見出し画像

2「ジョニー・デップにせかされて」言葉をつむぐ快感を知る。

👉まとめ記事はこちら
👉前回の記事はこちらです

Meeです(^^)/

なんとか文系の大学に滑り込んだMeeさん。

サークルの説明会で
ジョニー・デップばりのカッコイイ先輩が
勧誘をしていました。

田舎から出てきたばかりのワタクシは
「何この人すごくカッコいい!
この人のサークルに入ろ~~~っと」

そのサークルのブースに行ってみると
そこには
「文芸部」と書かれた看板が。

そうです、
ジョニー・デップはハリウッドではなく
文芸部にいたんです( ´∀` )

さっそく入部。

そのサークルは
映画について語り合ったり
テーマを決めて読書会なるものを開催したり

部員が書き連ねた作品(小説、詩、エッセイなど)を
まとめて発行する活動もしていて

当時のMeeさんは
とてもシャイだったので

「恥ずかしいから今回の発行は見送って、
次回の時に自分の作品を出してみよ~。
今回は、様子見でいいや

と、生ぬるいことを考えていたら

そのジョニー・デップに
ブチ切れられて
なんで書かないんだよぉ、1年よぉ」的なことを言われ
※記憶が定かではない。ショック過ぎて(笑)

え~、そんなつもりないっす。
やる氣がない、とかじゃないです。
ただ、恥ずかしくて・・・

書きます、と。涙

そんな流れで
自分の詩を
人生で初めて「したためた」のでした。

今思うと
あのときジョニー・デップがブチ切れてくれなかったら

自分の心の内側を言葉にして
外の世界に出す
、という
「快感の扉」を開けることはなかったかもしれまへん。

ピンチはチャンス。

ジョニー・デップは
未知の世界へのドアマン。(扉を開ける係。ひどい)

そんなこんなで
Meeさんが書いた作品を読んでくれた他の先輩が
「俺、涙でた」と言ってくれたり、

数年後に
Meeさんが就職活動をし始める時期に
後輩に
「ホントはコピーライターになりたいんだよね」
って呟いたら

「Meeさん、なれると思いますよ。作品、いいと思うし」
って言ってくれて
心にシビレが走ったり

(その後輩がワタクシにとっての
2人目のドアマン(笑)となっていることは本人は知る由もない)
などなどあって

「やっぱ、広告業界で働く!

少なくとも出版社とか、
何かしら言葉や文章にたずさわる会社に入るんだ!
と鼻息荒く就職活動を始めたのでした。

結果、4年生の夏をむかえても
あらゆる企業はMeeさんを欲していないようで。

この時はじめて、

「この世のあらゆる会社が
ワタクシをいらないよ~。必要、なし」って

言ってる( ;∀;)

もう、自分には価値がないんだ

これから、どうしよ。涙

と、ホントに心がぽっきり折れて
「行き場のない自分」に
ただただ絶望していたのでした。

(まだまだ人生を「客観的」に見ることをしていない時期。
だから、しゃーない。むしろ、視野が狭すぎて懐かしい( ´∀` )

そして
学生時代からのラーメン屋のアルバイトを続け、

その後に
ひろってもらった写真事務所(上下関係が軍隊レベル)で
頭や顔面をド突かれたり

(今だったら間違いなく訴訟起こしてる。
同期の子はストレスで血尿とか出てた(;^_^A)
して

ようやく
デザイン事務所で働く日を迎えたのでした。

※この頃にMeeさんの心の奥底に
「年功序列」という「信念」が
思いっきり刻み込まれていったのです。時代、ですな。

次回
👉3 あなたにとっての「信念」て、何ですか?
につづく✨

よろしければサポートお願いします。いただいたサポートは、より良い記事執筆のための活動費とさせていただきます~(^^)/