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ここから先は夜の歩道橋

短歌のことをもっと考えたいと思い、マガジンとして定期的に発信をすることにしました。

表現というものにはすべからく質量があって、その重みに耐えうる心を作るには、日々持ち上げることを続けるほかない、と思います。止まることなく歩み続けた先に初めて、自在に手足を動かせるようになるはずだ、と。

twitterでの投稿はいわばミニマムな個室で、例えば短歌と少しの評を添えるだけで簡単にそれらしい空間を得られます。けれど、それだけではおそらく自分の中で積み上がらない。確かな構造と質量を伴い、いつでも手にとってもらえる形にして言葉を残すこと。書く言葉を、流れに放つだけではなく責任ある評にする。そうやって少しずつ表現を続けることで、どうにかこうにか作歌を再開することが主な目的のひとつです。そしてその過程で、少しでも多くの人に短歌のことやそれを表す言葉を伝えることができたら幸いです。

と、ここまでなんだか厳しい鍛錬みたいに述べていますが、要するにすぐ飽きちゃって知らん顔するのを避けたいという一心です。短歌のこと、好きなのに(読む・詠むまでが)えらく遠いという状態でここ数年やってきたので、このへんでなんとか距離を縮めたく……もちろん、納得できる評を、他ならぬ自分でしたい!という気持ちも大いにありますし、それを客観的に手に取れる形にすることで、私なりの「短歌鑑賞の指標」のようなものを共有できたらと思います。


そこで、この場では気になった短歌の評を述べます、というか短歌をおかずにおしゃべりをします。音楽でいうと曲を作る・演奏する以外に好きな曲を聴いたり選んだり……といったことができるように、短歌にだって歌を詠む以外の楽しみ方・付加価値の付け方があると思っています。

そんで、そうこうしているうちにこう、いい感じで歌を詠む力がついてこないかなと。新しい熱帯魚を水槽に放つとき、まずは袋のまま水に浮かべて慣れさせるというステップがあるんですけど、だいたいそれと同じようなものです。もうほんと、絶望的スロースターターなので……。

ちょうど1年ぶりに短歌のタイムラインを眺めていると、変わらず活動している方や確実に歩みを進めている方が何人もいて、とんでもない尊敬の念とついでに心砕けそうな念を抱いています。

たいてい砕けそうになることは以前からそうなんですけど。変わらずなにかを受け取り続け、生み出し続ける人たちは本当にすごい。手に取れる形で作品を発表している人はもう、とんでもなくすごい。そうでない人にも、もっと直接的に支援する術があればいいのにな、と思います。ネットプリントとかこれからもじゃんじゃん出力しよう……短歌界隈でネプリ登録のハードルが低くて、いろんな人が気軽に発表しているの、ほんと良い文化だと思う。この内容はいずれ記事として書きます。

短歌にはあんパンのような重みがあり、ときどき手のひらにずしりと感じることがあります。自分にはまだ受け止めきれない景や韻のことを思うと、その果てしなさに圧倒されてしまう。この小さなふわふわの中にいったいどれだけのあんが……と恐ろしくなります。

わたしが短歌を覗くならば、短歌もまた等しくわたしを見返すのだ。それに耐えうる心と読みほどく力と、あわよくば、よい景を捕まえる力を得られますように。こう、そんなに気負わず、ややポップなかんじで続けていきたいと思います。

あこがれがあまりに遠くある夜は風の浅瀬につばさをたたむ/笹井宏之


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