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#アニメ

『テニスの王子様』、人間関係で言えばリョーマと不二先輩の関係がよかった。1度練習試合をした時に、リョーマが「この人強い。というより上手い」と素直に評価していたのが新鮮だった。
目標ともライバルとも言えない絶妙な立ち位置。

『ハンターハンター』(1999) 48話

物哀しいピアノの音楽と共にクラピカがノストラード家の館に入ると同じく面接に来たヴェーゼと目が合う。都会の大人の女性の雰囲気漂うヴェーゼの振舞いに少し圧倒されるクラピカ。この辺りからもストーリーが少年漫画の域を出ようとしているのが伺える。

ハンターハンター(1999)

クラピカとウヴォーの決闘が終わり、ウヴォーを尋問にかける手前、静寂の中シャルが窓越しに月を見るカットが入る。この後の行方を物語っているように見える。こういう場面の転換はアニメならではだと思う。

『ヒカルの碁』の桑原先生が「碁は2人いないと打てない」と言っていた。

ただ勝敗を競うだけなら我に固執してしまうけど、素晴らしい一局を打ちたいと思えば思うほど、主体が自分から離れて自分と相手、引いてはその空間に拡大されるんじゃないかと思う。

氷菓18話『連峰は晴れているか』

個人的に一番好きな話。
高校生がちょっとした疑問を解消するための手段として図書館のアーカイブを利用するのが「ちょうどいい」と感じた。

推理だけじゃなくて、人の気持ちに対しても深く想像を巡らすことができる奉太郎の一面が現れている。

『氷菓』

キャラが会話の中で何気なく使う言葉、表現、ノリが現実の高校生たちのそれと少し乖離している感は否めないような。すごく丁寧に作り込まれてるんだけど、現実ってもっと雑というか。
現実→アニメへの投影ではなく、その逆の作用が働いてる、そんな時代を生きてるんじゃないかと思う。

ゴンたちのシリアスな雰囲気と、ゾルディック家や幻影旅団の日常的な雰囲気とのギャップ。異常に見える集団の内部にはその集団なりの日常がある。

みんながみんなシリアスにならなくていい。自分とは違う人間がいることを自覚する。

個人を組織の機能として位置づけることと、個人から始まり隣り合う個人に影響が連鎖されていくことの狭間で考える。カオスの縁。

1つの組織が、有機体として、まるで生き物のように振る舞うことの難しさ。

旅団のメンバーがすごく好きになった。

そういえばこの後旅団は本当の蟲たちと戦うのか。

蜘蛛の手足それぞれが意思を持っている。

クロロを失いたくない手足。全体としての蜘蛛を成り立たせようとする手足。

後者にしても、完全な手足ではない。

クロロが拉致された後、それぞれの前提、見ている絵が食い違い始めるあたりにドラマを感じる。

『ハンターハンター』(1999) 49話

ゴンとキルアがGIを探すシーン。

ネットの住人が金目当てで偽物を売りつけようとしたり、実家のパソコンからハンター専用サイトにアクセスしようとするゴンをキルアが止める描写なんかにネットのアングラ感がある。

夏休みっぽい雰囲気も好き。