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自分の中の男性性と女性性

SDGsの5番目の目標であるジェンダー平等は、長い間謳われているものの、日本ではなかなか実現しない。世界経済フォーラム(World Economic Forum/WEF)によると、2020年のジェンダーギャップ指数は、世界で121位、G7では最下位だ。

しかしながら、個別に事例では、各分野で活躍している素敵な女性に出会うことは多い。私自身、外資系企業での管理職を20年以上続けていたが、彼女たちの活躍に励まされることは多かったし、今でも長い付き合いが続いている仲間も多い。

このテキストは、まだまだ男性社会の色濃く残る日本の将来を背負って頑張っている女性管理職への心からのエールとして、私の実体験から、自分の中の「男性性」と「女性性」考察を綴るものである。

① 女を全面に出すと嫌われると思い込んでいた

女であることを全面に出すと日本社会では嫌われる。
私の心の中には、常にこの信念があった。

ビジネスの世界では男性の方が多いからではない。むしろこの点に対する嫌悪感は、女性の中にこそ、あると思う。私自身が自分の中にこの嫌悪感を抱いているから、そう思っていたのかもしれない。

「女性に嫌われない女性でいたい」という強い思いがあったのだ。

実際に女を武器にはしていなかった(できなかった)けれど、そんなことを意識する必要もなかったのかな、と今は思う。

自然体でいいのだ。世の中には、男性も女性も自然にいるのだから。
また、自分自身の中にも「男性性」と「女性性」は、同居しているのだから。

② 女性社員8割の会社では女子校での体験が活きた

学生生活の中で、高校だけが女子校だった。男子がいない環境は、見栄を張る必要も、必要以上に人に見せるためのおしゃれをする必要もなく、とても居心地がよかった。

女性同士だと、グループを作っていがみ合うイメージを持っている人もいるかもしれないが、そういうことも全くなかった。
人と自分の差を受け入れて、というよりは「スルー」する優しさをもって接することができていた。

社会に出てから仕事では何社か経験したが、17年間勤めたラグジュアリーブランドでは、女性向けの商品が多かったこともあって、社員の8割が女性という環境であった。

その17年間女性が多い職場は難しいと感じたことは、正直一度もなかった。
「スルー」する文化はこの職場にもあって、私以外のスタッフも、のびのび働ける環境だった。

ライバルというよりは、仲間や同志という感覚の方がずっと強かったように思う。今思い出しても、温かい、いい職場だった。

それは、私の中では、女子校時代の感覚にとてもよく似ていた。
しかしながら、「心地がいい = ぬるま湯」的な感覚はあったのかもしれない。

毎晩遅くまで残業するという厳しさはあったものの、「売上」のことで叱咤激励されることは一度もなかった。
その後転職先で「売上目標達成」の厳しさの洗礼を浴びる前の、穏やかな日々が懐かしく思い出される。

③ 男性との方が仕事しやすいと感じたこともある

一方、ジュエリーブランドに転職した際、気づいたことがある。
男性との方が、仕事がしやすい面は沢山あるということだ。その理由は、仕事は似ていない者同士が組む方がうまくいく、からである。

そこでは、30名ほどの部下がいたが、その過半数は男性、とりわけ直属の部下となるマネージャーは8割が男性であった。

その時の環境は、そのブランドに勤続10年以上の男性の部下を、40代前半だった私が統括するという組織だったが、男性同士はこのような環境でライバルになりやすく衝突することが多いのに対し、私が女性であることで、その状況を回避できていると、感じていた。

最初は当然、外から来て何も知らない私を牽制したり、実力を試されたり、反発されたりということが、確かにあった。

私はそのような反応を真正面から受けず、なるべくかわしながら、でも逃げないように対処するうちに、ライバルとしてぶつかるべき相手ではない、と捉えられるようになっていった。

また、男性には「体育会的組織」を指向する傾向にあり、上司の命令はある意味絶対で、理路整然と説明すれば、感情的な問題で、それ以上物事が長引くことが少ないという面がある。
また、多少叱っても、その後はケロッとしている。

一方女性は、叱られたり、自身の希望が叶わなかったりすると、仕事上でも泣いてしまうことがあり、泣かせてしまった私は、とても困惑したものだ。

ケースバイケースかもしれないが、私は元々仕事上では自分と違うタイプとパートナーを組む方が好きだ。お互いの欠点を、相手方の長所でカバーして、新たな価値が生まれる点に対する志向性強いのだと思う。

そういう意味では、性別が異なる組み合わせというのは、ある意味いいパートナーシップを形成できる要素を含んでいるのだと、思う。

④ 誰もが持つ「男性性」と「女性性」

私がここで引き合いに出している「男性」や「女性」というのは、ジェンダーというより、人間がもつ「男性的な要素」と「女性的な要素」のことだ。

男性であっても、女性であっても、この二つの異なる要素は、常に同居している。
私の中でも、もちろんそうだ。

接客のプロだった男性スタッフは、私よりよっぽど「女性的」で細やかな気遣いやおもてなしができる人が多かった。
それは、プロフェッショナルとして素晴らしい、尊敬と賞賛に値する。

一方、感情に流されず、決断することが求められていた私は、自分の中の「男性性」をフル活用しており、「竹を割ったような性格」とか、「男前」と称されることも多かった。

管理職として仕事をしてきた昨年までの数十年間は、私の中の男性性を見つけて、それを活かしきるインナージャーニーだったように、思う。

⑤ 女子力を取り戻す必要性

会社勤めをしていた数十年の間、あまりにも男性的発想に偏って生きてきたからだろう。
昨年会社生活を卒業し、独立してからは、周りから「女子力」を回復して、磨きをかけるようにアドバイスされることが多かった。

初めはどうしたらいいかわからなかったが、今では自分の中の「男性性」と「女性性」を、うまく組み合わせることができるようになりつつあると感じている。
少しずつ、自分の心の声に耳を傾けることができるようになったのだ。

うまく理論だって説明できないあいまいな感覚や、言語化できていないイメージも、自分の本音を表現している大切な要素なのだと気づいた。

「こうしたい」「こうなりたい」という漠然とした感覚をもつ「女性的」な自分と、「それならこれが必要」「こんな準備をしなきゃ」という理路整然と段取りをする「男性的」自分が、少しずつではあるがうまく融合してきている。

感性や感覚、抽象的なものの捉え方といった、「女性的」なものの見方が重要視される「風の時代」を、しなやかに生きてゆきたい、と思う今日この頃。

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