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ポルなりに考える「教育」のゴール

どーも、ポルです。
久しぶりのnoteなので改めて、このnoteはマゼルプロジェクトという中高生向けのキャリア教育事業の立ち上げを主宰する隼人ポルナレフという男が主体となり、何かを綴ります。

「マゼルプロジェクトって何?」についてはこちらをご覧下さい。

事業について準備を進めていく中でなかなか上手く進んでいなかったのですが、やっと少し動き出してきたのでnoteを再開しようと思い立った訳ですが、何かテーマを決めた方が書きやすいんじゃないかと思いテーマを考えていました。
ぐるぐると考えている中で、そういえば「教育に関わろうと思った原理」って「自己の幸せを追求した結果、幸せと感じる人を増やしたい」ってことだったわ、ということを思い出したのでこのnoteでは僕なりに考える「幸せとは何か」をテーマに書いていこうと思います。

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以前クラファンをやった時の決起会で、なぜ自分がこの事業をやりたいのかというプレゼンの中で自分の幸せは「家族が幸せでいること」と「世界が平和であること」と表現しました。人によって幸せの定義は違うと思っているのですが、これは本当に性格的なもので僕の個性だと思います。本当に自分にとっての幸せは自分の欲求の中にはないんです。

ではどうすれば世界が平和になり、人々が幸せと感じられるようになるかと真剣に考えた時に、その答えが「教育」なのだと感じたのです。

僕は、人間は幸せになろうと強く願えば必ず幸せになれると考えています。
それはもちろん簡単なことではないですが、それくらい「人間」はとてつもなく強力な存在なのだと思うからです。
少し変な話ですが、まだ文明もままならないような原始時代の「人間」が、あるいは地球上の初期の文明の民が、はたまた江戸時代の町人が、今の世界を見たらとてもじゃないけど信じられないことを沢山成し遂げているはずです。食べるものは効率良く生産することができ、遠くの土地への移動時間は格段に短縮され、複数の言語を扱う能力者が増え、誰もが超ハイテク機器を使い多くのタスクをこなしています。

たぶん人間の能力って、どんなことでも叶えることが出来るくらいとてつもないものなのだと思います。ただし、その能力を発揮するには一つの重たいトリガーを引かなければならない。
それが「意思」です。

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僕の人生は恐らく自他ともに認めるところで、非常に数奇で滅茶苦茶なものです。16歳で人妻と交際し、歌手を目指すと言ってフリーターを続け、鴨川のほとりでピアノを鳴らして集まったホームレスや人殺しのじいさんやヤク漬けのアフリカ人女性なんかと交流し、謎のおじいさんの薦めから第一線の芸能界で仕事を始め、調子に乗った挙句ヤクザに追われ、家族と縁を切り、職も家族も家も失って銭湯に居候し・・・、と本当に色々ありましたが、人生のある一節「人生のどん底」と感じる日常の中で立ち止まって考えた時、素直にこみ上げて来た想いは「幸せになりたい」ということでした。

小さい時、近くの公園で見た家族の風景のように、幸せでありたい。

そう感じた時「思えばずっと幸せになりたいと思っていたんだ」ということを思い出し、一方で「幸せになれない 」と思い込もうとしていた自分の存在にも気付くことが出来て、そんな自分自身と対話することが出来ました。
そして幸せになろうと決め、今僕は幸せになることが出来ました。
もちろんまだ世界は平和じゃないから、まだやることは残っているけど、自分の中の確固たる幸せは手に入れていると思います。

僕が「教育」を通してやりたいことは、誰もが「幸せになろう」と“意思”を持つことです。
幸せとは、“意思”によってしか手に入らないものだと思うのです。
だけど今の「教育」の中では主体性が身に付かないし“意思”を持つことが出来ない。これでは誰かが幸せにしてくれることを期待しちゃうし、幸せにしてくれないことに不満だって抱きます。
それは不幸や争いの始まりだとも思います。

この人生は僕が始めた僕の物語です。
誰にとってもそう。
僕が掲げる教育のゴールは、誰もが自らの幸せを自らの意思によって導き出すこと。
それが僕にとってのハッピーエンドなのだと思います。

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