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過ちがないことではなく、過ちを改めることを重んじよ。

こんにちは、片づけ習慣化コーチの牛尾恵理です。

片づけはある意味、死ぬまで終わりがないものです。

でも最初の段階として、こんなゴールを設定することができます。それは、

1、家にあるものは、ほとんど全て「今、いる」と判断したものだ
2、家にあるものほとんど全てが、適切なエリアに収まっている

この2つが、YES!になっていること。

細かい定位置や、見た目的な美しさは、そこからブラッシュアップしていけばいいので、まずはその第一ゴールのクリアを目指します。


片づけの第一ゴールクリアのために必要なこと

その第一関門をクリアするために、どうしたって必要になってくるのが、「今、いらないモノを捨てる」こと。

つまり、過去の自分が買ったモノ、受け取ったモノ、とりあえず取り置いたモノたちと向き合うという「作業」をしなければなりません。

それってとんでもなく、めんどくさいし、うすら怖いし、なんか嫌・・・なんですよね。


なぜ、そんな気持ちが湧いてしまうのかといえば、もちろん時間と労力が取られるから。

でも、それだけではなくて、過去のモノと向き合うことは、そっくりそのまま、自分の「執着」と向き合うことになるからではないかと思います。

そして、「無駄遣いしちゃった」とか「あの人に悪いことしちゃった」とか、「なんでこんなものを今まで取り置いてたんだろう」とか、とにかく自責めモードになりそうな予感がしてしまう。

そうなると、誰が好き好んで片づけなんかやりたいですか、なんて話になっちゃうんですよね。


もちろん、見ないふりをし続けることも一つの選択肢です。

でも、「いや、それももう限界。いい加減ここで手を打たなければ、いよいよヤバい」と思っているのであれば、こんな言葉はいかがでしょうか。


■片づくマインド・名言シェア208

過ちがないことではなく、過ちを改めることを重んじよ。

吉田松陰
1830年9月20日生

「過ち」って、何かとんでもなく重い罪のようなニュアンスを感じる人もいるかもしれませんが、字面を見れば、過去の「過」。

ぶっちゃけ、今家にあるモノって大半は既に「過ぎちゃってる」モノばかりなんですよね。

かなり近い未来に使う予定が決まっていてスタンバイしているものなんて、せいぜい2割程度なんじゃないかと思うんです。


残り8割は「使用期限を過ぎちゃったのに、捨てそこなっているもの=過ち」そんな定義だと捉えて、もう一度この文を味わってみます。

過ちがないことではなく、過ちを改めることを重んじよ。

過去の自分を責める必要はゼロ。

いらないモノを捨てれば捨てた分だけ、人生は自然にプラスに傾いていきます。


それは、深海に潜った潜水艦が重りを落として浮上するようなものです。

モノと一緒に執着を手放そうとする人を、心から応援しています。


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