見出し画像

【試し読み】下川裕治責任編集『日本の外からコロナを語る 海外で暮らす日本人が見た コロナと共存する世界各国の今』(2020年12月14日発売)

『日本の外からコロナを語る 海外で暮らす日本人が見た コロナと共存する世界各国の今』は旅行作家の下川裕治さんがまとめた、海外に暮らす日本人9人のレポートです。海外でのコロナ禍の暮らしはどうなっているのだろう? コロナ禍での日本の中の暮らしは外からはどのように見えているのだろう? ロックダウンが起きたあの時は、そして今は?
ここに公開するのは下川裕治さんが執筆した「はじめに」です。この前書きにつまった下川さんの思いから、この本が生まれました。ぜひ読んで、そして9人のそれぞれの物語へ手を伸ばしていただければうれしいです。

画像1

はじめに

「どうしているだろうか」
 本書の企画はそんな心配からはじまった。
 世界をコロナ禍が覆う前、僕は頻繁にアジアや欧米と日本を行き来していた。多いときは月に2回、パスポートに出入国スタンプが捺された。
 ほとんどが仕事である。旅を書くことを生業にしているのだから、海外に出ることは、いってみれば飯の糧を得ることでもあった。
 海外では現地に住む日本人の世話になることが多い。話を聞きたい人を紹介してもらったり、名もない村への行き方を教えてもらったりする。そんな人間関係ができあがっていた。ときに話は人生相談まで発展する。彼らは現地で働いている。日本とは違うさまざまな問題を抱えていた。
 新型コロナウイルスは、そんな関係をぷつんと切ってしまった。僕は翼を痛めた鳥のように、日本で時間を右から左へ、そして左から右へと動かす生活を余儀なくされた。
 通信環境の発達で、彼らとの連絡は容易だ。しかし空気の湿り気やにおいは伝わってこない。ときにZOOMで話すこともあるが、ときどき、同時に声を発してしまうことがある。目の前にいれば、相手が話そうとする口や頬の動き、そしてしぐさを敏感に察知し、どちらかが聞き役にまわる。その呼吸がうまくいかない。
 原稿というものはやっかいなもので、相手の息遣いや話の間のようなものがヒントになる。僕の前では強がっていても、唇の動きに寂しさが宿っていることがある。そこから原稿のトーンが決まっていく。
 街を描くときも同じだ。歩道の隅に澱んでいる空気や、風の強さや、意味のない騒音が原稿のベースになる。
 原稿を書くために海外に出向くということは、それを探しにいくことで、電話やズームで伝わる情報ではない。物書きというものは、どこかエッセンシャルワーカーの仕事のスタイルに似たところがある。
 本来なら僕が現地に出向き、話を訊きながら原稿を書くことが筋なのだろう。しかしそれができない。いや、ZOOMで話を聞いて、それをまとめる自信がない。なにかが大きく欠落してしまうのではないか……。そんな思いが頭をもたげてくる。
 皆に呼びかけることにした。
「コロナ禍での暮らしや、思っているものを書いてみませんか」
 声をかけた相手は、原稿を書いて生活をしている人だけではなかった。そういう線引きはしなかった。原稿を書いた経験とは関係なく、メールを送った。
「書いてみたい」
 そんな思いを優先したかったのだ。
 感染が拡大していくということが強いる不自由な暮らし。そのなかでなにを考えたのか。海外から眺める日本はどう映ったのか。
 コロナ禍に陥る前、日本と世界を結ぶ交通網は、「こんなに楽になっていいんだろうか」と不安になるほどの密度をつくりあげていた。飛行機は頻繁に飛び交い、その運賃も年を追って安くなっていった。国によっては、LCCを使えば、日本国内を移動するような金額で行き来ができるようになった。
 僕の知人たちも、よく日本に戻っていた。人によっては、毎週のように東京で会っていたこともある。
 ところが感染を防ぐために、行き来は厳しく制限されるようになった。知人たちは皆、現地に幽閉されるかのような環境に追い込まれていた。
 そのなかで、彼らはなにを考えたのだろうか。
 9人の知人が手をあげてくれた。韓国、台湾、中国、ベトナム、タイ、フィリピン、カンボジア、フランス、アメリカ。そこそこの長さになる原稿をまとめなくてはならない。それなりに大変だったとは思う。
 依頼から3週間後を一応の締め切りに設定した。僕のなかでは、半分以上の人が、「もう少し時間をください」と連絡してくるような気がした。ところが締め切り前に、ほどんどの人が原稿を送ってきた。
 コロナ禍で在宅時間が長く、時間があったこともあったかもしれないが、届いた原稿を読み進めながら、ある種の熱が波を打って伝わってきた。
「いいたいことが山ほどあったんだ」
 新型コロナウイルスの感染は、海外に暮らす日本人の心に共鳴する事態だったことを改めで知らされた。
 読み進めてもらえばわかると思うが、海外の国々は、日本よりはるかに厳しい感染予防策をとっているところが多い。完全なロックダウンや外出禁止まで踏み込んだ国は少なくない。はたしてその手法が正しかったのかは誰にもわからない。これほどの感染拡大を多くの国が予測できなかったのだ。
 そのなかでの暮らしを理解するために、当たり前な状況を何度も反復させながら読んでほしい。
 彼らは日本ではなく、海外に暮らしているという事実だ。
 海外で生活したことがない人は、その感覚をなかなかつかみにくいかもしれない。日本に暮らす日本人と海外で生きる日本人の決定的な違いは、その数である。海外在住日本人は、その国では、圧倒的な少数派なのだ。
 手記を寄せてくれた人は全員、日本や日本の企業から派遣された人たちではない。自ら海外暮らしを選んだ人たちだ。そしてそのほとんどが、その国の選挙権をもっていない。日本に暮らす日本人が、当然のようにもっている権利がないのだ。
 日本にいる日本人は、新型コロナウイルスに対する政府の対策を、声高に批判することができる。反対運動を起こすこともできる。しかし海外在住日本人は、民主的な手段で政府を批判していく手段をもっていない。主張や批判を声にすることはできるが、最終的な判断は、その国の国民になってしまう。
 今回のコロナ禍で、日本にいる人は、政府からのさまざまな給付金を受け取ることができた。しかし海外に住む日本人は受け取ることができなかった。暮らす国にもよるが、アジアの場合、給付金に相当するものがなかったり、あっても自国民に限られていることがほとんどだった。つまり海外に暮らす日本人の多くは、どこからも支援金を受け取ることができなかった人が多い。どちらの国からも見捨てられたような疎外感を抱いた人もいる。
 原稿を寄せてくれた方の多くは、その国に長く暮らしている。言葉の問題もなんとかクリアーできる人たちだ。しかし海外在住期間が長いほど、その国にとって、自分はマイノリティであることを実感しているはずだ。
 そんな前提があることを下地にして、この本を読み進めてほしい。
 しかし読んでみればすぐにわかることだが、彼らの筆致は決して暗くない。日本のなかで悩む日本人に比べれば、そのポジティブな発想には頭がさがる。
 厳しいロックダウンのなか、その生活のなかに楽しさを見出そうとしている。ステレオタイプな言葉で申し訳ないが、皆、たくましいのだ。そしてそのエネルギーでコロナ禍を乗り越えようとしている。
 そして日本に向かって、
「日本人も頑張って」
 とエールを送ってくれる。救われるような思いを、行間から読み取る人も多いかもしれない。彼らの言葉のなかから、私たちが学ぶことは多い気がする。
 新型コロナウイルスの感染は収まる気配をみせない。それどころか、感染が拡大しているエリアもある。
 世界の国々は、ポストコロナに向けての話を進めているが、どの国も、明確な羅針盤をもっているわけではない。対処療法的なロックダウンに再度踏み切ったエリアもある。まだまだ模索が続いていく。
 しかし寄稿してくれた人たちは、きっとしたたかにコロナ禍を乗り切っていくだろうという予感が伝わってくる。その言葉を日本人は真摯に受け入れていってほしい。
 出版にあたり、編集者の諏訪満里子さんのお世話になった。

2020年11月  下川裕治

『日本の外からコロナを語る 
海外で暮らす日本人が見た コロナと共存する世界各国の今』

メディアパル 四六判・並製・224頁 2020年12月14日発売
ISBN978-4-8021-1049-5 C0095  定価:本体1,300円+税



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?