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「微笑みの木 ~ 実在したある1本の木に寄せて」(連載第3回)

 こうしてすぐに思い出せるような個性的な子が何人もいたけど、そんな中にあって自分だけ何だか影が薄く感じられていて、幼稚園での生活は、僕にとってあまり楽しいものではなかった。

 好きじゃなかったことの筆頭格は歌の時間。音程が外れて濁りまくったがなり声が神経を逆撫でし、その場に立っているのも嫌だった。
 声を合わせての帰りの挨拶も変だと思った。
「先生さようなら! みなさんさようなら!」
「さようなら」のイントネーションがへんちくりんで、2番目の「よ」が高くて、「う・な」と下がってゆき、最後の「ら」だけがことさら強調され、再び高くなる。こんなの他では聞いたこともない。甲高い声で乱暴に発せられるおかしな発音が、今でもリアルに耳にこびりついている。

 お遊戯の時間も嫌だった。手を上げたり回したりその場で一回転したりと、奇妙な動作を強いられる。ただただ気恥ずかしいだけで、そんなことをやらさられている自分が何とも情けなかった。
 毎日のお遊戯のときに歌う歌にこんな一節があった。

 ― はじめに立って おじぎして それからぐるぐるまわります ―

 意味もない動作を強要してくるこの支配的なフレーズが、まるで悪魔の呪文のように心をむしばんだ。
 おかげさまで、半世紀以上が経過した今でも、その部分だけが頭の中でぐるぐる回り続けている。その前後なんて、きれいさっぱり忘れているっていうのにね。

 とにかく、幼稚園のそこかしこにはびこるあらゆる不自然さが、まるでサイズの全く合わない服を無理やり着させられているみたいで、何とも居心地がよろしくなかった。

 外での遊びは、そこまでじゃなかったけど、面白いなんてとても思えなかった。特に鬼ごっこなんかは最悪。逃げ回ることも鬼になって追いかけることも、なんでそんなことをしなきゃならんのか、理解不能でしんどいだけ。それでも仲間はずれにはされたくなくて、でも鬼にはなりたくないので、中心から離れて立ち、できるだけ目立たないように皆と同じように動くふりをするという、なんとも中途半端なディレンマを抱えながらその退屈な遊びが終わるのを待っていた。

 それに比べると、かくれんぼは嫌いじゃなかった。ちょっと好きだったと言えるかもしれない。動き続けなきゃならないしんどさが無かったし、鬼が目をつぶっている間に隠れる場所を考えるのは、まんざらでもなかった。でも、繰り返し遊んでいるうちに、自分だけの秘密のかくれ場を見つけてしまった。園舎の裏の床下に潜んでいると、誰も見つけに来ない。暗闇の中で、ただ一人じっと時が過ぎるのを待つことになる。絶対的安全が保障されるが、ただ待っていても面白いわけがない。砂遊びをしたり小石を広い集めたりあれこれと想像の世界に遊んだり、そんなことをしているうちに、かすかにしか聞こえない遊び時間終了を告げるシグナル音をうっかり聞き逃してしまうこともあった。出て行くと「おにわ」にはもう誰もいない。自分だけがポツンと取り残され、気まずい気持ちで皆がいる部屋にとぼとぼと入ってゆくと、当然先生にはしかられるし、みんなからは白い目で見られる。そんなことを繰り返しているうちに、はじめは楽しかったかくれんぼも、すっかりつまらなくなっていた。
 そんな、どこかズレた子どもだった。

 いつも浮かない顔をして、他の子どもたちと同じ場に立っていながら、少し奥まったところからみんなの様子を眺めている。頭の中から二つの目という小さな窓を通して、こちら側から向こう側を覗き見ているみたいな感じ。目の前に突き出て視界の一部をさまたげる鼻が、目障りだと感じることもあった。
 トイレで手を洗うとき、鏡に自分の顔が映る。その顔は、周囲にいる子供たちの笑顔とは違って、くすんで見えた。そんな自分の顔が嫌いだった。
 できるものなら自分の体を脱ぎ捨てて、広々とした空間を自由に飛び回りたい。そんな願望がいつもくすぶっていた。

 幼稚園での時間を終えたあと、一緒に帰っていた3人が、こうじちゃん、まさとしちゃん、けいちゃん。道で10円玉を拾ったりすると、幼稚園で教わったとおりに、交番に届けたものだ。するとお巡りさんは「えらいね」と褒めてくれたあと、ご褒美に自分の財布から10円を取り出して渡してくれたものだ。通園路沿いにあったその交番は、今は無くなっていて、それがどこだったのか、具体的な位置が全く思い出せなくなっている。

 道すがらの遊びで代表的なのが「グリコ、パイナップル、ち・よ・こ・れ・い・と」。ジャンケンして勝った子だけが前に進めるっていう、たぶん誰もがお馴染みのアレ。あと、電柱の位置でじゃんけんし、負けた子が、次の電柱まで皆の荷物を持つっていうヤツもよくやった。

 そういった定番の遊び以外に、その頃限定の遊びとして「ふしぎな少年ごっこ」っていうのがあった。子どもたちに人気の高かった手塚治虫原作、太田博之主演の子供向けテレビドラマ「ふしぎな少年」。主人公の「さぶたん」が、体の前でクロスさせた両手を左右に広げながら「時間よー、とまれ!」と唱えると、時間が止まるという設定になっていた。そして、「時間よ動け!」と唱えると再び動き始める。これを真似て、じゃんけんで勝った一人が「さぶたん役」をモノにし、「時間よとまれ」から「うごけ」までの間、他の子どもたちは動きを止めたまま立っているという単純な遊び。これがいつの間にか「○ちゃんと□ちゃんだけとまれ」に変わり、仕舞には「△ちゃんだけとまれ」となり、一人残して遠ざかってゆく。その最後の一人になるのが決まって自分だった。ある程度遠ざかったところで遊びも終了したものと判断し動き出すと、振り返ってそれに気付き、わざわざ戻って来て動きを止めて固まっているようにと責め立てられた。再び一からやり直し、今度は遠ざかる後ろ姿が完全に見えなくなるまで、ひとり滑稽な姿で固まっている。砂埃を立ち上らせながら遠方へと小さくなる3つの後ろ姿を、干からびた心でただじっと見送る。これはかなりツラい仕打ちだった。

 さらに酷いイジメを仕掛けてきたのが、色黒で粗野な話し方をするお調子者の「まさとしくん」。4人の中で一番家が遠かったのが自分で、その次がこのまさとしくんだったので、いつも最後には2人になる。別れの挨拶代わりの一撃が強烈だった。帽子を奪い取って力いっぱい放り投げる。上っ張りのボタンを引きちぎる。僕がさしている傘に自分の傘の露先を振り下ろし穴をあける。上履き入れを奪い取ってどぶに落とす。もうやりたい放題だった。さらにはおおきい組の子に「こいつをイジメると面白い」と、いらぬ誘いをかけ、何の関わりもないその子にまで腹部に膝蹴りを入れられる始末。

 後になって母から聞いた話によると、登園途中で心因性の腹痛を起こし、引き返してくることがあったらしい。自分では覚えていないが、そう言われてみると、母が作ったおじやをどんぶりに入れて幼稚園まで届けてくれていた記憶がある。弁当箱だと、汁がこぼれ出てしまうからそうする以外なかったようだが、たぶん腹痛を起こしていた頃のことだと思う。母親の優しさが感じられるエピソードだが、それより思い切って幼稚園を辞めさせてくれたほうが、よりベターだったと今では思う。どう考えても幼稚園不適合児だった。
                       (つづく)

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