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絲山秋子の「勤労感謝の日」はとってもマイルドな「82年生まれ、キム・ジヨン」

絲山秋子の『沖で待つ』を読んだのは先日書いた通りなんだけど、表題作もさることながら、収録作の『勤労感謝の日』が好き。

父が死に、通夜の席で部長が母に下品なことを言った上に触ろうとしたところでブチ切れてビール瓶でぶん殴ってしまい、退職することになった現在無職の独身女性が主人公。

命の恩人のセッティングでお見合いするもののお相手はなかなか気持ち悪い相手で中座して逃亡。渋谷で後輩と飲んでもそのまま帰りたくなくて近所のうらぶれた中華屋でもう一杯ひっかけて帰る。

ただ、それだけの話なんだけど、全体を通じて、女性が生きていく上で女性という性から逃れられない感じが巧みに織り込まれていて、とってもマイルドな「82年生まれ、キム・ジヨン」って印象。

ビール瓶でぶん殴ったムカつく部長は、「母に下品なことをさんざん言い、挙げ句の果てに「奥さんさびしかったらいつでも」と言って私の生まれてきたあたりを触ろうと」するし、ムカつく見合い相手には「頭のなかではコイツトヤレルノカ? という声がする、うーん、極めて難易度が高い。」と考えてしまうし、中華屋でトイレに入ると生理が来ていて「中出しでもしてれば生理は神様からの授かり物のようにありがたいが、何もない月はただ気持ちが悪くて、女って嫌だなと確認するだけだ。生理なんかなくても私は一生に何百回も女は嫌だと思うんだろうが。」と回想する。

まぁ、これらは逆にいうと必然で、生と性の分かちがたさの物語であるからこそ、部長は母親の「私が生まれてきたあたり」を触ろうとするし、顔も性格も悪そうな男との性交の可能性を考えてしまうし、帰りに居酒屋で生理にもなるわけだ。

特にそれをキム・ジヨンほど大上段に振りかぶって振り下ろすのではなくて、もう少しさりげなく潜ませてくる。誰にでもある日常のちょっとしたため息のように女性のしんどさを描く作品。

こういうのを読むと、やっぱり物語そのものよりも、あるあるを言語化するハッとする瞬間とか、ストーリーじゃない空気感とか見えないものを感じさせる小説が好きなんだよなぁ、と思う。

そもそも、小説を書くっていうのは言葉で書き表せないようなものの輪郭を言葉を連ねながら浮き上がらせていくような試みだよね、って側面があって、別に物語=小説なわけじゃないんだよなぁ。

そう言えば、
「この作品で描きたかったテーマを一言で言うと?」
「一言で言えたら小説なんて書きません」
って言うインタビュワーと作家の小話、どっかでみた気がするな。
そう言うことだよ。




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