保険外交員
コーヒーショップで働くことがすっかり嫌になりました。
仕事というのはどんなものでも、
信頼や尊敬できるオーナーや店長や上司の下で、
その人たちの役に立ちたい、笑顔が見たい、褒めてほしい、という気持ちでするものだと思います。
オーナーのことも、店長のことも、すっかり信用できなくなっていました。
仕事を終えて、保育園に子供達を迎えに行く前に、どこかでお茶でも飲もうと思い、近くのドーナツショップに入りました。
その店に入ったのは初めてでした。
飲み終わったカップを下げようと立ち上がりかけたときに、2人の女性が走り寄ってきて
「ちょっとだけいいですか?」
と声をかけてきました。
「え?宗教の勧誘?」
と、すぐに思いました。
ため息などつきながら、悩んだ顔をしていたからかもしれない、と。
ところがよく見ると、その2人は、今まで何度となく声をかけられてきた宗教の人達とは雰囲気が違っていて、なんだかお洒落なご婦人達でした。
「いま何かお仕事してますか?」
その地域に友人もなく、夫との会話もない私は、人恋しさもあり、
無下にあしらう気にはなれず、また座り直して話を聞いてしまいました。
2人は保険外交員でした。
本当は、そんな仕事をしている人はとても嫌いでした。
OL時代に、しつこく勧誘された経験もあり、断り切れない気弱な新入社員達から毎春強引に契約をとっていくおばさま方を見てきたからです。
でも、その2人は、なんだかホワンとしていて、
「仕事はしなくてもいいから、保険の勉強をしてみない?」
と言ってきました。
「参加するとお弁当も出るよ」
と。(記憶が曖昧ですが、日当ももらえたかも?)
ちょうどコーヒーショップを辞めたくなっていた私は、気分転換に参加してみようかな?と思いました。
そのような意思を見せるとすぐに、
「今から早速会社へ行きましょう!すぐ近くだから!」
と、徒歩数分のその会社まで連れて行かれました。
ベリーショートで「宝塚かよ」と突っ込みたくなるような化粧の濃い、今度はいかにも外交員的なおばさまに会わせられました。
「気楽な気持ちで勉強しに来て」
とにっこり言われ、嫌な感じはしなかったので、コーヒーショップの仕事の合間に、その勉強会に参加しました。
私は、そもそもお金のやりくりに苦労していたので、全くもって保険とは縁のない生活をしていました。
いざ、よりも、いま、が大切な毎日でした。
子供の頃に住んでいた団地で、仲良くしていた友達のお母さんが、保険外交員をしていたので、私の母はおつきあいでいくつも保険に入っていました。
おそらくどれも貯蓄タイプのもので、よく
「もうすぐ保険が満期になる」という言葉を耳にしました。
祖父・祖母・自分・私など、何人も被保険者にして契約していたようです。
社会人になり私も勧められましたが、自分で加入はしませんでした。
学生時代は勉強が大嫌いだった私でしたが、久しぶりにする勉強がとても楽しく、予習や復習もして成績も良かったので、とても褒めてもらえました。
私は『期待の新人』だったようです。
褒められることに飢えていたので、
『枯れた花がまた咲いた』くらい、心が元気になりました。
保険の大切さをよく知り、何度も会ううちに仲良くなった人もいて、
嫌いだったはずの保険外交の仕事に対して、前向きな気持ちになっていきました。
最初に誘われた言葉の通り、勉強会に参加した人が全員そのまま外交員になるわけではありませんでした。
本当にお弁当を目的に来ている人もいました。
会社としては、保険の仕組みや内容を理解してもらい、気に入って契約してくれる人もいればいいな、という感じなのでしょうか?こんなに人を集めてお金をかけて…
勉強しても意味が全く理解できないような人もいました。
今でも忘れられないのは、
書類に名前を記入するときに
姓:の欄に『女』と書き、
名:の欄にフルネームを書いた人がいたことです。
日を追うごとに人数が減っていきましたが、仲良くなった人達も
「やってみようかな」
と言っていたので、思い切ってコーヒーショップを辞めて、私も外交員になりました。
最初に声をかけてきた2人のおばさま方のチームに配属になりましたが、
彼女達はそれぞれに自分の仕事があるので、新人には、仕事を教えてくれる別の担当者がついて、担当地区などを一緒にまわってくれました。
職域も決められていて、私は自動車会社でした。
担当地区では、突然知らない家をピンポンしろということではなくて、
すでに契約しているお客さんの家に行き、
「新しく担当になりました、よろしく」
という挨拶をしてこいとのこと。
その人の生活状況や家族構成が変わっていた場合、新しい保険を契約してもらえることもあるかもしれないからです。
でも、なかなかそんな人はいませんでした。
知り合いの生年月日などを聞き出すことも仕事のひとつでした。
保険設計書を作る練習をするために。
そして、作ったから説明する練習にも付き合ってほしいと持ち掛け、
あわよくばそのまま契約まで持ち込もうという魂胆です。
設計書を作った知り合いと会うときには、チームのリーダーか指導者を連れて行くように言われましたが、数少ない知り合いに嫌われるのは嫌だった私はそれはせず、会社には
「ひとりで会って説明したけれど断られた」
と、報告していました。
職域では
「また担当変わったんだ~」
と何人もに声をかけられました。
保険外交員が出入りすることには皆慣れっこで、聞けば生年月日などは簡単に教えてくれます。
でも、その先の断り方にもみんな慣れているのでした。
正式な外交員になってすぐ、一緒に勉強会に参加していた人が、何件も契約をとってきました。
彼女は、その保険会社に入る前に、別の保険会社にいたと聞いていたので
「さすが~」
と思いましたが、改めて聞いてみると、
前の会社での契約者を、新しい会社の保険に入れ替えていただけなのでした。
保険会社ではよくパーティーがありました。
〇日までに〇件とれれば、〇〇ホテルでディナーとか、〇〇温泉旅行、とか。
有名店のお取り寄せお菓子をプレゼント!など。
人参をぶら下げられた馬のようです。
新人にはノルマはないと言っていたはずなのに、
「絶対達成してパーティーにいくんだからねっ!!」
などと、上の人がプレッシャーをかけてきます。
私は特にそんなことに参加しなくてもいい、そんなプレゼントは欲しくない、
と思うのですが、締め切りが近くなると、上司たちの目の色が変わってきます。
下の私たちの成績によってこの人達のお給料が決まるのだろうか…と思いました。
私にも担当地域に何人かお話を聞いてくれそうな人ができました。
勉強してきた通り、お客さんの役に立つような、納得してもらえそうな設計書を作ろう。自分なら、毎月これぐらいなら払えるかな…
ところが、
私が作った設計書を上司に見せると
「ダメダメこんなの!」
と、みんな作り変えられてしまいます。
上司に作り変えられた設計書は、一般的な人にはとても必要とは思えない保障額だったり、毎月払えるわけないじゃんこんな金額!と思うような高い保険料のものになってしまうのでした。
自分が良いと思わないものを、うまく説明できるわけなどありません。
お客さんにとって良いものではないものを勧めるのは、嘘をつくということであり、詐欺のようなものです。
せっかくお話する機会ができても、契約などしてもらえるわけがないのでした。
保険の設計書には点数がついていて、
点数×〇〇円
がお給料になるのですが、掛け捨て金額が大きい設計書の点数は高く、
貯蓄部分や、解約したときに返戻金が多く戻るようなものは点数が低いのでした。
会社の利益が大きくなる設計書を作れば、自分のお給料も上がるのです。
私は、お給料は少なくてもいいから、ちゃんとお客さんのニーズに合ったものを確実に1件ずつ契約していきたいと思いましたが、
何と!そもそも貯蓄タイプの契約は、1件ではなく0.5件の扱いなのでした。
その契約をとってしまうと、それを1件にするために残りの0.5件をとりなさい!と、また上司に鬼のように言われるのでした。
生命保険会社では、損害保険も扱っていて、それも勉強し、資格試験を受けなければなりませんでした。
その他に、別にがん保険があり、それはそれで勉強しなければならず、またお客さんにすすめなければならず、やることがたくさんでした。
どれかひとつをとればいいわけではなく、どれもやれ、ということなのでした。(生命保険を2件・がん保険を1件・損保を1件、を毎月)
そして、ヘタに早めの締め切り前に生命保険を1件とってしまうと、例のパーティーに参加するために損保とがん保険を絶対にとってこい、などと無理なことを言われてしまうのでした。
人を誘って外交員にすることも仕事の1つだったのです。
だれかが外交員になり、最初は友達や家族に協力してもらい契約をとり、もう協力してくれる人がいなくなると辞める。
それを繰り返せば契約者が増える仕組みです。
どうしても契約がとれないと、上司のお客さんや、お客さんの方から見直したいと申し出があった人などがこっそりまわされます。
前日まで
「も~全然いないーーー!」
と騒いでいた人が、次の日の朝礼後にすぐ上司とこそこそ出かけていくのを見ると、
「ああ、契約をもらえたんだな」
と、羨ましくなります。
また頑張ることが馬鹿馬鹿しくなります。
私を勧誘したおばさま方は、毎月きちんと2件くらいずつ契約をとっていました。
どうやったらそんなことをし続けることができるんだろう…?
実はそれにもからくりがありました。
保険も日々新しくなります。
私が入社した当時はちょうど、入院1日目から保障してもらえる、という保険が出始めた時期でした。
それまでは、『入院3日目から』とか、『最高〇日分』など、免責期間や条件がついた保険がほとんどでした。
1泊入院については
「例えば夜の11時に急性アルコール中毒になり病院に行き、点滴を1本打ってもらうことにより日をまたぐと、それは入院の扱いになる」などという売り文句を研修で習いました。
長く在籍しているおばさま方は、古いタイプの保険契約をしているもともとのお客さんに新しいものをすすめ、新しいものに変更することにより、1件契約したことになるのです。
お客さんにとっては、新しい商品の方がお得な気がするでしょう。
でもそれは、『いざ』というときがきてしまった人だけなのです。
なぜなら、新しい保険に切り替えるときに、今まで払ってきた中での積み立て部分(解約返戻金になるお金や、健康で満期を迎えたときに受け取れるお金)はほぼなくなってしまうのです。
恐ろしい仕組みです。
おばさま方が入社した当時は、保険会社も数社だったでしょう。
お客さん側にはほとんど知識もなく
「とりあえず1件は入っておいた方がいいよ」などと言われて、入る人が多かったのだと思います。
何十年も経ち、保険会社は増えて、国外の会社も参入してきて、お客さんも保険会社や種類を選べるようになりました。
テレビ番組や本などで知識を得ることも出来るようになりました。
「〇〇さんは、入院して手術したら保険が下りて、逆に儲かったみたい」
とか
「〇〇さんは入院したけど3日だったから保険は下りなかったみたい」
などという情報を耳にする経験もあったでしょう。
新規の保険契約をとることは、以前に比べてそう簡単なことではなくなったはずです。
私の在籍していた支社には、大きな宗教団体に入っている人が何人もいました。
その人達は急ぐことはなく、でも確実に毎月契約をとってきていました。
同期ではないものの、ほぼ同じ時期に入社した年下の女の子がいました。
女の子といっても、既婚者で、私の次女と同じ年の子供もいました。
彼女の夫は運送会社で働いていました。
彼女は会社に申し出て、夫が勤務している会社も職域のひとつにしました。
すると、簡単にいくつも契約をとってくるようになりました。
ご主人が協力的なのか、はたまた、ご主人はよほど会社で人望が厚いのか、と感心したのですが、彼女は隠すことなく笑いながら話しました。
契約をもらうために、夫の会社の同僚達と体の関係を持ったことを…
私は、この会社にい続けると、『常識的な人間ではいられなくなる』と思いました。
【つづく】
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