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〜なぜ日本の医学部ではなく海外の医学部を選んだのか?〜 自己紹介を兼ねて

お疲れ様です。 InstagramやYouTubeでかなりいただくこの質問。自分のバックグラウンドを話すと簡単には説明できない、その理由がわかるので今日はそのお話を自己紹介を交えて。(最後にハワイのおまけ写真も!🌺)


まず、20数年生きてきた中で訪れた国 は、

🇺🇸アメリカ、🇦🇪アラブ首長国連邦、🇬🇧イギリス、🇮🇹イタリア、🇦🇹オーストリア、🇨🇦カナダ、🇰🇷韓国、🇬🇷ギリシャ、🇭🇷クロアチア、🇸🇬シンガポール、🇨🇭スイス、🇪🇸スペイン、🇸🇰スロバキア、🇸🇮スロベニア、🇹🇭タイ、🇹🇼台湾、🇨🇿チェコ、🇨🇳中国、🇩🇪ドイツ、🇳🇨ニューカレドニア、🇳🇿ニュージーランド、🇯🇵日本、🇻🇦バチカン市国、🇭🇺ハンガリー、🇫🇮フィンランド、🇫🇷フランス、🇧🇪ベルギー、🇭🇰香港、🇲🇴マカオ、🇲🇨モナコ 

です。親の仕事の都合で幼少期から毎年旅行に行き、たくさんの異文化に触れ、視野が広くなっていった頃です。英会話や習い事もたくさん幼少期からやらせてもらいました。(バレエ、ピアノ、水泳、英会話、フランス語会話、塾…)

フランスの小学校入学&教養のお勉強スタート

フランスで迎えました。ローカルな学校に通うことになり(インターナショナルスクールではなく)、幼稚園卒園したての私は右も左もわからないままフランス語を勉強することに…(この話はまた別の投稿で😌🇫🇷)

日本に帰国後は自発的にたくさんの歴史の偉人の本(国内外共に)、古事成語、四字熟語、ことわざ、百人一首、国旗、地理、世界史、美術(絵画)、文学作品(国内外ともに)…などとにかく自分のためになるものを手当たり次第自分の脳に叩き込むかのように勉強する日々が続きました。週末は全国100名城スタンプラリーという歴史好き、城好きにはたまらないスタンプラリーのため家族で国内旅行をしていました。そのいく先々の歴史や地理、文化などあらかじめ勉強していたため、『実際に目で見て、知識とつなげる』勉強が自然とできるようになりました。この旅行は中学校に入った後も続きます…

小学6年生の時、国境なき医師団の活動、司馬遼太郎(私が歴女になる出会い)、坂の上の雲との出会いが訪れます。この頃から小児科医になりたいと思っていました。(今は循環器内科も魅力的に感じていますが…笑)

語学に磨きがかかる&”衝撃”を受けまくる中学時代

さらに英語やフランス語の勉強にも磨きがかかり、スピーチコンテストや英検などの活動に精を出しました。マララ・ユスフザイさんとの出会いもこの時。彼女のニュースにあまりの衝撃に胸を打たれ、さらに勉強の意識が高まります。中1の夏休みにニュージーランド、中3の夏にボストン(Harvard 大学(ハーバード大学)やMIT(マサチューセッツ工科大学)など大学見学)に行き、ここでもかなりの衝撃を受けると共に、海外の大変だけれども自由でアクティブな校風に憧れを抱き始めます。

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↑私の好きな街、上海

海外医学部への準備が始まる高校時代

国公立の医学部推薦のために1年生の頃から好成績を取り続けるために勉強メインになっていきました。とはいえ幼少期からの習い事は続け、プラステニスも始めました。部活はESS・ディベート部で原子力発電とか難しい社会問題について英語で勉強し、議論していました。 漠然と海外の医学部に行きたいと思い始めていたのでフランス語のスピーチコンテストに出場したり、英検、TOEFLなど大学入学に必要な語学系の資格を取るための勉強もしていました。高1の夏にOxford大学の英語研修に(イギリスへ)、高2の夏にパリにフランス語留学に行きました。

海外医学部行きの意志が確実になる、”衝撃”の出会いHLAB

そんな中、海外医学部に行きたい!という決意に変わる出会いが高2の夏に参加したHLAB TOKYOのサマースクール。Harvard 大学やUCLA、コロンビア大学の学生さんが日本に来てくださり、日本の東大や慶應など優秀な大学生の方々とタッグを組んで英語で高校生に様々なテーマの授業をしてくれる泊まり込みのサマースクールです。リベラルアーツを目の当たりにし、参加している高校生や大学生の意識の高さ、視野の広さに圧倒されると共に、『自分も彼らのようにやる気に満ち溢れたモチベーションの高い、キラキラした素晴らしい大学生活を送りたい!自分にもできるかもしれない!』という強い意志が湧いてきました。(今思えば無謀かもしれなかったですね笑)

そういう気持ちが高まり高3へ。これまで語学もかなり頑張ってきました。辛い思いもたくさんした海外経験を踏まえ私には『みんなと同じように敷かれたレールを進むのではなく、道無き道をかき分けるような、スリリングで無謀ではありながらも自分にとって人間として学びの大きい険しい道を選びたい。普通の安定した道ではもう物足りない』という強い気持ちが芽生えていました。プラス、ヨーロッパに住んでいたためヨーロッパのオシャレな街並みや芸術が大好きで、『将来住むかもしれないからそのために医師免許があったほうがいい』という気持ちもありました。

いざ、医学部推薦に出願する成績は取れたけれども、日本と海外の医学部を天秤にかけた時、『海外のを捨てるのは絶対後悔する』という気持ちが強く、結局大変すぎる今の海外でのサバイバルゲームが始まるわけです。


という形で今の海外生活に至ります。長くなりましたが最後まで読んでいただきありがとうございます。また今の生活や、大学情報などはボチボチ気が向いたときに上げていきます😄 

インスタグラムでも幼少期のことや英語のお勉強などどのように勉強していたか投稿にしていますのでご興味のある方はそちらもご覧ください😌

では今日はこの辺で。

長文で疲れてしまったと思うので、おまけにハワイのココヘッドの写真とエピソードを🌴

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↑私の好きなハワイ、オアフ島のココヘッドからの眺め🌋ヨーロッパから日本に帰国した次の日にハワイに向けて再び出発し、時差がごちゃごちゃで寝不足な中ハワイに到着してホテルにスーツケース置いて、その足で休憩もせず向かったココヘッド。準備不足でビーチサンダルで上るハメになるという無謀なチャレンジも無事成功🌺(かなり急なのと、砂埃が凄いのでスニーカーをお勧めします!笑)

不可能そうに見えることも、何事もまずはチャレンジが一番!!笑

Tanp

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