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理解という名の愛がほしい/山田ズーニー






「ほぼ日刊イトイ新聞」の人気コラム「大人の小論文教室」のベストコラムを収録した山田ズーニーさんの
「理解という名の愛がほしい」を拝読📖しました。
(2022,1,4 読了)






以前Twitter経由で山田ズーニーさんのコラムを拝見したことがあり、等身大で言葉を紡ぎ出す素敵な方だなと感じたので、何冊か著書を購入し積読していました。
本書は先日見つけ購入したばかりなのですが、今読むべきという直感がはたらいたので早速拝読。



タイトルがまさに今の私の胸のうちを代弁してくれているかのように感じたのです。
そして内容もやっぱり私が言いたかったこと、伝えたかったことを気持ちよく表現されています。


黙ってそばにもいてほしい。
なんにも言わずにわかりあいたい。
それでも、やっぱり、「言葉」がほしい。




これが本音。
でも、クレクレではダメだということも承知です。
まずは自分が大切な人が欲する言葉を与えれるようにならなければいけない。
山田ズーニーさんの言葉をお借りするならば、何度も練り、鍛えて、質のよいものにしあげた正直な言葉を伝えれるようにならないと。



もう1つ、私の課題(使命)だと薄々感じていたことも書かれていました。

ほんとうの愛を与えられたことがなければ、人をほんとうに愛することもできない。



私は、有難いことに両親から存分の愛を与えてもらっています。
でも、なぜか私のお付き合いする人は親の愛というものに飢えている方が多い。
段々と与えられた愛を今度は私が愛に飢えてる人たちに与えるというのが使命なのかなと思うようになりました。



私が子供を授からないのは、それよりも愛を与えていかないといけない人がいるからだろうかとも思っています。
その使命に変に縛られるつもりはないのですが、たまに与え方を間違えて相手をダメにすることもあったし、与え過ぎて自分が愛不足になることもあります。



今私は、愛の与え方を学んでるところなのかもしれません。
とりあえず、いっとき使命のことは頭から離して、自分の愛をチャージしていこうかな。
因みに、私は同居してる両親とゆっくり話すこと、読書をすることで愛がチャージされるようです。
愛のチャージの仕方は人それぞれで、色んなところから愛を受け取れるようになることも大切だと感じました。



このタイミングで本書に出会えたこと、とても有難かったです😌








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