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「微笑みの木 ~ 実在したある1本の木に寄せて」(連載第4回)

 最悪だった周りの子どもたちとの関わりより、腰かけた背中とお尻に感じる木製の椅子のごつごつとした質感や、テーブルの両隣の子とたまに肘が触れるのを感じながら、目の前に置かれたお皿の上のおやつを、積み木のようにして一人遊びした記憶とか、折り紙を折るとき上手に重ね合わせられなかったこととなど、皮膚感覚的な体験のほうが、自分の存在の確かさを感じられる心穏やかな色あせない好ましい記憶として残っている。

 年中組の配属が梅組だったことは、すでにお伝えした。我が家の庭先に梅の木が立っていたことと運命的な関係があるのだと思い、梅組と梅の木、そして「うめぐみさんの自分」。この三つを混然一体としたものとして捉えていた。
 その梅の木から少し離れた場所に、他に何本か木が並んで立っていたが、梅の木がもっとも丈が低く、木登りしやすい親しみを感じながらも、同時にまた枝が折れやすい弱々しさも感じていた。他の木から離れ、一本だけぽつんと立っている梅の木。その姿が幼稚園での自分と重なって見えた。
 そんな梅の木も、春が近づくときれいな花を咲かせた。でも、世間では春に咲く桜ばかりが愛でられる。そのことが大いに不満だった。色の薄い桜より、濃い色の梅の花の方がきれいだと感じていたから・・・。

 梅の花が散ってやがて実をつけると、大人たちはそれを集めて大きな瓶に詰めて梅酒を作った。中から取り出した梅の実を1個もらって噛り付くのが好きだった。

 夏が過ぎ、実も葉も落ちてしまうと、梅の木は寂しげに見えた。枯れてしまったと思い、母親にそのことを話すと、枯れてはいないのだと言われた。すぐには信じられなかった。
 半信半疑で開花を心待ちにしていると、冬の寒さの中で新たな芽吹きが目に入り、それは次第に膨らみつぼみとなり、やがて見事に花開いた。
「お母さんが言ったとおりだ。枯れてなかったんだ!」
 一人外に立ち、冬を越し生きていた梅の木の強さにたくましさを感じ、誇らしく思った。

 ある日ある時、その梅の木に小さめの殻付きピーナツぐらいの木の塊が下がっていた。何が入っているのかと中を見てみると、出てきたのが虫だったのには驚いた。ナナフシを小枝だと思って掴んでしまったときと同じくらい驚いた。

 ― 虫って木から生まれるんだ! ―

 それがミノムシだということは、まだ知らなかった。
 幹に絡みついていた蔓の先っぽに、小さな鞘豆のような形の実が付いていて、それを手に取って中を開けてみると、ミノムシとは違う細っこい虫が入っていたことがあった。このときも驚いた。虫が喰ったあとにそのまま居座っていただけなのだが、虫入りの実ががなっているのだと勘違いしてしまい、「花や実、そして虫までも生み出す木」という不思議なイメージができあがった。

 幼稚園でのお絵描きの時間に、「木を描きましょう」というお題目を与えられたことがあって、まず最初に一本の太い幹を描き、そこから左右に伸びる枝を描き込んでいくと、出来あがったのは、木というよりはまるで電柱。とても木には見えない。何度挑戦しても、電柱にしかならなかった。家に帰ってから母にその絵を見せながら不満をもらすと、こんな答えが返ってきた。

「木って、こんなにまっすぐ生えてる? 枝だってこんなに真横にまっすぐ伸びてないと思うよ。外に行って木をよく見てごらん」

 それを聞いて見に行ったのが、慣れ親しんだ梅の木だった。他の木は全く眼中になく、迷うことなく梅の木に足が向いたのは、愛着ゆえではなく、その木が丈が低く、全体を視野に捉えやすかったからという単純な理由からだったかもしれない。
 その形を観察するために、新たな気持ちで梅の木の正面に立ち。改めてよく見ると、枝の複雑な形状は、そのまま描きとれるほど単純ではなく、自分の能力を超えた大きな力と、絢爛豪華な美しさに圧倒された。
 空のまぶしさを背景に梅の木を見上げると、母に言われたとおり、幹はまっすぐに立ってなんかいない。斜めに傾き、枝もそこから真横に伸びているわけじゃない。その枝も、さらに途中からあちらこちらへと枝分かれしている。それを全部を描きることは到底無理だと思いつつ、いくつかの特徴だけはとらえた。
 その知識をもとに、幹を描き枝を描き込んでゆくと、それは電柱ではなくたしかに木に見えた。
 貼り絵の木は、幹が少々斜めに立っていて、枝が左右に斜め上に伸び、その先が2つに分かれている。シンプルな形だが、ひと目で木と分かる絵だ。
 描けたことを嬉しく感じた瞬間が、確かにあった。その嬉しさから、その「木に見える木の絵」を何度か繰り返し描いたことが淡い記憶として残っている。写真の中の貼り絵も、そういった中の1枚だった。
 巡りゆく季節の中で様々な表情を見せる梅の木。様々な関わりを通して、その木に対するある種独特な思いが膨らんでいた。幼稚園時代の一番の友だちは、この梅の木だったのかも知れない。

 貼り絵の中で、木の横に顔の絵が並んでいた。それを見ているうちに、こんな記憶も蘇ってきた。
「お絵かき」の時間に。笑った顔や怒った顔、泣いた顔など、表情を描き分けるというお題目が出されたことがあった。
 怒った顔はすぐに描けた。眉を吊り上げ、口を「へ」の字に曲げて描けば出来上がった。さて、次は笑った顔だ。これは「起こった顔の逆だ」と考えた。眉尻を下げ、口を逆「へ」の字に曲げてみた。これで笑った顔になるはずだ。そころが出来あがった絵は、とても笑っているようには見えなかった。何とも情けない顔になり、鏡に映った自分の顔が思い浮かんだ。

 ― 自分が笑えないから、笑った顔が描けないんだ ―

 自分の心がそのまま絵に表れたのだと思い込み、要らぬ劣等感にさいなまれた。何度挑戦しても情けない顔にしかならない。しょうがないので、周りの子が描いた絵を観察して、それを真似てみたら、ようやく笑った顔が描けた。

 ― 自分の心が汚れているから描けなかったわけじゃないんだ!―

 出口の見えない真っ暗なトンネルから、明るい光の中に抜け出したような気分だった。

 ― 木の絵が描けた。笑った顔も描けるようになった。 ―

 その成果を、こちらに向けて掲げていたのが、例の写真だったのだ。その晴れやかな気分が、顔にも表れていたというわけだ。

 謎は解けた。

 が・・・

 それだけに留まらず、さらに新たな記憶が揺り起こされることになる。

 高校3年の時、同じ幼稚園出身の同級生と、さみどり幼稚園を訪ねたことがあった。その時、年長組のときの受け持ちの先生が、主任先生として在籍しておられ、昔のことを懐かしみながら、あれこれと話してくださった。暴れん坊のジュンちゃんがヒデ坊だけには手を出さなかったという話などは、この時聞いた。
 当時の僕については、こんなことが語られた。
 アデノイドの切除手術を受けた後、きれいな声が出るようになったからと、皆の前で歌を披露させてもらったんだそうだ。それを境に見違えるように明るくなったという。

 ― へえ、そんなこともあったんだ… ―

 前に出て歌ったことがあったのか…、何か絵空事でも聞かされているかのように実感が湧かなかった。だから、写真の中の貼り絵に気付いたときも、そのことには全く思いが向かわなかったわけだが、喉の手術を受けたことは確かな事実なので、先生の記憶違いということもなさそうだ。その後いつまで経っても、直接的な記憶を引き寄せることは出来なかったが、そのことを裏付けるような記憶がいくつか残っていることに気付いた。

 年長組での1年も終わりに近づいた頃だった。雨が降り出すと、わざと外に飛び出して走り回る数人の悪ガキグループがいた。先生の真似をして大声で止めにかかるおませな女の子も2~3人いたが、悪目立ちするのが目的のやつらが、そんな声を聞くわけがない。次の一手として告げ口され、先生たちの叱責を受けることになる。しかし、彼らにとって、それはオーディエンス枠の拡大であり、目立ちたい彼らにとっては願ったり叶ったりである。舌を出しての「あかんべえポーズ」で挑発しながらにやけ顏満開、ずぶ濡れになって、絶好調にはしゃぎ回る。先生数名は、こうなったらもう実力行使に出るしかない。先生稼業もなかなか大変である。レインコートを着こんで追い掛け回し、ひとりまたひとりと取っ捕まえ、とどのつまりは怖い怖い主任先生の部屋に連行と相成る。やつらは、そこで怖い顔の主任先生こっぴどく叱らることになる。子どもの目からみた主任先生は、色白で顎の張った三白眼、話し方も子供相手の甘ったるい感じのないドライな口調、滅多に笑顔を見せない「怖いおばさん」だった。その先生からたっぷりと絞られるのだから、実際に見たわけではないが、もしかするとしおらしく涙を流していたかも知れない。先生にしても、それぐらいの反応を見せるまでは手綱を緩めるわけにはいかなかっただろう。であるにも関わらず、戻って来た彼らは、そんなのどこ吹く風。それどころか、すっかり英雄気分で、皆にとっては未知の世界である主任室の様子を得意満面で話していた。悪さ慣れしている彼らにとって、場面ごとに態度をコロコロ変えることぐらいお手のもので、さらに困ったことに、またそんな彼らを憧れに近い気持ちで取り囲み、興味津々で耳を傾ける輩もいた。それをまた遠くから見るのが自分の立ち位置だった。
 ある日ある時、いつもの「見ている立場」から思い切って飛び出し、この「暴れ回る集団」に混ざってみたことがあった。雨が降りしきる中を、ずぶ濡れになって走り回った。閉じこもっていた殻が、ものの見事にはじけ飛びんだ。その後は、お決まりのコースをたどり、主任室に送られることはわかっているのだが、今まで見ているだけだった場に自分がいるということが、嬉しくてしょうがない。高揚感全開で、雨水を跳ね散らかし、皆の注目を浴びる中、先生たちをコケにして逃げ回る快感に酔いしれていた。

 ― そうか、鬼ごっこって、退屈だと思ってたけど、
   こんなふうにすれば、めっちゃ楽しい! ―

 思えば、これは暴走族の心理とよく似ているんじゃないかと思う。同じことを、バイクに乗って、警察相手に行えば、目立ちたい一心なことも含めて、まるっきり暴走族だ。彼らがまだこの世に出現する10年も前に、日本の片すみで、大活躍した5歳のリトル暴走族。もしかすると、ヤンキー諸君って幼い頃にこういう脱皮のチャンスがなくて、精神年齢が5歳のままで止まったままの状態なのかも知れないね。

 一緒に帰っていた3人からイジメられそうになっても、心が反応しなくなったのも、この後のことだったかも知れない。ちょっとやそっとイジられたからと言って、ケガをするわけじゃない。

 ― 別段どうってこともないや。―

 その中の誰かから、こんなことを言われたこともあった。

「こんどオルガンを教えてくれよ」

 悪い気はしなかったが、その後、実際に教えたということはなかったので、本気でそう思ったというよりは、ちょっとした気まぐれに過ぎなかったのだろう。それにしても、自分をおもちゃにしていた奴らが、音楽教室に通っていた自分をうらやましがるそぶりを見せるなんて、少し前までは考えられないことだった。

 これらの出来事は、それぞれが無関係な記憶の断片として、無造作に心の片すみに転がっていただけだったが、幼稚園の先生のひと言で、全てが結びついた。たぶん、これらは全て、ほぼ同じ頃起こったことだ。
 皆の前で歌って注目を浴びた体験が、心の内外に変化をもたらしたのだ。

 写真の中の明るい表情が、「絵が描けた」という喜びの表れではあったことは間違いないだろう。しかし、単にそれだけではなかったということ。
 幼稚園と言えば、イジメられたことばかりが記憶の中で強調され過ぎて、それ以外のことはすべてかすんでいたと・・・、そういうことのようだ。卒園間際になって起こった、自分にしてみれば一大事件、分厚い雲の隙間から日の光が差し込んできたような変化のことなど、すっかり忘れていた。
 この頃の様子が、先生の目には「見違えるように明るくなった」と映ったのだろう。
                          (つづく)
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