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死者を数として捉える視線そのものに、死なないですむ者の奢りが感じられるからかもしれない。 2021/04/03

 朝から調子を取り戻すべく読書。

 多和田葉子『溶ける街 透ける路』を読み終えた。

 死者の数を挙げる自分自身に納得できないものを感じるのは、死者を数として捉える視線そのものに、死なないですむ者の奢りが感じられるからかもしれない。数も大切だが、悲惨さは数値を上回ったところにある。
多和田葉子『溶ける街 透ける路』P.193

 死は数ではない、というか、その数の1つ1つの重みが数で表現された瞬間省略されてしまうような、そんな感じもする。

 妻は映画を観たいそうなので、午後は娘二人を連れて買い物することにした。外出を自粛しているうちにも子供は成長するもので、背ものびた。しばらく服も買ってないので、何か気に入るものがあれば買ってあげたいと思い立ち、普段は行かない大型モールへ行ってみることに。

 ひとまず飯田橋から地下鉄に乗ろうと思い、タクシーを捕まえたのだけど、地下鉄の飯田橋ですね、じゃああのガード越えたあたりですね、はいはい、なんて言っていたらタクシーが真っすぐ向かった先が水道橋でのっけからずっこける展開だった。

 そんなこんなで到着したモールは家族連れで賑わっており、到着早々、服を見る前に通りかかった書店で長女が謎のやる気を見せて理科社会の参考書やらドリルやらを欲しがり、まぁやる気の赴くままに買ったらこれがめちゃくちゃ重い。筋トレというか、苦行。

 この重いドリルやら参考書やらを抱えながら、数時間服を探して歩きまわり、途中で妻が合流し、試着やらを繰り返し、ようやくいくつか購入。しかしもう、とにかく重かった。

 あまりに重いので途中少し休憩して神吉拓郎『神吉拓郎傑作選1 珠玉の短編』を読んだ。

 これがタイトルに偽りなしの珠玉の短編集だったので疲れも吹き飛ぶというか、たぶんこの巨大なショッピングモールで一番素晴らしい本を読んでいるのは自分なのではないかという謎の確信のようなものを感じたのだけど、そもそもショッピングモールで本を読んでいる人は、滞在中一人も見かけなかったような気もする。

 その後、なにか色んなことを慰めるように焼肉を食べた。自分はシンプルなタン塩派なのだが、妻はネギタン塩派らしく、派閥争いが起こりかけたが、大人なので譲った。別にネギが嫌いなわけではなく、うまく焼けなくてイライラするから嫌なだけなのだが、案の定うまく焼けない。すべてのネギタン塩はネギを別盛りにした方が良いのではないか、と思いながらも、まぁ美味いから良いか、という気持ちで食べた。美味しければ大抵のことはどうでもいい。

自分の好きなことを表明すると、気の合う仲間が集まってくるらしい。とりあえず、読んでくれた人に感謝、スキ押してくれた人に大感謝、あなたのスキが次を書くモチベーションです。サポートはいわゆる投げ銭。noteの会員じゃなくてもできるらしい。そんな奇特な人には超大感謝&幸せを祈ります。