今日の私は、「バイバイ」という武器に打たれて
11,693日目
過ぎてしまえば懐かしい、一時的な合併家族時間が終わった。
12月7日、3人目が産まれた兄家族。
約2週間、2歳5ヶ月の双子の甥っ子と共に過ごすことになった。
ちょうど意思表示が強くなってきた2人。
欲しいものややりたいことは今すぐじゃないと我慢できなくて泣き、要らないものや嫌なことはイヤの一点張りで泣く。
アンパンマンが見たい、柿が食べたい、レッカー車(トミカ)が欲しい、歯磨きはイヤ、お昼寝はイヤ、パパじゃないとイヤ…
そして、ある時から1人の甥っ子が何か気に食わないあると、私に向かって「バイバイ」と言うようになった。
寝たくない時も私にバイバイ、車に乗りたくない時も私にバイバイ。
最初は気に留めておらず、「はいはい、わかったよ〜」と流していた。
そうすると、癖のように繰り返される私へのバイバイ。
ある夜、いろんなタイミングが重なったとき、急にすごく悲しくなった。
比喩で例えると、針のようにチクチク刺されていた傷がばっくり割れてしまった感覚に近かった。
涙が溢れてきて、止まらなくなった。
母(甥っ子のばぁば)が気づき、抱っこされていた甥っ子も気がついた。
甥っ子に向かって「バイバイって言われて存在が否定されてるみたいですごく悲しくなっちゃって」と歯止めが掛からなくなった私は、涙ながらに大人の言葉で伝えた。
甥っ子はたぶん半分も分かってないけれど、ばぁばに促されるままに小さな声で「ごめんね」と言ってくれた。
彼はそれ以来、反射的に言うことがなくなった。たぶん私が泣いたことが衝撃だったのだろう。大人が泣いたのを見たのは初めてかもしれない。
ただ、彼に何かが伝わったような気がしている。伝えてよかった。
振り返って…
彼にとっての反射でしかなかった言葉、とにかく嫌な時は私に言っていた、「バイバイ」
びっくりするくらい傷ついた。今でも思い出すとかさぶたが少し疼くくらいに。
世の中の親からしたら「なんて些細な」であり、私も頭ではそう思う。
でも、言葉って大きな力がある。武器になることを体感し、そしてきっと包み込むようなあったかい毛布になることもあるんだろうと。
いい言葉を使う人になりたい、と再確認する出来事だった。
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