ロイヤルミルクティさんの一生
これは、ロイヤルミルクティさんのお話です。
彼女は、2つ上の兄と4つ下の弟の兄弟とともに育ちました。
少し先を行く兄を見習って育った彼女は、小さい頃から「しっかりしているね」「偉いね」と言われてきました。弟の世話も大好きでお姉さんとして振舞ってきました。
彼女は周りの大人に褒められるのがうれしくて、無意識のうちに大人が喜びそうな振舞いをしていました。
幼稚園の頃から、「大人になったら医者になる」と祖父母や親戚が笑顔になるセリフを声に出していましたし、お遊戯の練習でも周りの手本となるように先生のお話をしっかり聞いてピシッとしていました。
彼女はそのとき自信満々のきんきんに冷やされたアイスロイヤルミルクティちゃんでした。
引っ越しも経験した小学校時代でしたが、「出会いが2倍」とポジティブに受け入れて乗り越えていました。
高学年になると、中学受験のための勉強に励みます。母と同じ憧れの中高一貫校を目指したものの、成績が不安定でした。結果的に一つ下のランクの学校を受験し無事合格し、母娘共々、泣いて喜びました。
それでも親の期待に沿えなかった経験として、彼女に小さな傷ができました。アイスロイヤルミルクティちゃんの氷がひとつ溶けました。
中学に入ると、周りはできる人たちの集まりでした。
小学校の中では速かった単距離走。体育祭でリレーに出たいと立候補し、出場することになります。けれども、本番で前の走者とのタイミングが合わず、真正面からぶつかってこけてしまいます。またひとつ氷が溶けました。
勉強でも音楽でもセンスがない訳ではないのですが、これといって飛び抜けたものはありません。
周りには「明るくてしっかりした子」と思われている自負はありました。一方で、「みんなには光るものがあるのに私なんか…」が一人のときの心の口癖になりました。自分が「普通」すぎて苦しい思春期でした。
ロイヤルミルクティちゃんの氷は溶け、ぬるくなってゆきました。
高校に入っても口癖は変わりませんでした。それでも、小さい頃から掲げている「医者になる」という目標がぶれることはありませんでした。親が好きな大学の医学部に入ること、それが正解だと思っていました。
しかし、敢え無くセンター試験で失敗。周りから見ても自分からしても、浪人する気力があるようには思えず、目指していた大学の普通の学部に入ることになります。
「目指していた大学に入れただけでも十分」「さすがだね」と言われました。でも自分にとっては正解ではない場所だったので、「この気持ちはわかってもらえないんだな」と考えました。
ぬるく、どっちつかずのロイヤルミルクティである自分をどう取り扱っていけばいいのかもわかりませんでした。
それでも周りに恵まれ、大学生活を楽しみました。中高時代とは異なる価値観で生まれ育った人にも出会い、取り扱いに困る自分自身も多少許せるような気がしました。
大学3年生の夏、掲示板で見つけた学生団体に参加することにしました。そこで出会った仲間と気が合いました。ちょうどそのタイミングで一人暮らしを始めたことも功を奏して、仲間と時間を気にせず語り合う時間を持つことができました。
初めてこの中途半端なロイヤルミルクティを今後どうしていけばいいのかわからない、と腹を割って伝えることができました。
ほっこり温かく感じました。
ロイヤルミルクティさんが、自分を自分で温めたいのだ、ということに気がついた瞬間でした。
意図的に、そして周りから求められるようにどうにかしていかなくてはいけない、という思い込みがあったことに気が付くのです。
それからは、ロイヤルミルクティさんの思うままに動くようになってきます。もちろん、周りの目が気になることはあるけれど、何かストッパーが外れたように物事をポジティブに捉えることができるようになってくるのです。
周りから求められるロイヤルミルクティさんを演じるのではなく、開放的でありのままのロイヤルミルクティさんを出すことにも躊躇もなくなってきました。
温かくなりつつある自分に彼女は満足していました。
とはいえ、時間はあっという間に過ぎ、就職活動の時期がきます。
企業から求められるロイヤルミルクティさんを演じている自分に気が付きながらも、何がしたいのかわからないから、求められる像を見つけて面接に臨みました。
そうして入った企業でも、「社会人として」を学びます。なるほど、社会はこうなっているのだなと理解はしたものの、開放的でありのままのロイヤルミルクティさんが現れる瞬間なんてほとんどないのです。
居心地が悪いです。成果が出ても心から嬉しいと思えません。
ロイヤルミルクティは中途半端なぬるさのままなのです。
探しました、ロイヤルミルクティとしていられる場所を。興味のあることに参加しているうちに内側から熱いものを出している大人に出会います。
羨ましいな、かっこいいなと思うのだけれど、自分にはそんな熱源があるような気がしなくて落ち込むことも多かったのです。無意識のうちに自分も熱いフリをしてしまい疲れてしまうこともありました。
数年が経ち、ロイヤルミルクティさんはコーチングに出会います。
これだという確信はない状況でしたが、ぽつりぽつりと友人に今の心境を共有してみました。熱いフリはしなくていい友人に対して。
「ふーん」で終わる人も中にはいたけれど、「向いている気がする!」「よく見つけたね!」「そうだったんだ、私も勉強しているよ」といった言葉を受け取りました。
話していくうちに、自身の中にも熱が生まれて来たのを感じます。
スクールに通い始めます。幸せなことに仲間はみんなロイヤルミルクティさんをそのまま受け入れてくれました。
学べば学ぶほど、この熱は偽物の熱ではないことが確信になりました。自分が生きたい姿と進みたい方向も鮮明になってきます。
結局1年半ほどで認定資格を取得し、プロとしての土台を築きます。
ロイヤルミルクティさんは、気が付くと45度~50度くらいまで温まっていました。この時から彼女は、家族や友人、クライアントとして出会う人達にロイヤルミルクティを分け始めます。
そして安定した職を離れる決意をします。会社を離れるときには出会った仲間にできるだけ一人ひとりに感謝を伝え、これからも繋がっていくことを約束しました。
そして、コーチとしての学びは続きます。海外へ飛び立つことにしました。
イギリスの大学院でコーチング心理学を学ぶことにしたのです。*1
当初の予定では、漠然と日本だけではなく、世界の人にこの温かさに触れてもらいたいとふんわりと海外へ行くことを考えていました。しかしながら、周囲の意見を聞き、何か明確な目標を持って海外へ行くことがよいと思い直したのです。
ロイヤルミルクティさんは、この時最後まで迷いがありました。
「日本の人に限らず、違う国の人たちと触れ合って自分の持つリソース:温かさを広げていくためだ、道にぶれはない」と納得して決断しました。
ここできちんと考えたことが功を奏しました。
もちろん、慣れない環境でうまくいかないこともありました。
ロンドンで慣れてきた頃に選んだ昔ながらのデザインのお家、大家さんとシェアをし始めました。*2
使われていないけれど、暖炉がある広々とした部屋、そしてこじんまりとしたソファのあるリビングルーム、そしてリノベーションされたキッチン。そして猫。
これぞイギリスだと感じ、ワクワクとしていました。
しかし実際に暮らしてみると、大家さんとのコミュニケーションがうまく取れませんでした。
大家さんに対して心を閉ざし、なるべく会わないようになるべく小言を言われないようにと距離を取り、温かさを彼女に届ける方法もわかならいし、終始仮面をかぶった生活でした。
温度が下がっていました。
逃げなのかもしれないという小さな思いはありましたが、
自分が温かくいられるように、そして温かさを分け続けられるように引っ越すことを決めました。
そして、友人が住む部屋のお隣さんになりました。
ふと立ち寄れる友人がいることがこんなにも安心感のあることなのだ、家が安心するという気持ちに久しぶりになれました。
部屋を変えたことに対して自分を責める気持ちがないわけではないですが、動いたおかげで友人との距離もぐっと縮まり、勉強にも集中できた充実したロンドン生活となりました。
無事に卒業し、少しずつですが、着実にステップアップして仕事に取り組んでいきます。
そうしているうちに、ロイヤルミルクティさんの生活に共感してくれるパートナーが現れました。お互いを尊重し変化を楽しみながら創り上げていくことができる人でした。
住むことを選んだのは、ルクセンブルクという小さな国の森のある街でした。*3
毎朝のお散歩や体操で、繊細に変化する自然の姿を日々感じとっていました。そんな状態でするコーチングは、これまでとは比べ物にならない程の包容力や安心感が表現されました。
ロイヤルミルクティさんは60度くらいでいられるようになりました。
コーチングとしての仕事は安定し満たされている中で、ふとこの国で何ができるのだろう、ということを日々考えるようになりました。
何となくいるだけではだめだということはわかっているのだけれど、安心安定したこの状況を手放したくない気持ちなのか、動きも以前より保守的になっているような気がしました。
これまでの出会いが自分の人生を変えてきたように、新しい人と出会うことがきっと何かのきっかけになると思い動き始めることにしました。
半分以上が外国籍のルクセンブルク、出会う人たちは一人として同じ道を歩んではいませんでした。出会った人たちの生き様を知り、言葉に紡いでいくうちに生きる道が見えてきました。
パートナーとの間には男の子と女の子が生まれます。コミュニケーションを仕事とするロイヤルミルクティさんはコミュニケーションの取れない子供たちに大変だなと思うことがありました。
ロイヤルミルクティさんは、50度ほどに冷めてしまうこともありました。
それでも、日に日に変化していく子供たちをしっかり向き合い、パートナーと話し合い、言葉だけではないコミュニケーションの幅を広げていくのです。
夏、山の麓の草原で走り回る子供たちを見ながら、ゆっくり話をしたり日記を書いたりする時間は至福でした。
寒い冬には、ロイヤルミルクティさんは家族や親戚との時間を長く取りました。暖炉の前に集まってそれぞれが好きなことをして過ごす時間もまた至福でした。
子供たちに伝えたいこと、大人たちに問いたいことを絵本の形で世界に広げました。
そしてまた、世界からメッセージを受け取りさらに熱くなりました。*3
ロイヤルミルクティさんは、そんなとき70度まで温まりました。
理想の街に住みながら、旅をする人たちにお茶をふるまいながらコーチングをすることも始めました。
旅という非日常の場所で客観的に自分をより見ることができるこの時間は旅人たちにとっても、旅の後の生活をより豊かにすることにつながりました。
出会った旅人からは帰国後の報告が次から次へと舞い込み、その報告を受け取ることがロイヤルミルクティさんの楽しみでもありました。
ロイヤルミルクティさんは、温かいロイヤルミルクティを他の人に分け与えることを忘れませんでした。
身近な人から物理的には遠くにいる人まで、どんなときにも一人ひとりに向き合って注ぎ続けました。
おばあちゃんになったロイヤルミルクティさんの周りには、気が付くとロイヤルミルクティを分けてもらって温かくなった人たちがたくさんでした。
ロイヤルミルクティさんの輪は、国境も超えて広がっていました。
そして、受け取った彼らが今度はその温かさを伝え始めています。
ロイヤルミルクティさんは静かに安らかに亡くなります。それでも世界にはその温かさは広がり続けていました。
とても幸せです。
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