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時は経つ。だから何かやろうとしているなら何であれやりなさい。

こんにちは、片づけ習慣化コーチの牛尾恵理です。

片づけって、そもそもあまり緊急性がないものです。

せいぜい、緊急度が高まるのは、来客か、引っ越しくらいのものではないでしょうか。

それでも結局片づけきれず、

「散らかっててごめ〜ん」とお通しすることになったり、「ゴミまで一緒に引っ越してきちゃった〜」となったりした経験がある方もいるかもしれません。


「いつか、片づけるから・・・」と、長年先延ばしし続け、もはや、どこからどう手をつけたらいいかわからない・・・

そんな時、こんな言葉はいかがでしょうか。


■片づくマインド・名言シェア177

時は経つ。だから何かやろうとしているなら何であれやりなさい。
ただちに。待たずに。


ロバート・デ・ニーロ
1943年8月17日生

この言葉は、二通りの受け取り方ができると思います。

一つは、「そうだ!だから片づけなんてしている場合じゃない!」と、やりたいことに没頭すること。

もし、素直にそう思えるなら、ぜひともそうしたら良いと思います。

私も20代の頃は片づけのことなんて放置していたおかげで、あの時代にしかできないようなこと(バンド活動)に没頭し、充実した日々を過ごすことができたように思います。

苦い経験もたくさんしましたが、悔いなしです。


でももし今、片づいていないことがとても気になっていて、残務感、未完了感、閉塞感などを感じ、明らかにやりたいことの足枷になっているのならー

もう一つの受け取り方をオススメします。

それは、「そうだ!今やりたいことこそ、片づけだ!」と捉えて、期間を決めて、一旦片づけ切ってしまうこと、です。


一旦片づけ切るとは?

片っ端から手にとって、「今、必要なモノ」だけに絞り込む、ということ。

それだけをピックアップしたら、残りは「全捨て」が理想です。


なぜなら、残したものは、いずれまた「いる・いらない」を考えなければならなくなるから。

特に、中年以降の世代なら、その時間こそ、なけなしの残り時間から捻出しなければならない「もったいないもの」だからです。


そう言うと、「いやいや、1度いると残すと決めたものは見直さないよ」という方もいるかもしれません。

確かに、本当に大切にしていたものをエピソードと共に遺品として残すのは、美談です。


でもそれが美しいのは、数が少なく希少価値があるからこそ。

他人から見れば、「明らかにゴミ」というものや、「家族が処理に困るもの」まで遺してこの世を去るのは、果たして自分が望むところなのか?

そんなところは、考えてみる価値があると思います。


自分の体の後始末について考える

私の母方の祖母は、最終的にタンス一竿とボストンバッグ一つにまでモノを絞り、直前まで自炊して身の回りのことをしつつ、自宅で亡くなりました。

父方の祖母は、献体登録をしていたので、大量の氷で冷やされつつ、白衣を来た大学病院の方々が引き取りに来ました。

じゃあ、自分の体の後始末は・・・なんて考えてみると、それだけでも大変そう😅。

なのでやっぱり、今後の軽快な人生のためにも、遺された家族のためにも、持ちモノなんて、ほんのちょっとでいいなあと思えてなりません。


▼一旦片づけ切って、人生リスタートしたい方へ

いる・いらないを見極め、捨て続けるのは、実に根気のいる作業です。

さらに一人では刺激が足りず、なかなか続かないもの。

だからこそ、note仲間と一緒にやって、「習慣化」しませんか?


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