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さぁ。休職が明けるその前に…。最終章

前記事までは、休職の間のあれやこれを振り返ってきました。
いよいよ最終章。まとめに入りたいと思います。

初めてこの章から読められる方もいらっしゃるかもしれませんね。
読み進めていただく前に、一度前章までご一読頂けると
このシリーズの流れが掴めるかと思いますのでご参考までに。


それでは、最終章。
この休職中での雑感諸々、サクッと簡単に
まとめていこうと思います。

自由では全く居心地が悪い

仕事がある日であれば、1日のルーティンはほぼ同じ。
何時に起きて、どんな朝ごはんを食べて、何時に家を出て。
仕事から帰れば、シャワー浴びて、夕飯食べてと…。

休職ともなれば、そのすべてが自由な訳です。
一日の予定、行程は全くの白紙なのです。
大人であれば誰もが憧れるであろうこの時間
期せずして手に入れてしまったこの僕は
その時間を過ごしきて、一体何を感じたのか。


結論から言いますと、僕はその自由を制限していました。
何時でも良いは、この時間に。
何やっても良いは、これをやる。といったように。

仕事がある時とはまた別のルーティンを新たに作り出し
その中で生活する事を、自ずと行っていたのです。
そして課題を自らに課し、1つずつこなしていく。
それは仕事のそれと大きくは変わらないものであるわけです。

結局、ルーティンや課題をこなすという
多少の生きづらさ・不自由な環境に身を置く事を
この全くの自由を与えられた環境の下でさえ、行っていたのです。

皮肉なものですね。
自分の好きな事、やりたい事。
思いついたままにできるチャンスだったというのに…

自分の好きな事? やりたい事?

ん。待てよ。
それって裏を返せば
ルーティンを決めて過ごすこと。課題をこなしていく事。
それが僕の好きな事、やりたい事なのでは?

好きな事・やりたい事と言うのは、少し語弊がありそうです。
恐らくそれは、僕が本能的に求めてしまう事だったのではないだろうかと
そう思うわけです。

自由な時間を目的もなく過ごすという事を
本能的に時間の無駄遣いとして捉え
本能的に僕から遠ざけているようにも感じました。

改めて自分という人間を考える

常に、何か意味のあるであろう事をやることを求めている。
なんか窮屈な生き方だと、自分で自分を嘆いています…。
でも遺伝子レベルで求めているのなら否定はできません。
泳ぎ続けないと死んでしまうマグロの様に
僕もきっと求め続けていかなければいけないんだろうなと。

特段ストイックに生きているつもりはありません。
まぁそこに対して無意識、無自覚なだけだと言われてしまうと
反論できませんが…。

でも「このイギリスにいる時間を少しでも価値のある物にしなければ」
という思いは常に抱いています。不安というか、焦燥感というか。
恐らくこの気持ちがすべての行動、思考の根源にあるのではと。
いや、間違いなくこいつが根っこにあるのです。

イギリスにきてもう3年。まだ3年?
まだここへ来た目標が達成されていないのです。
きっとその目標が達成された時なのでしょう。
この時間が価値のある物として、自分でも認められる時というのは。
まぁどうせ、そうなってもまたすぐ次の目標が出来るんだろうな。
結局いたちごっこ。

しょうがない。それが自分なのだから。


さぁ。仕事はじめますかね。


最後まで読んで頂きありがとうございました。



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