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旬のもの、ナウいものに「粋」を見出せないのは、今、まさに目の前で消費されている感じがするから。それに合わせて生きるのは「粋」じゃないと思うだけ。 2020/07/12

 近所の洋食屋さんに久しぶりに伺って、晩御飯を食べ、これまたそのお店の最寄りの普段はあまり行かない方の書店に立ち寄ったのだけど、ボケーっと棚を見ていたら、いつの間にか娘たちは欲しい本を抱えてやってきた。

 店頭に立っている際、子どもが買ってほしいとねだった本を、親御さんが「それはちょっと難しから、もう少し大きくなってからね」と、棚に戻す光景をたまに見ます。そのたびに、買ってあげればいいのに。と、思ってしまいます。
 新刊でも古本でも、その本に「大きくなってから」出会うチャンスは、決して多くはありません。そもそも、本は、可能性を開拓するためにあるので、今この時点で理解できるかどうかは、たいして重要ではないのです。可能性しかない子どもが、直感で「面白そう」と思った本は、なるべく買ってあげるべきだと、僕は考えています。
山下賢二・松本伸哉『ホホホ座の反省文』P.130

 このご意見には激しく賛同するので、基本的に本屋さんで子供が選んだ本は無条件で買うようにしている。若干付け加えるなら、大人も可能性の塊だと思っているので、ちょっとでも気になった本は買っておいたほうがいいと思って、買っている。ちくま文庫の新刊買って帰ってきた。

松本 例えば、雑誌のお店紹介で八〇年代くらいまでは 「誰がお店をやっているか」 なんてことは、情報としてもほとんどなかったし、どうでもよかった。モノが動く時代やったさかいな。人にフォーカスするのは、どんどんモノが動か ないようになって、景気が悪くなった証拠やと思う。コンビニやネット通販みたいに物販としての機能を合理化するか、インフルエンサーみたいに刹那的になるか、今は、そのどっちかやろな。売上を爆発的に上げる。という意味においてやけど。
山下 付加価値はもう効力がない?
松本 例えば、本屋は、斜陽産業であるがゆえの同情を含んだ、文化的シンパシーを得やすい立場にあると思う。ただ、そのことが、店主の思いとか、物語にどんどん寄っていく傾向があるやん? 取材を受ける側としては、嬉しいことでもあるんやけど、サイドストーリーぱっかり注目されて、本質から離れていってる気もするな。「本屋物語」は、もうネタ切れの感もあるし、人は移り気やから、こんなことがいつまでも長続きするわけないで。買う、買わない、のジャッジをそういう付加価値にゆだねるほど、みんな余裕があるんやろか? と。
山下賢二・松本伸哉『ホホホ座の反省文』P.179-180

 いろんなことに自覚的なんだなぁ、という一節で、当事者からするともうサイドストーリーで付加価値ぶっていてもいつまでももたんぞっていう潮目の変化を感じているのかもしれない。世の中コンテンツマーケティングとか言って、サイドストーリー厚くする方向に傾きかけたけど、それが長持ちしないというよりは、しょせん、薄っぺらい物語しか量産できなくて、それでこけていくってのが大半なんだと思う。本当に付加価値つくようなものであれば、いいんだと思うんだけど、「本屋物語」はもうネタ切れっていうのは、「本屋物語」が金太郎飴みたいな量産型になってきていて、そういうのは飽きられるよねってことだったりするんじゃないか。

 一方、本を「本屋物語」の付加価値で買うかというとそれはないような気もする。「本屋物語」の付加価値はその書店への愛着やシンパシーを感じてお店に行く来店動機(及び、気に入った本があれば買おう)には寄与するけれど、結果的に欲しい本がなければ買わない。リアルの書店にわざわざ行くということは、興味のある本がないかなぁ、あれば買うよって話であって、そこで別にこれ面白いから買いなよって言われても要らないものは要らない。「本屋物語」が先行していて、行ってはみたものの棚がつまらなかったら通わない。そんなもんだとも思う。

山下 読書家はこのご時世モテへんけど、とりあえず一目置かれるねん。そういう使い道。でも、ほんまに本ばっかり読んでる人は他人に何読んでるかとかアピールしいひんよ。
山下賢二・松本伸哉『ホホホ座の反省文』P.182

 確かになぁ、こんなヘボ日記もアピールに当たるんだろうか。しばらく考えてみたけれど、当たらんな。誰も読んでないもん。アピールにならへんわ。(エセ関西弁)

山下 「粋」への幻想っていうのがあるのだとしたら、それは自分が経験していない時代や実際に会ったことのない人への憧れもだいぶ、加味されてるよね。
松本  「粋」に、正しい答えなんかあらへんからすべからく幻想でしょう。旬のもの、ナウいものに「粋」を見出せないのは、今、まさに目の前で消費されている感じがするから。それに合わせて生きるのは「粋」じゃないと思うだけ。俺らが好きな過去の文化も、その時代の旬ではあったんやけど、それが「遺産」になれば、別の価値が出てくる。そこに「粋」を感じてるだけの話。
山下賢二・松本伸哉『ホホホ座の反省文』P.192

 同時代に対してつい斜に構えてしまう心理を見事に言語化している気がして、まさに目の前で消費されている感じがするからって、本当にその通りだよなぁ。ホホホ座、いつか伺いたい。go to ホホホ座 キャンペーン。



 


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