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娘には、男、女、関係なく自分の力を発揮して生きて行ってほしい(その1)

私の大学生の娘、アメリカ人の父親(私の夫)と日本人の母親(私)を持つ所謂ハーフのアメリカ育ちですが、私が普通以上に熱心にバイリンガル教育をしてきたこともあり、バイリンガル、そしてその後高校生の時に第二外国語でロシア語を選択したのを切っ掛けに独学でロシア語を学び、すごい速さで習得し、今はトリリンガル、です。

この夏、娘は二つの職場からオンラインではありますがインターンの仕事を得る事が出来ました。勿論もらえるお給料は大きい金額ではないけど、コロナで色々と大変なこの時期、これは結構すごい事でした。

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私自身を振り返ると、昭和19年生まれの昭和の価値観バリバリの父親が実権を握っていた家庭で育ち、(因みに私の父は、戦争中は憲兵隊長だった九州男児の私の祖父に長男として厳しく育てられていました。なので、それをひきづった感じで私も育てられてきて。。。あのやり方は今では考えられないなぁ。。。ま、色々大変でした💦)「女はあまり男よりも賢かったらアカン、また女が仕事を必死でするのは男の沽券に関わるから、アカン。」と言われて育って来ました。ま、あの頃だと同じ様に言われて育って来た人もいたかも知れません。

しかし、私、学校でのお勉強が良く出来たんです。。。で、当時地元で女子が通える一番偏差値の高い高校に進学しました。専門学校卒業の母は自分が大卒ではなかったので、そんな私が自慢でした。父も「女でも教育は受けなアカン、大学は出ておいた方がいい。」と言う感じだったので、大学進学目指して「受験戦争」と呼ばれた高校時代のほぼ全てを勉学に費やしました。

成績がまぁ良かったので、私は東京の大学(はっきり言うと慶応や早稲田)への進学を夢見る様になりました。模試を受けてもたまにA判定も出たりして、「もしかしたら行けるかも。。。」と淡い期待を持つ様になります。で、高2の終わり頃、母親に「東京に大学に行きたいなぁ。どう思う?」みたいな話をしたら、その場では何も言わなかった母でしたが、その数日後父親からはっきりと「女は結婚するまで実家を出たらアカン、女が東京で一人暮らしなんて絶対にアカン。危ないし、周りからどう思われるか、お前は知らんだけや!絶対にアカンし、そういうお金は出さへん。家から通える大学に進学するんやったらお金は出したる。」と言われたのでした。

勿論納得出来なかったけど、だからと言ってとにかく受験して、合格したら上京して、新聞配達の住み込みやバイトをしながらでも根性で東京の大学に進学する、とかいう事は、私には出来ない、自分にはそんな根性はない、というのもわかっていました。高校生の時は勉強ばっかりしてて、勿論アルバイトもしたこともありません。高校からまっすぐ家に帰って寝る迄は家でほぼ勉強していた世間知らずの私、絶対無理だ、と自分でも心折れ、そのまま仕方なく関西の大学を受験、親も喜ぶ有名大に合格し、そのまま進学しました。

ま、大学に入っても「20才になる迄は門限9時、20才過ぎても10時まで。1分でも遅れたら鉄拳制裁。」の父親がいたのでノビノビ出来ませんでしたが、お金の心配はなく、日中は友達と楽しく過ごして私なりの青春時代を過ごします。

就職を考える頃になり、今度こそ上京したい、と思った私は色々企てるのですが、企業から家に電話がかかってきたら(昔なので、携帯電話は私は持ってなかった。企業から実家に直接電話がかかって来て、リビングで、親が隣の部屋で息を潜めて会話を聞いている状態で若手社員と話をしていたのです。。。)私の会話を聞き、「何や?あの会社は東京か?絶対アカン、関西の会社、しかも家から通える会社にしとけ!」と言われます。そして同時に私の成人式の時の写真をお見合いみたいな感じで知り合いに回し始めてもいました。(もう本当に書いてるだけで自分でも嫌になります。今から約30年前の話、信じてもらえないかも知れないけど。。。。)私も当時30才前後、どうみても私にはおじさんにしか見えない人のスナップ写真とか見せられて「どう?」とか言われた事も何度もありました。

で、東京の企業とは結局縁がなかった私、そのまま家から通える有名な企業に就職します。また両親は大喜び、そして「その会社でイイ人がいたら結婚出来たらいいのになぁ。」とか言い出します。

(わ~自分語りが長すぎて本題に行けない~。その2を追加します❣❣)