見出し画像

私が躁うつとわかるまで② 〜コロナ直撃編〜

前回は↓


私は社会人2年目になり仕事が充実し始めていました。

精密機器のメーカーでの海外営業の仕事は名前ほど華やかではないですが、海外出張も行かせてくれて、私はそこそこのやりがいを感じていました。

体調の方も、急な憂鬱に襲われてどうしても朝出勤できないことはありましたが、有給休暇を使用して半日から1日休めば問題ない程度でした。

その年の1月、中国でコロナウイルスが発見されたという報道が日本でも大きく取り上げられ始めた頃、中国担当である私の仕事への影響も出始めていました。

コロナの影響で中国政府はある政策を無期限の延期とし、それを商機としていた私のビジネスは、完全に身動きが取れない状況になってしまいました。

私は仕事でやることがなくなってしまったのです。

もちろん仕事がないはずはなく、業務改善なり、将来につながる調査なり、何かしら仕事を見つけて取り組んでいましたが、それを探すのにも疲れ、上司に相談をして仕事を懇願する日々が訪れました。

8時間の勤務時間の内、やるべき仕事にかかる時間は30分程度の毎日でした。

上司も私がそこまで暇を持て余しているとは思わなかったのだろうか、別の業務を割り当ててくれることはありませんでした。

その状態が1ヵ月ほど経ち、日本にもコロナが襲いかかってきた頃、私の会社でもテレワークが導入されました。

そして私はうつになり、食べ始めました。

私は仕事に時間を使うのを頑張ることをやめ、パソコンをオンラインにしておくことだけを頑張ることにしました。

テレワークの日は、大量の食べ物に囲まれながらアマゾンプライムを見るか、昼寝をするような生活をしていました。

出社日には会社に行くことが出来ていたし、仲のいい同期と帰り道に愚痴を言い合ったり出来ていたので、ある程度の社会性は維持できていたようです。

しかしあるテレワークをしていた日の夜、私を強いうつ症状が襲いました。

私は布団にうずくまり、いつもの自己否定と自己嫌悪が頭を支配し、ただただ絶望的な感情に見舞われていました。

その夜私は、次の日の出社日仕事を休むことと、もう一つあることを実行すると心に決めました。

それはこの数週間自分の襲っているうつ症状を上司に相談することでした。

私は打ち明ける上司を選び、休む連絡をするついでに話す私の現状を、どんな順序で話すのかを入念にイメージトレーニングしました。

考えることによって一旦自己否定と自己嫌悪から解放されていたようで、私はそのまま眠りにつきました。

朝起きると、うつを上司に打ち明けるという恥さらしなことを考えていた自分が怖くなっていました。

会社を休むということも考え直し、私は会社へ出社しました。

それからもどんよりしたうつ症状と止まらない過食症状が続いて行くのでした。

続きを読む↓


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?