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「微笑みの木 ~ 実在したある1本の木に寄せて」(連載第1回)

 音大に通っていた若い頃、1枚の写真が妙に気になったことがある。
 幼稚園の1室で撮られたもので、「お店屋さんごっこ」を終えた園児たちが10人ほど横に並び、それぞれが自分の作った紙製の買い物かごや野菜を手にしている。その中で、自作を顔の高さまで掲げているのが、かつての自分だ。自信作らしく、満足気な顔をしている。よほどのお気に入りなんだろう。

 気になったのは、そこに施されている貼り絵のデザイン。子どもが描いたにしては、ちょっと変わっていると思った。
 右半分に顔、左半分に木。その二つが同じくらいの大きさで並んでいる。    顔には輪郭がなく、黒く丸い目、弓なりの眉と口が浮かんでいて、穏やかに微笑んでいるように見える。
 左側の木は、葉も実も付いていない枯れ木のような姿で、幹からは左右に1本ずつ枝が伸び、それぞれの先端が二股に分かれている。
 そんな絵を、なぜ自慢げにこちらに向けているのか・・・。

 写真の中の自分は満足気な顔をしており、何かを伝えたいらしく、その絵をこちらに向かって掲げている。今それを見ているのは、他でもない当の本人なのだが、15年余りの歳月を経た今、何を言いたいのか分からない。
 なぜ、そんな絵を描いたのか、直接問いかけたい気分だったが、当然のことながら、写真の中の自分は、静止したままで、何の言葉も発しない。
 濃い霧に覆われたかのように、もやもやとして、そこからは何も見えてこない。

 しばらく眺めては、何も思い出せないままアルバムを閉じる。数日後またなんとなく気になって、本棚から引っぱり出しては開く。そんなことを繰り返しているうちに、あることに気付いた。

 この絵は、18歳のときに書いた歌とイメージが重なっている。

 その歌詞っていうのが、これ。

  枝のうえに 闇が積み重なって
     揺れ動く 揺れ動く 静かに
  忘れられた 昔の歌の残骸が
  空の高みから 渦巻き 降り注ぐ

  微笑の木 微笑の実がなって
  笑い出す 笑い出す ふわふわ
  立ち止まるあなたは 私の声を聞く
  姿無くした 私の歌声を

  壁の中 呼びかける
  子どもたち 遠ざかる
  海の底に あなたが立っていても
  愛の歌は 空の果てから 響く

  壁の中 呼びかける
  子どもたち 遠ざかる

  微笑の木 微笑の実がなって

 タイトルは『微笑みの木』。実在した1本の木に思いを馳せて書いたもの。

 この歌を書いたときは、写真の貼り絵には気付いていなかったが、「木」「微笑み」「子どもたち」と、まるでその写真を下地にしたかのような内容になっている。

 単なる偶然なのだろうか?

 いや、たぶんそうじゃない。

 抽象的なものを表現したつもりだったが、心の奥に眠っていた「幼き日に感じていたはずの何か」が、自覚されないまま反映されたのではないか…、そう思えてならなかった。

 当時の自分が何を感じていたのか…、無意識の領域に沈みこんだ記憶のカケラをなんとかして表層まで手繰り寄せてみたい。そんな衝動に駆られた。

                       (つづく)  
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