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「微笑みの木 ~ 実在したある1本の木に寄せて」(連載第2回)

 4歳の時から2年間、鹿児島市薬師(当時は薬師町)にある《さみどり幼稚園》に通った。常盤町にあった自宅から約1キロの距離があり、子どもの足で20分から30分かかった。途中に、小学校、警察学校、さらに他の幼稚園などがあって、遠いという印象があった。

 大学帽形の制帽。制服は青い上っ張り。この制帽の形と上っ張りの色を僕は気に入っていた。女の子の上っ張りは濃いピンクで、その色も可愛くて、途中にあった幼稚園の男女同じ色の制服よりイケてると思った。
 小さな肩掛け鞄に弁当箱を入れ、左肩から右腰へと斜めに掛けて幼稚園まで通った。

 現在に比べると、車の数も遥かに少なく、自家用車のある家も滅多に無かった。ましてや専用の送迎車なんて、あるはすもない。子供だけで歩いて通うのが普通で、それでもあまり危ないとも思わなかった。
 バス路線以外の道はほとんど未舗装で、市街地を離れると信号も見かけなかった。
 幼稚園では、道路の右側の端を歩くように言われていたけれど、母親からは、溝に落ちるから、端っこを歩いちゃダメだと言われていた。
 友だちと遊びながら歩いていると、大抵そのどっちも忘れていて、道の真ん中に立ち止まってじゃんけんをすることもあっけど、それでも全然平気だった。
 途中一か所だけ、バスや車の通る幅の広い道を渡らなければならなかった。「城西通り」という名だってことは、まだその頃は知らなかった。この道を渡るときは、「右、左、右」と教わった通りにキョロキョロと安全を確かめて、「それっ」とばかりに全力で走ったものだ。タッタッタッという足音と同時に箸箱の箸がカチャカチャと音をたてた。

 行き帰りに牛乳配達のおじいさんをよく見かけた。長い長いあごひげを生やし自転車に箱を積んで配っていた。自転車はいつの日にかスクーターに代わった。特徴的な風貌だったので、そのおじいさんのことをみんなが知っていた。
 ある日ある時、このおじいさんに会ったら配達を頼むようにと母から言い付かった。まだ世の中に電話が広く普及する前のことで、我が家にも電話はなく、物事を頼むときは直接伝えるしかなかった。
 おじいさんの長く伸びたひげが何だか怖くて声がかけられず、最初のチャンスはみすみす逃してしまい、住所の書いた紙を肩掛け鞄に入れたまま帰った。
 後になって、このおじいさんが甲高い声でにこにこと笑いながら話すことを知ったときは、思っていたイメージとの違いに驚いた。

 年中組のことを「ちいさいぐみ」、年長組のことを「おおきいぐみ」、さらにその下の年少組のことは「あかちゃんぐみ」と呼んでいた。あかちゃんぐみは定員が少なく、畳敷きの小ぢんまりとした和室が一部屋だけで、そこだけがちょっと別の領域だった。自分が最初に通ったのは「ちいさいぐみ」の「うめ組」で、「おおきいぐみ」のときが「ふじ組」。
 最初の配属が梅組だったことと、我が家の庭先に梅の木が立っていたことを、何か宿命的なことのように思っていて、繰り返し「うめぐみさん」と呼ばれているうちに、その梅の木への愛着も強くなっていった。この梅の木のことについては、あとでまたゆっくりと話すことにしよう。

 幼稚園の友だちの顔も何人か覚えている。一番目立ったのは暴れん坊の「ジュンちゃん」。体が小さく、「サシスセソ」を「チャ・チ・チュ・チェ・チョ」と幼児発音してしまう癖が残っていた。すばしっこくて気の強い暴れん坊で、天然パーマがトレードマークの餓鬼大将。いつも何人かの子分を従えて走り回っていた。

 そんなジュンちゃんも、体が大きくて力の強い「ひで坊」だけには手を出さなかった。ひで坊は、静かな落ち着いた男の子だったが、見るからに力が強そうで、どっしりとした存在感があった。

 「けいすけ君」は、体が大きかったが、気が弱くてちょっとおどおどしていたので、ジュンちゃんとその子分たち一派から、いつもかわれていた。「けいすけマモロ、けいすけマモロ」と囃し立てられては泣いていたが、この「マモロ」という言葉は、今もって意味不明。

 名前は忘れたが、ジュンちゃんの第一の子分だった子。その子が、トラックにぶつかって入院したことがあった。片腕をギブスで固定し、白い包帯で肩から吊って現れたときは、皆がそれを珍しがった。この子は、トラックに轢かれたのに助かった。しかも元気で戻ってこれた。そんなスゴイ体験をした子は他に居ない。一気に人気者となり、よってたかって質問攻めに合っていた。得意げな顔で答える様子は、まるで英雄のようだった。

 「けいちゃん」は、おとなしい男の子だったが、目の大きな顔立ちが可愛くて、何となく周りから大切にされていた。この子は、どういった事情でか、入園後通い始めるタイミングが、他の子たちより少し遅かった。一人だけ、皆が使っていた真鍮製のお揃いのコップとは違う、乳白色のプラスチックのコップを使っていた。たぶん一括購入に間に合わなかったんだと思う。はっきりとは思い出せないんだけど、通園開始の遅れは、何かの病気で入院していたせいじゃなかったかな…。皆の前にやってくる前、先生から「病気が治ったばっかりなので、大切にしてあげてね」みたいな紹介が、あったようななかったような…。
 けいちゃんのその白いコップは、金属製のコップに比べるとまろやかな感じに見えて、なんとなく特別感があった。

 歯医者の息子「きよずみ君」。この子の家には遊びに行ったこともあって、よく覚えている。学芸会で桃太郎の役をやったときは、お母さんが手作りしてくれた衣装が見事なもので、皆の羨望の的となった。

 僕は我が家にあった金太郎の絵本が気に入っていて、劇の配役を決める時、真っ先に手を挙げて、その役を射止めた。この結果には大いに満足したが、いつも一緒に帰っていた3人から「きんたろう」の後ろの部分を変えて「きんた○」という身も蓋もないニックームを付けられてしまった。

 かくれんぼで鬼になると、こぶしを双眼鏡のように両目に当てて、逃げる子供たちの方を見ていた「けんちゃん」。
「手はしっかり閉じてるから、向こう側は見えないよ」
 なんて言ってたけど、それなら何故いつもみんなの逃げる方向をきちんと向いていたのだろう? また、この子は、クリスマス会にやってきたサンタクロースのおじいさんが乗って来たソリとトナカイを見たという、たった一人の幸運児でもあった。くるくるっとした丸い目を輝かせて、いつも夢のよう体験話を自慢げに披露していた。

 誰よりも早く字が読めるようになっていた「ひろみ君」。自分のことを「ひいちゃん」と呼んでいた。百まで数えられるようになるのも、他の子より早かった。

 「〇○ちゃんにいじめられたの、助けて!」

 と、他の男の子に救いを求める女の子が何人かいた。その中で一人だけ、気弱だった僕にもときたま声をかけてくる子がいたことを覚えているが。名前までは憶えていない。

 年長組に進級するときに編入してきた女の子がいた。この子も名前は憶えていないが、おかっぱ頭の髪がつやつやと光っていて、サッと振り向くたびにサラサラと揺れるのが印象的だった。

 水あめ工場の娘「けいこちゃん」。この子のことを覚えているのは、まだ幼稚園に入園する前に住んでいた鷹師町の家の裏手に、その水あめ工場があったから。鷹師町にいたのは、3歳になる直前までだったから、水あめを貰ったことだけは覚えているけど、そのほかのことは、ぼんやりとしか覚えていない。けいこちゃんのことも、名前以外何も思い出せない。
 常盤町に越してからも、水あめを買うために小銭を紙に包んでもらって、何度も通った記憶があるし、小学校5,6年のときはクラスメイトにもなった。写真を見ると、白く細い首に整った顔立ちで、美人になりそうな感じに見える。でも、他の子が目立ち過ぎていたせいか、口数が少なく笑顔もあまり見せない「けいこちゃん」は目立つこともなくた、直接話したり遊んだりっていう記憶も残っていない。
 高校時代になってから、同じ幼稚園で他の組にいたという友人が、この子の印象を「周りの子より大人っぽくて綺麗な子がいた」と話してくれたことがある。遠くから見ても、美しい容姿が目立っていたようなんだけど、距離感が違うと見え方がこうも変わるのかと新鮮な驚きを感じた。

 他の組に憧れの女の子がいた。憧れた理由はえらく単純。その子が太っていたから。いろはカルタの中に「人参嫌いのやせっぽち」という一枚もあって、太っていることは良いことだと、幼稚園で繰り返し言われていた。母親からも、お風呂に入る前などに、
「ひょろひょろじゃないの! もっと太りなさい!」
 なんて、繰り返し言われていた。母にしてみれば、何気なく口にしたひと言だったかもしれない。でも、言われる側は確実に傷ついていた。当時の写真を今見ると、別段痩せているようにも見えない。まわりの子どもと同じようなごく普通の体格なのに、自分はヒョロヒョロでフニャフニャの情けない奴だと思い込み、
「このままではいけない…、このままではいけない…」
 と、いつも思っていた。
 そんなわけで、太ることに対しては、過剰なほどに憧れを抱き、その理想を実現させ太っている子がうらやましくて、そのまま「あの子が好き」となってしまった。だから「好き」とは言っても、初恋とは程遠く、「青が好き」「飛行機が好き」「晴れた日が好き」「サンタクロースが好き」なのと同じように「あの太った子が好き」なのだった。僕の想像世界では、その子は、太っていることを褒められる自分に満足しながら、心地良い優越感に包まれて遊んでいたことになっているが、当の本人が実際にどんな日々を送っていたかは、知る由もない。
                       (つづく)

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