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ステルラハイツ6010

 ダリアは心底憤っていた。

 ゆうべの自分は最高だった。ライブも、その後も。そのはずなのに。

 油断すると頭の中にある男の顔が浮かぶ。

「入って来ないで!」

と叫んで右手で頭上の空を滅多切りにする。

 ムシャクシャするから散歩に出る。リビングを通るとたまこが「お茶飲むか?」と声をかけるが、スルーしてきた。青く高く澄み渡る空の下に出ると、少しだけ気分が晴れる。

 最近知り合ったその男は、それまでダリアが付き合ったどの男ともタイプが違う。同じシンガーでステージでの存在感は桁外れ。それでいてモトのようにまぶしく光を放つというよりは、土臭い匂いを発しながらどちらかと言うと身を潜めるようにしている。それでも常習性のあるその匂いを嗅ぎ分けて、男の素朴でいて胸を刺すような言葉を聴きに観客が集まる。

 出会ったのは友達の主宰するパーティー。ステージの上で唄いながら、ダリアの目は、観客に混じった男のこちらへ向け逸らすことのない熱い視線を捉えていた。ライブが終わるとそのまま二人は磁石が引きつけ合うようにお互いの元へ向かい、ダリアは無言で手を取る男に導かれて、ステージ裏のトイレでカラダを重ねた。その時のことを思うと今でも身体が熱くなる。甘い言葉も優しい手ほどきも一切なかった。それでも自分をかき抱く手つきに態度に、求められているという激しい実感がともなっていた。

 男が自分に何を求めていたのか、今となってはそれがはっきりとわかる。しかしそれはダリアにダリアであるなと言っているように思えた。どっちにしろもう終わったのだ。激しく切ない恋愛はたった数週間で幕を下ろした。今朝届いた「お前のことは弟分のように思っている」というメールを最後に。

「何にせよ、メールで別れを告げるなんて、男らしくはないね」

 少し落ち着いてステルラハイツに戻り、リビングに居たJINちゃんとたまこに事の顛末を話して聞かせると、JINちゃんはそう言ってダリアを慰めた。

「気にせずに、弟分でーすって言って目の前に現れてみたら?」

 たまこは憤るダリアの中にまだ男への未練があることを感じ取って、相手の意表をつくというどんでん返しの最終手段を挙げてみた。

「そんなことできるわけないでしょっ」

 ダリアは目をつり上げた。

 この数週の間に何度も男と会い、その友達と会い、母親にも会った。ダリアはその度に気を遣って周りに気に入られるように努めた。成果は上々だったように思える。男の親しい後輩はダリアのことを「姉さん」と呼んで懐いてきたし、母親は涙ぐんで「こんな息子だけど」と言いながらダリアに男の子どもの頃のアルバムなどを見せてくれた。男はダリアのことを本名の「優子」という名で呼ぶようになった。自分では当たり前すぎて好きではなかったこの名前も、その口から発されるとそれは特別に甘く美しくダリアの輪郭を象った。しかし、組み伏せ強いられるようなセックスだけはダリアの好みに合わなかった。そんな風にしなくても、と思いながらも、男を傷つけたくないという気持ちから言い出せずにいた。せっかく手入れした爪も、おろしたての美しい下着も、官能を刺激し合う余裕がなければ何の意味もない。ダリアはそれを男にわかってもらおうと言葉なしに演出してきた、つもりだった。

 ゆうべはダリアの誕生日だった。夜に一本仕事が入っていたが、男を現場に誘い、その後に泊まるホテルもダリアが予約して、特別なデートをセッティングした。ダリアが相手を魅了するものといえば、やはり唄、ステージ。みんなによく似合うと言われる朱紅色のロングドレスを身に纏って、いつもより多くセクシーなナンバーを選曲し、気持ちを盛り立てた。へその下にお気に入りの香水を軽く吹きかけて、買ったばかりの布の少ない下着を身に着けていた。あの不器用な手つきでそれをはぎ取られることを想像すると、身体の芯が熱くなった。おお南国の果実のように甘い夜よ。男の態度がどことなくぎこちなくなっていたことには全く気が回らなかった。深夜にライブが終わり、男の運転する車でホテルにピットインし、夜景の見える部屋で押し倒されたところまでは、ダリアの想像の範疇で物事が進んでいた。いつものように組み伏せられるとダリアは意を決して

「ちょっと待って」

と男を押しとどめた。そして妖艶な微笑みを浮かべながら

「もっとゆっくり楽しみましょう」

と言うと、男は体を翻し

「お前は支配されたことがないんだな」

と言って、脱ぎかけた服を着ると、さっさと部屋を出ていった。残されたダリアは唖然としていた。おそるおそる、まさか、気分転換にドライブでもして帰ってくるかもしれないと、ベッドの中で待ってみたが、男が戻って来ることはなかった。そしてそのまま夜は明けた。

「やりすぎかも」

「キャラ間違ってない?」

 全て聞き終えると、たまこもJINちゃんも呆れるように言った。

「彼も彼だけど、ダリアもダリアだよね」

 そう言ってうなずき合う二人にダリアは

「何がわかるのよ!」

とクッションを投げつけて、足早に赤い部屋へと消えた。自分の何が悪いのか、今のところダリアには理解できない。やるだけのことはやった。それでもうまくいかないのは、相手選びが悪いのだ。それに、一度ここまで送ってくれた時、男は玄関前の看板を見てこう言った。

「ステラレ、ハイツ?」

 確かにあの手描きの看板は、記号のようで絵のようで、言われた通りに読めないこともない。それが、こうなった今となっては不吉な予告のように感じられる。何が十二年に一度のモテ期到来だ、あのミミ子の霊感もあてにならない。いつも麻雀ばっかりしているし、レズビアンだとか言って結局いつも一緒に居る謎の中国人にほの字のようだし、そう言えば、ここに住む他の誰も、コケシだし、金髪だし、男運のよさそうな感じがしない。

 ダリアは勝手にそう決めつけると、最早ここに居ることが全て諸悪の根源のような気がしてきた。


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