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【542/1096】映画鑑賞記録「生きる」 大川小学校 津波裁判を闘った人たち

ドキュメンタリー映画「「生きる」大川小学校 津波裁判を闘った人たち」を観た。

宮城県石巻市の大川小学校では、2011年3月11日、74人の児童と10人の教職員が津波で逃げ遅れて亡くなっている。
ニュースで見ていて、「もしも自分に起きたことだったら」と何度も考えた事件だった。
映画になると知って観たいと思ったが、予定を調整しているうちに、劇場の予約が埋まってしまって、上映最終日予定だった今日しか予約が取れず、ようやく観に行く。
(東京では、シネマチュプキタバタで上映しているが、来週一週間上映延長されるそうだ。)

「なぜ我が子が学校で最期を迎えたのか」
この問いに挑み続けた10年間の遺族(亡くなった児童の親)たちの記録である。

遺族が子どもを発見したときの様子は、語り部の方の映像を見たことがあり知っていたものの、映画の冒頭で文字で浮かび上がるとその映像が頭の中に流れ込んできてつらい。(実際の映像が流れるわけではなく、文字のみの表現だけどものすごくリアルに想像できるので。)

1人生き残った教務主任の先生が、第一回保護者説明会(震災から約1ヶ月後)で説明したときの映像が残っていて(遺族の保護者が撮影していたもの)それが映し出されると、ものすごい緊迫感と怒号と空気感がもういたたまれなく、思わず顔を下に向けそうになる。
校長はこの日(震災当日)、午後から不在にしていて無事だったが、現場にいたわけではない。
教育委員会の人たちが先生の心身状態について説明をするが、この状態の人をここに出すのは無謀ではないかと思った。
いやでも、私が保護者ならば、出てきて説明してほしいと切実に願うだろうし、出てこなければ怒りで全身が沸騰するだろうとも思う。
そして、私がこの先生だったら、と想像するだけで気絶しそうなほどくらくらする。

この日の先生の話は、その後、遺族により「嘘だった」と言われたり(遺族側の検証の結果、正しい事実を言っていない可能性が高い)、教育委員会がこの先生や生存児童に聴き取りをした報告書を破棄されたりしていて、本当のところは先生は、この日の話を聴かれていないのではないか?と思った。
津波ですべて流されてしまって、事実を認識できるものは校舎以外ない状態で。ほかに大人の生存者がいない。
事情聴取ではなく、責められるのではなく、ただ聴かれることがこの先生にもあるとよいけれど。。。先生のその後はこの映画ではわからない。

遺族は、先生に「子どもの最後がどうだったのか?」を聞きたかったのに、先生は自分がどうだったかの話しかしなかったと落胆する。
そして、第二回の説明会では、校長も教育委員会も、責任を認めないための答弁しかしない。
市長にいたっては「自然災害であるから宿命だと思う」と遺族感情を逆なでするような発言をしてしまうありさまで、対話の場として成り立っていない。
対話が成り立たないから遺族は納得しない。
しかし、行政は一刻も早くこの責められる状態から逃げ出したいので、説明会を打ち切る。

遺族の中のひとりの母親が「自然災害」と言われたことに対して、納得ができないとこぼす。
そして、「なんで迎えに行かなかったの?」「あんたが迎えに行ってたら助かった」「学校なんか信頼できないんだから」と言われ、自分を責めていると言う。
「私が殺したの?って。
私は学校を信頼して預けてた。
それが子どもを殺したのって。
私が迎えに行ってたら、地区の子ども6人助かったの?
そしたら、その6人も私が殺したの?って」
と言う母親の言葉に、胸がえぐられる思いがした。

保護者説明会で納得ができる説明がなかったため、検証委員会が設置され、第三者による検証が行われる。
しかし、その検証結果は、「新しくわかったことは一つもない」という結果だった。

未来の検証のために子どもを育てたわけではない。
けれども、どんなに望んでも子どもたちは返ってこない。
だから、せめて、教訓にしてもらえなかったら、子どもたちはなんのために犠牲になったのか。
裁判など、できればしたくはない。
遺族間で分断もある。
そして、遺族に対する誹謗中傷もある。
そんな中で、それでも、「なぜ我が子が学校で最期を迎えたのか」を明らかにするために裁判を行うことになる。

原告の弁護士は2人。
吉岡弁護士と齋藤弁護士。あとは、遺族である保護者たちが代理弁護人となって裁判を進める。
「裁判はいろいろ難しい面があるが、」と吉岡弁護士が語る中に「子どものいのちに金額をつけなければいけない」というものがある。
国家賠償裁判の場合、国に賠償する責任があるかどうか?をはかるため、金額請求が必要となるそうだ。
そして、賠償を求める側が、「請求の内容を特定」し、「それを裏付ける証拠を用意する必要がある」となっているらしい。
このハードルの高さには、息が詰まりそうになる。
そして、もっと胸が痛かったのは、
証拠として、裏山に逃げるのにどのくらいの時間が必要だったかを検証する映像だ。
小雨の降る中、測定士に当時の現場を再現してもらい(建物はすべて倒壊しているため)、保護者が児童役となり、裏山に駆けあがるタイムを測定する。
ガン闘病中で手術後間もないという保護者が児童役になって、3つのルートで時間を測る。
そのデータを積み上げるたびに、「子どもたちは死ななくてすんだ」「助けられた命だった」という確信が強まっていく。この葛藤は、映画を観ている観客ですら、悶絶するほどに残酷なものだった。遺族の心情たるや。
なぜ、助かるはずのいのちが死ななくてはならなかったのか?の問いは強まるばかり。

「先生のいうことを聞いていたのに!」という横断幕を持って裁判にのぞむ原告の姿を見て、こみ上げるものがあった。

裁判は、1審で勝訴するものの、最後の真実を知りたくて裁判を起こした遺族にとって納得のいくものではなかったため、控訴。(宮城県、石巻市も控訴した。)

控訴審の判決は、1審よりもさらに踏み込んで、責任の所在を「平時の組織的過失に基づく国家賠償責任」としたもので、これは画期的な判決であった。
映画の中で東大の米村教授が
「この判決がなかったならば、1万7000人もの津波の犠牲者を生んだ東日本大震災は日本社会に何も教訓を残さなかったと言える」と発言している。
遺族にとっても、この高裁の判決は「初めて人として扱ってもらった」という実感を得られるものだったと言い、救いの一つとなるものだったことは、観ている側としても涙が出た。

しかし、裁判後に「子どものいのちよりも、お金(賠償金)のほうが上になってしまって」いることに納得できかねる様子があったり、子どもの命を真ん中に置いていない、その命の重さを理解されていないことにつらい思いをいまだにしている遺族の様子が映し出されていて、ものすごい理不尽さを感じる。
殺人予告をされ、恐怖にさらされながら、裁判を行っていた遺族は、「子どもを亡くした痛みは理解されないのだろうか。」と言い「気持ちのうえでは、何度も殺されているようなものだ」と言っていた。
殺人予告をしてつかまった犯人は「行政に必要以上の責任をとらせようとしている」と思い込んで犯行に及んだらしいが、事実を知ろうとすることもなく、思い込みで弱い立場の人を責める構造はそこかしこにあると思う。

控訴審の判決で、裁判官から
子どもの命の最期が学校であってはいけない
という発言があった。
これが、遺族の心に響いた言葉であり、すべての大人が心に刻んでおくべき言葉だと思った。

最高裁は宮城県、石巻市の上告を棄却し、判決は確定している。この映画は、そこまで、7年かけて闘った人たちの、10年間の記録だ。
控訴審で勝訴しても、「子どもたちの最後がどうだったのか?の真実」が明らかになったわけではない。それを遺族はずっと抱えて生きていくのかと思うと、言葉がなかった。

何が一番大切なのかを忘れて、ただ目の前の何かをしていると、大事なものをなくしてしまう。
その教訓を忘れないで、これからをどうするか?しか残されたものにできることはない。

(あらすじ)
東日本大震災で多数の犠牲者を出した宮城県石巻市の大川小学校を題材に、遺された親たちの10年に及ぶ思いを記録したドキュメンタリー。

2011年3月11日に発生した東日本大震災で、津波にのまれて全校児童の7割に相当する74人の児童(うち4人は行方不明)と10人の教職員の命が失われた大川小学校。地震発生から津波到達までは約51分、ラジオや行政の防災無線で情報は学校側にも伝わり、スクールバスも待機していたにも関わらず悲劇は起きた。その事実や理由について行政からの説明に疑問を抱いた一部の親たちは、真実を求めて提訴に至る。わずか2人の弁護団で、いわれのない誹謗中傷も浴びせられる中、親たちは“我が子の代理人”となって証拠集めに奔走する。

親たちが延べ10年にわたって記録した膨大な映像をもとに、寺田和弘監督が追加撮影などを行いドキュメンタリー映画として完成させた。

監督 寺田和弘
プロデューサー 松本裕子
撮影 藤田和也 山口正芳
2022年製作/122分/G/日本
配給:きろくびと

では、また。


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