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まほうの穴-7「泡を抱く」

泡を抱く

泡を抱いていたのかもしれない
泡を抱いていただけなのかもしれない

盛り上がって
でも中身は空気ばかりで

気持ちよくて
でも正体がなくて

どうしてもつかめなくて
あとかたもなく消えてしまって

泡を抱いていたのかもしれない
実体があったはずなのに
実体をつかめなかった私は


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何にも中身がない、楽しい空気みたいなものは、実体がつかめない。
何が楽しかったのかも説明できないし、人にも伝えられない。
原因がつかめないから、再現もできない。
実は結構前からそう思っていました。

「楽しい空気」や「盛り上がった」というのは、たしかに存在していて。
これを文字でどう表現したらいいのか、というのは私の永遠のテーマです。

ただ一つ、最近になって気づいたことは、自分が受け身で「楽しかった」「盛り上がった」かどうかを判定しているときには実体がないけれど、主体的に「楽しい空気をつくる」「盛り上げる」となったときには、確実にそこには意図という実体が存在するのだということ。

これはちょっとアーティストのライブをつくる感覚に似ているのかもしれません。
「楽しい空気」「盛り上がった」先に観客が手にするもの、「感動」「高揚感」「非日常」がその人の日常にどんな影響を与えるのか。
はたまたその人の人生にとってどんな意味を持つのか。

私も少しずつエンターテイナーに近づいてきたのかな。
人に影響を与えるということを考えるようになってから、見方が変わりつつあります。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今後も不定期ですが、書き溜めた詩を発信していきます。

今日もあなたにとって素敵な一日になりますように。

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