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九段今昔物語〜はるかなる友への想い〜

僕の母校、九段高校の同窓会である「菊友会」が、会報第110号を迎えるということで広報委員会の方々が飯田橋駅舎リニューアルに合わせて「飯田橋今昔物語」(仮称)の特集に寄稿してくださいという依頼がありました。

まさにそのタイミングに九段高校の同窓でサッカー部のチームメイトでもあり、現在まで一緒に仕事をしていた現職社長の大親友・松下三四郎氏が、何も語らずに天国へ早足に旅立ちました(サッカー部同期の最初の旅立ちです)。

それも自らの誕生日に。誕生日を命日にするなんて最後まで「なに考えてるんだお前」ってチームメイト全員の声が頭の中を巡るような、あまりに悲しく寂しい思いの時だからこそ、その寄稿とは別に、このnoteについては彼(松下三四郎氏)との思い出が山のように詰まった「九段今昔物語」にタイトル変更して「〜はるかなる友への想い〜松下三四郎」として、たくさんの思い出話をしっかり書かせていただきます。

飯田橋駅舎が22年の夏にリニューアルしたことを機に「九段今昔物語」を書くにあたり、今と昔を比べるときに少なくとも下記の3つの考え方があることを前提にお話ししていきます。

①新しくなること(変わること)がいいこと
 「すっかり変わってしまって昔の面影ないね」
②変わらないことがいいこと
 「どんどん古びて行くね昔はもっとよかったけど」
③変わらずに新しくなることがいいこと
 「昔と全然変わらずどんどん綺麗になってるね」

「今昔」とは、現在と過去の比較(時間の変化)になりますが、間違いなく変化しているのは歳を取ってリニューアルできない私たち人間です。不老不死でいれるならずっと変わらずに、できたら新しい姿でいたいという願望が皆にあるはずです、その人間の願望が実現できている過疎化しない街、つまり不老不死の街こそ素晴らしい街と言えるわけです。つまり③の考え方ですね。

そういう意味では「飯田橋〜九段」エリアはまさに今も昔も街はリニューアルされながら変わらない、素晴らしいほぼ不老不死の街エリアということができます。つまり時間の変化に応じてリニューアルできずに変わっているのは我々人間だけと言うことです。

だからこそ昔を知っている私たちはこの街の昔から続く素晴らしさを後世に繋ぐ義務があるわけです。

昔を振り返るにあたり、わかりやすいのが九段高校の前身の市立一中時代に作られた校歌です。それは僕等の校歌でもあります。その歌詞は、書かれた時代を伝承しています。作詞者・与謝野鉄幹が見て感じた九段界隈は校歌の情景描写から読み取れます。与謝野鉄幹先生と同じ景色が見れる事は夢のようですね。

  都の中央 九段の上に 堂々高きを占めて(1番)

  東に見渡す青海長く 西には霊峰富士の
  白雪遠く光り みどりを連ぬる 箱根足柄(2番)

九段高校・校歌より抜粋

まさにこの情景は僕の時代にも変わらず、今も変わっていないはずです。ちょっとビルが立ち並びましたが。それは街の成長を意味しています。

僕らが高校3年生の1974年に九段高校に隣接する靖国神社の大鳥居が再建されました。柱の高さは25メートル、直径2.5メートル、上の横木である笠木(かさぎ)は長さ34メートル、直径2.7 メートル、重さは100トンという、高さ日本一の大鳥居です。その姿は今も変わっておらず、大村益次郎像も変わっていません。

三四郎も在籍したサッカー部は狭いグラウンド事情の関係で、皇居一周が日課でした(今はわかりません)。僕も三四郎も長距離はあまり得意ではなかったので真ん中より後ろを走っていました。

三四郎の首を傾げたフォームはその頃から変わっていませんでした。集合はいつも田安門の品川弥二郎像前でした。この像も今も変わりません。ランニングコースの千鳥ヶ淵、半蔵門、桜田門、皇居なども変わってないですね。

九段下の駅の場所も変わっていませんが、当時は東西線しかなかったので、現在はより便利になりました。それは飯田橋駅も同様です。

1964年10月、東京オリンピック開催直前に開館した日本武道館も僕の九段高校時代と変わらない姿です。ただ1985年、爆風スランプの「大きな玉ねぎの下で」リリース以降は九段高校卒業生にはより哀愁を持って受け入れられたと共に新しい学びもありました「玉ねぎって何?」と。

九段下の駅をおりて坂道を人の流れ追い越して行けば
黄昏時、雲は赤く焼け落ちて屋根の上に光る玉ねぎ

九段下の駅に向かう人の波・・・千鳥ヶ淵 月の水面振り向けば済んだ空に光る玉ねぎ

爆風スランプ「大きな玉ねぎの下で」より抜粋

まさに玉ねぎは日本武道館の屋根の上の擬宝珠(ぎぼうし)を示し、仏教の「宝珠」に似せたという説があります。別名が、「葱台(そうだい)」、ということは玉ねぎで正しいようです。

飯田橋駅側に想いを寄せると、そこには「小石川サッカー場」(正式名称:小石川運動場)が今もあります。

当時は雨が降るとぐちゃぐちゃになる土のグランドだったのが、2012年以降、人工芝の素晴らしいグラウンドに生まれ変わり、強豪チームの練習場にもなっていると聞いています。

九段高校サッカー部にとっても思い出深いグラウンドで、新チームの初勝利の場所として長く語られています。そんなことが何故長く語られるかと言えば、「勝利はそれだけだった、それも練習試合を含めて」という、嘘のような本当の話。

今となっては笑い話として卒業以来40年以上コロナ禍による中断もなく11月11日に近い土曜日に実施している通称「イレブン会」でもその当時の責任問題を含めた話題と笑いの中心です。

今年のイレブン会は11月12日の土曜日に開催されます。その日はくしくも三四郎の納骨の日と重なりました。遺影として参加する三四郎に仲間全員で黙祷し献杯します。話題は三四郎中心になると思います。天国で首をかしげて笑っていることでしょう。三四郎の十八番の「カッコマンブギ(ダウンタウンブギウギバンド)」でも歌ってるのかな。その日にこのnoteも捧げます。

僕らが高校2年生の1973年に、のちの韓国15代大統領の金大中(在位1998〜2003)の拉致事件が8月8日の白昼、宿泊中の東京・千代田区の「ホテル・グランドパレス」で起こりました。そのホテルグランドパレスは2021年の6月に残念ながら営業を中止しました。

九段高校から飯田橋駅に向かう富士見町にあり、大変お世話になった日本歯科大学は綺麗になりまだ同じ場所にありますが、整形外科や脳神経外科の技術で有名な東京警察病院は2008年に中野に移転しました。この地域から出た非常に珍しいケースになります。

このように徒然なるままに「九段今昔物語」を記しても話題はつきません。最後に、このエリアには高校、大学も多く暁星、白百合、和洋九段、二松学舎などの中学校、高等学校。法政大学、東京理科大学など変わらない大学が多いなか、僕が通っていた都立九段高校だけが2006年に千代田区立九段中等教育学校と変わりました。場所は同じですが、校舎やグランドの向きも変わり昔の面影はありません。しかし、母校としての歴史の継続は「菊友会活動」等でなされています。とてもありがたい事です。

「九段今昔物語」いかがだったでしょうか。昔の懐かしい情景を思い出していただけたら幸いです。〜はるかなる想い〜大切ですね。

三四郎との懐かしい九段の旅もここまでです。
一緒にいるようで楽しい時間でした。

頑張ったよな、疲れたよな。あとはゆっくりお休みください。
僕はまだ、行かないよ。  合掌

〜追伸(御報告)〜
「お墓参りに行ってきました」

九段高校サッカー部の同期で大親友だった松下三四郎が2022年の10月1日に逝去してからずっと気にしていたことが「きちんとお墓参りに行ってお線香をあげたい」ということでした。この想いは仲間たちみんなが思っていて5月頃からスケジュール調整をしていました。

梅雨入り直前の2023年6月4日、サッカー部同期4人で誘い合わせ高尾山の麓「高尾霊園」に行ってきました。高尾駅で待ち合わせタクシーで細い道を上がったところに高尾霊園があり、そこからしばらく登ると松下家のお墓がありました。

これからお参りに行く人へのガイドとしては、タクシーを降りずにお墓の番号の側まで行ってもらい、お参りが終わるまで待って頂き、そのまま高尾駅付近まで戻ることをお勧めします。
忌野清志郎さんも眠る墓地なので混雑する時も多いようです。

松下三四郎氏の奥様、令夫人は1日の月命日に必ずお参りされているそうで、綺麗なお花がお供えしてありました。
お墓は大きな石が造形されたモダンな造りで青空によく映えていました。しかし、青空のもとそこに眠っている三四郎の姿はまったく想像できず、「一緒にこの青空のもとでゴルフしたいなぁ」としか思えませんでした。

御参りの後は、恒例の献杯です。しっかり三四郎の写真を持ってきてくれた仲間もいて、三四郎の遺影を飾って高尾駅付近の居酒屋でお別れ会をやりました。

そこで話題になったのが、三四郎の結婚式に行った時の珍道中でした。その内容の一部は「マンガデザインで日本を描く・兵庫県」にも書きましたが、当時三四郎は関西駐在で、結婚式会場は六甲山ホテルのおしゃれなチャペルでした。

当時も今回と同じメンバーで誘い合わせて一緒に車で行きました。メンバーの中に慶應義塾大学時代に自動車部(ラリー)に所属していた九段高校サッカー部のキャプテンがいて、当たり前ですが運転が上手く、予定よりもかなり早く六甲山に到着。

まだ会場は開いてなかった上に、全員寝不足のため、六甲山牧場のベンチで仮眠。全員爆睡していたら早朝に羊たちに囲まれて起こされました。「まさに人生初体験」でした。

その後行われた結婚式の間中、寝不足の仲間の一人のいびきが響きわたっていたことをもちろん本人は知りません。こんな楽しい時間を過ごした三四郎の結婚式。そして同じメンバーで行ったお墓参り。三四郎のいない現実を感じ、彼の存在の大きさを再確認しました。さびしいですね。

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