なら多少なりとも、それらの仕組みについて知っておいて損はないのだから。

 最後に触れておくべき話題が1つあります。すべてが最終的にビットに還元されるのが、デジタルコンピューターというものなのです。ビットは個別にまたはグループで、 どんな情報でも数値として表現します。ビットの解釈はコンテキスト(文脈)によって異なります。ビットに還元できるものなら何でも、デジタルコンピューターによって表現し処理することができます。
 しかし、忘れてはならないことは、どのようにビットでエンコードすれば よいかがわかないものや、どのようにコンピューターの中で処理すればよいかがわからないものが、本当にたくさんあるということです。そうしたものの多くは、人生の中で重要な意味を持つものです。創造性、真実、美しさ、愛、名誉、そして価値。私は、それらは、今しばらく私たちのコンピューターの手に余るものであり続けると思っています。あなたは、そのような問題に対して「コンピューターで」 対処する方法を知っていると主張する人に対しては、懐疑的であるべきでしょう。
ブライアン・カーニハン『教養としてのコンピューターサイエンス講義』P.107 - P.108

 合理や効率だけでは説明できないものの存在や価値を理解しながら活用しないとバランスを欠いてしまう気がするのだけど、まぁそれくらいわかっているつもりでみんなやっているんだろうなぁとは思う。でも実際わかってない気がするなぁ、という人がうまく回らなくなっている気がする。

 このことから、10億個の名前 (おそらく全世界の電話帳を合わせたものに近いでしょう)から目的の名前を探すのには、たった30個の名前を比較すればよいことがわかるでしょう。なぜなら10億は約2^30だからです。これこそが、データ量の増加に比べて作業量はゆっくりとしか増えない理由です。なにしろデータが1000倍になっても、作業量は10ステップ増えるだけなのですから。
ブライアン・カーニハン『教養としてのコンピューターサイエンス講義』P.122

 バイナリー検索という考え方を知ったのだけど、大量のデータの中から目的のものを探し当てる方法。データがソートされていることが前提だけど、常にデータを2つのグループに分けて、探しているものが含まれるグループをまた2つに分けて、と繰り返していく探索法で、これならデータの母数が増大しても、作業ステップが少ししか増えない。こういうのって本当に頭のいい仕組みだなぁ、と感心してしまう。このやり方なら自分でも10億のデータの中から探せるぞ、あまりやりたくはないけれど。

 夜は『モンテ・クリスト伯』の続きを読む。伯爵が客人に座るように勧めるシーンがあるのだけど、それが「布団椅子」って訳されている。布団椅子!? なんとなくソファのようなものだろうと思っているのだけど、いざ布団椅子と検索してみると出てこない。広辞苑や大辞林、大辞泉といったものにも収録されておらず、wikipediaにも無い。というわけでなんか「言葉の死」のようなものに立ち会ってしまったような感覚に捉えられている。昔はある種の家具に対して「布団椅子」という呼称が一般的だったのだろうか?それは当時の辞書には収録されていたりするのだろうか。言葉として使われなくなったと判断されたものは辞書から削られたりするのだろうか。だとすれば、かつて消えていった言葉の辞書が見てみたいと思った。なんかものすごく気になる、「布団椅子」が。

 羊を二匹、屠殺所に連れていってごらんなさい。牛を二匹、屠牛所に連れていってごらんなさい。 そして、そのうちの一頭に向かって、仲間が死なずに済むようになったことをわからせてやってごらんなさい。羊は、喜んで啼き声をたてるでしょう。牛は、嬉しさのあまり吼え立てることでしょう。ところがです、人間、神によってそのお姿を写して作られたと言われる人間、神から、その第一の、唯一の、そして最高の掟として隣人の愛ということを教えられている人間、神から、意思をあらわすために声を与えられている人間が、朋輩が助かったということを聞かされてまず第一に立てる叫びは、いったいなんだというのでしょう? 呪詛です。人間に光栄あれ。自然のつくり出した傑作、作られたもののなかでの王者たる人間に光栄あれ!
アレクサンドル・デュマ『モンテ・クリスト伯(三)』P.35

 なんという皮肉! 死刑になるはずだった囚人2人のうちの1人をモンテ・クリスト伯は助けてやるのだけれど、いざ、死刑執行のために連れられてきた2人のうち1人が助かることがわかった瞬間、もう1人の囚人は「あいつも殺せ!」と叫ぶのでした。それを見て冷ややかに人の醜さを語るモンテ・クリスト伯、という展開。妬みとは、げに恐ろしきものかな!

自分の好きなことを表明すると、気の合う仲間が集まってくるらしい。とりあえず、読んでくれた人に感謝、スキ押してくれた人に大感謝、あなたのスキが次を書くモチベーションです。サポートはいわゆる投げ銭。noteの会員じゃなくてもできるらしい。そんな奇特な人には超大感謝&幸せを祈ります。