見出し画像

【353/1096】怒られないようにではなく、喜ばれるように

353日目。「であいの幸せでみんなが変わる ~ダイバーシティー&インクルージョンを知的障害のある講師と共に気づき 出会う新しい世界~」というイベントに参加する。すごく面白かった。


振り返って思うことに、私はつくづく、「怒られないように」をメインに生きてきたのだなあというのがある。

「愛されたいが、愛されたくない(本当に愛されるのは恐い)」というだいぶこじらせた信念を持っていたので、人と関わるときにも、こじらせてねじらせていた面が多々あるのだが、「相手を不機嫌にしないように」「怒らせないように」というのもそれから来ていたと思う。

相手を不機嫌に、怒らせないように、振る舞う。
できるだけ嫌われないように。

これは、けっきょく誰のことも幸せにしない。
ということに気づかなかった。

不機嫌じゃないからと言って、機嫌がよいというわけではない。
怒っていないからと言って、喜んでいるわけではない。
嫌いじゃないからと言って、好きなわけではない。

自分が怒られないように、ではなく、相手が喜ぶことはなんだろう?と考えればよかったなと思うのだ。
相手が楽しく、喜ぶことはなんだろう?って考える方が、私も楽しかったろうよ・・・と。

親に怒られないように。
先生に怒られないように。
先輩に怒られないように。
友だちに怒られないように。
恋人に怒られないように。
上司に怒られないように。
同僚に怒られないように。

ベースに「怒られないように」がインプットされたままずっと動いていたので、自分がしたいことがわからなくなっても当たり前だわーと思った。

この人は何が好きなのかな?って考えなくなっていた。
まったく考えないことはなかったのだけど、
でもなんというか、例えば、贈り物をするときも
「相手が怒らないもの」を選んでいたような気がする。

実はこれはけっこうな恥ずかしい過去である。
こんなにさらけ出して大丈夫?と思って書いている。
のであまり筆は進まない。
(タイプが進まないというほうが正しいか。)

そして、近頃ようやく、相手と関わるときに、
相手に何をするとこの人は嬉しいんだろう?
何を喜ぶんだろう?
どんな可能性があるんだろう?
ということを考えられるようになってきた。
考えても答えをひとりで出すことはできないので、相手とキャッチボールをしながらよくよく考える。

怒られないように関わるよりも、相手が喜んでくれるように関わるほうが、何倍も何十倍も相手をよく観なければならないということに気づく。
これは、私の喜びベースが弱いからということはあると思うが。
でも、そっちのほうが何倍も面白く、何倍もやる気が出るということにも気づく。

怒られないようにではなく、喜ばれるように。
そうやって人と関わろうと思った。

では、またね。

1096日連続毎日書くことに挑戦中です。サポートしてくださるとものすごくものすごく励みになります◎ あなたにも佳いことがありますように!